淡路島と明石城


   春霞ならぬ黄砂でかすむ明石海峡大橋P1橋脚
   やはり黄砂の影響で淡路島の島影もぼんやり
   これはP2橋脚
   淡路島側のA2橋台。これは確か鹿島・熊谷JVではなかったか?
 
 明石海峡大橋メインケーブルの模型。これで新日鉄は相当儲けたはずだ。
   岩屋の語源ともなった砂岩の露頭。時代未詳岩屋累層と呼ばれる謎の地層です。「近畿地方」では神戸層群とされていますが、本当のところは分からない。
 神戸層群は非海成で、流紋岩質の凝灰岩を伴うことが特徴。この凝灰岩は筆者の見解では、二次堆積物。つまり何処かにあった流紋岩質火砕流が溶け出して北伸地区や三田盆地に流れkんだもの。また、砂岩・礫岩も後背の有馬層群起源の物質から構成される。実は神戸層群自体も謎の地層で、その正体はよく分からない。従来は中新世とされていたが、20年ほど前に古第三紀という説が出てきたが、筆者の見解では、これは根拠不足。
 しかしこの地点の砂岩は浅海性堆積物で、神戸地域の神戸層群とは似ても似つかぬ風情。素直に神戸層群です、とは納得しがたい。似ている地層は南紀の白浜層群や牟婁層群のような外洋性堆積物である。
 果たしてン千万年前に、明石海峡が太平洋と繋がっていたのでしょうか?

 
   砂岩の中に共役割れ目系が発達しています。これはその中に褐鉄鉱が沈着して作った独特の縞状模様。
 この種の縞模様は通常の堆積作用であれば、地層に平行にできるはずですが、ここでは垂直に出来た割れ目の中に、それも割れ目に平行に出来ています。
 おそらく鉄バクテリアが割れ目に沿って繁殖し、それが海水中の鉄分を吸収してこのような模様を作ったのでしょう。、
   淡路島から帰っていったところが明石城。これは本丸を守る四隅の櫓の内、南西を守る乾櫓。
   本丸への登城路。20m近い石垣がそびえています。右側石垣の頂部をよく見てください。
 コーナー部に破損が診られることが分かります。
   庭園から本丸に登る坂道脇の石垣。弓なりになったいわゆる「お城積み」です。
 壁面に沿ってクラックが入っているのが分かります。石垣天端の一部が崩壊しています。そこから斜め下方にくさび状に石積みが緩んでいます。この角度は約60゜、丁度主働土圧角(但し背面土の内部摩擦角Φを30度としたとき)に一致します。
 この位置は丁度石垣の角に当たります。石積みやコンクリートの擁壁でも、隅角と云うのは力学的弱点になります。この種の構造物の設計や維持管理では特に要注意の場所です。
   同上近景
    上の隅角部に隣接する石積み擁壁。中段より上の部分の石がオーバーハング気味になっており、背面から土圧が懸っているような雰囲気です。この区間でも擁壁頂部で部分的に崩が発生しています。
 このような変状が何時生じたのか分かりません。95年阪神淡路大震災の時かもしれないし、その後の豪雨の所為かもしれない。しかし明石城の石垣が、今や安全率ではほぼ1.0ぎりぎりのところまで来ていると考えられます。
 城郭建築の内、石垣の役割は時代とともに変遷しています。築造された中世後期は戦国期だから、当然軍事目的。しかし時代が移って城郭が一般開放されるようになると、文化財tなる。
 では今の様に観光国家になれば、石垣はその上の天守・櫓だけでなく観光客の安全を守r防災構造物としての役割が重要になる。昨年の熊本地震で多くの石垣が崩壊したが、もしその下に観光客がいて、下敷きになれば大問題だ。現在の文化財行政は、文化財保護ばかり考えて、観光客の安全確保という視点が欠けているように思えるのである。
 城郭建築の内石垣も、現在の宅地造成規制法に則って、常時1.5、地震時1.2の安全率を確保すべきで、それができているかどうか、調査点検が必要である。
 なお、この明石城石垣は、この基準を満たさないことは一目瞭然。早急に補強を行う必要がある。