大阪平野の聖ラインと活断層(3)・・・・大阪中央


1、Bライン北部
 現在の大阪市街の中心からその南方に延びる線である。まずその北の端を見る。上町台地と淀川との間ではどうだろうか。下の図は北大阪の象徴「北野天満宮」の位置を示したものである。


                  北野天満宮本殿

 元々、「北野天満宮」は扇町公園の位置にあったと云われる。そうすると、上町断層の真上にあったのだ。古代の人たちは、どうして上町断層の位置を見つけたのだろうか。古代の地震で液状化が生じ、それを古代人(縄文人かもしれない)が記憶していたためか?ここなら、液状化を生じても別に不思議ではない。

2、Bライン中部(大阪中央〜南部)

 Bラインを南にたどると、上町断層にそってまず天王寺の茶臼山古墳があり、更に南に行けば、帝塚山古墳を経て住吉大社に至る。住吉大社本殿は当に上町断層をまたいで築造されている。

 それぞれの様子の幾つかを紹介しましょう。

帝塚山古墳 住宅地の中の古墳で、周りはコンクリートの柵でガッチリガードされているので、中はさっぱり判りません。
手稲神社 住吉大社の北に隣接する小さな神社。式外の郷社だが、社殿はなかなか立派なもの。「奥の天神」とも云われる。この神社の特徴は、鳥居がないこと。その替わり、二本の石柱が立ち、その間に注連縄が張られる。鳥居の最も古い形式とも云われる。様々な作家の想像力を誘い、これをエルサレムのソロモン神殿の二本の柱になぞらえる人もいる。眉唾。
手稲神社脇の断層崖 手稲神社脇の坂道。坂道の部分が上町断層の断層崖。
住吉大社本殿 写真中央、本殿前の段差部分が断層崖。前の道路が概ね上町断層。これを境に岩盤深度が、垂直方向に数100mに渉って変位していると考えられる。
 大阪市内で温泉を掘る場合はこの差を頭に入れておかなければ、大変なことになる。



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