キリストは何故産まれたか・・・・終末説とパレスチナ地震そして、福島原発

横井技術士事務所
技術士(応用理学) 横井和夫

 間もなくクリスマスです。クリスマスが建前上、イエスキリストの生誕を祝う行事ということは誰でも知っている。しかし、イエスの本当の誕生日は何時かは、当時のパレスチナに市役所もなく、戸籍係もいなかったから判らない。今ではクリスマス12月25日は冬至の前日、太陽が死に生まれ変わる時、という太陽信仰に由来すると考えることが常識である。つまりクリスマスは、キリスト教の教義とかイエスの人生とは無関係に、死と再生の繰り返しという異教信仰に基づいて後から作られたものなのだ。
 イエスがどういうように産まれたかは・・・・ウソか本当かは別にして・・・、様々な伝説で語られている。しかし、イエスが何故産まれたかの説明は寡聞にして聞かない。そもそもキリスト(救世主)という概念は旧約聖書にはない。旧約の世界では、神と人間を繋ぐ橋渡しは預言者だけであって、神の代理人などは認めていない。ところが新約の世界では、いきなり神の代理人としてのキリストや、そのアンチテーゼとしての反キリストが現れる。イエス生誕の前後に何らかのパラダイム転換があったのだ。
 実はBC1〜AD1世紀のパレスチナを含む東方世界には、強い終末論的空気が漂っていた。何故終末論が産まれたのか?終末論がどのように広がっていったのか?明確な説明はない。筆者はこれをBC31年9月2日にパレスチナ地方を襲った巨大地震が原因と考えています。この地震は、おそらくアカバ湾からヨルダン川沿いに走る、アフリカプレートとアラビアプレートとの境界断層を震源とするもの。震源地はおそらく死海周辺。地震規模はM7級(ひょっとするとM8級かも)はあると考えられるので、その振動は遙か離れたエジプト北部から、ヨルダン・アラビア北部、シリア地域にも及んだ可能性はあります(数年前の中国四川地震では、震源地から1000q以上離れている北京でも揺れている)。
 この地域ではかつてなかった天変地異です。又、この地域は、200年以上前からアレキサンダーのヘレニズム世界に含まれていた。ヘレニズム文明は世界を全て統一思想で説明しようとする汎文明主義が特徴である。それを宗教・哲学の分野に及ぼしたものがグノーシス思想と呼ばれるもので、当時の東方世界に広がっていた各種の宗教・哲学を統一化する運動であった。この中から、独特のメシア(救世主=ギリシア語でのキリスト)思想が生まれた、と解説書には書いてあるが、何故グノーシスという思想・宗教運動からメシア思想が生まれるのか、がよく判らない。ただ、グノーシスは所謂懐疑派だったことは間違いないだろう。
 人々がメシアを欲求する原因の一つに、世界終末論がある。これが出来る原因は、一つは政治的・経済的混乱、一つは異民族の侵攻、もう一つは自然環境の変化である。アレキサンダーから100年以上も経つと政治的・経済的混乱が生じていても不思議ではない。第一、アレキサンダーは政治・経済は後継者にマル投げで全く興味を示さなかった。異民族の侵攻は目立ってはなかったものの、北方の新興国ローマの脅威はひしひしと感じていただろう。例えば、日本や東南アジア各国が中国圧力を感じるのと同じ感覚である。つまり当時の東方世界の人達は政府や国王に信頼を置いていなかった。逆に言うと極めてギリシア的民主主義社会で、人々の暮らしに国王は口先を差し挟まなかったのである。ということは、当時の東方世界は現代先進国と同じ、自己責任自由主義社会だったと云うことだ。この種の社会が安定的に維持されるためには、政治・経済的安定性・・・とりもなおさずヘレニズム国家の軍事力の維持・・・が必要であるだけではなく、自然環境の安定性も必要条件である。実を云うと、アレキサンダーから200年以上も経つと、治世条件にも変化が出てくる。ヘレニズム国家の軍事力は傭兵制で支えられるが、これも100年も経つとガタが来る。つまり、東方世界全体の統治システムに疑問が発生され始めた。その矢先に発生したのが、上記の巨大地震で、これがその後の終末説を作る原因になったのではなかったか、と考えているのです。
 そしてこの地震がきっかけになって、東方世界に強いメシア思想が産まれたと考えても不思議ではない。そして、人々はメシアを捜し求めた。メシア候補者は何人もいた。ラミア退治で有名なギリシアの哲学者アポロニウスもその一人。エジプトのプトレマイオスもそうだろう。その中でパレスチナのイエスがメシアレースを制して、唯一のキリストになったのである。何故そうなったかというと、彼等メシア候補者の中で、イエスのみが終末論者で、他はみんな懐疑論者(グノーシス派)。中には怪しい終末論者もいるが、彼等はインチキ占い師の類だから直ぐに淘汰されてしまう。グノーシス理論は大変難解で、当時の一般民衆には到底理解出来ない(現在の民衆も同じである)。その中で、世界終末説を唱え、そこからの救済を訴えたイエスの教義が、民衆の欲求を満足させたということだろう。しかし、キリスト教がローマ民衆の心を捉えだしたのは、キリストの死後200年以上経ってから。ヨーロッパがキリスト教を正当化したのは実に350年経ってからである。

 キリスト教がヨーロッパ人の心を捉えた理由に、その終末論があることは疑いもない。終末論はしばしばひとびとを衝動に駆り立て、とんでもない行動、特に大衆行動を引き起こす。「アゴラ」というレイチェル・ワイズ主演のスペイン映画がある。これは日本では劇場公開されておらず、筆者もテレビでしか見ていないが、2009年カンヌ映画祭でトップを執り、ヨーロッパでは注目された映画である。非常に奥深い映画で、古代ローマの哲学・思想に知識がなければ理解出来ないかも知れない。これは415年東ローマ皇帝テオドシウス一世の勅令に基づくアレキサンドリア大図書館の破壊をテーマに執り、レイチェル扮する哲学者ヒュパシア(グノーシス派の象徴)を主人公にした歴史ドラマである。ドラマの最期は、終末論を主張するキリスト教主教に扇動された群衆が、アゴラ(大図書館)を襲撃し、ヒュパシアを殺して終わる。ドラマには描いていないが、その後1300年以上に渉って、ヨーロッパを始めとするキリスト教世界には、科学というものが育たなかった。独善的終末論と占いによる末期的世界が続いていたのである。
 今、日本(や先進諸国)を覆う現象の一つに終末論がある。その典型が地球温暖化説であり、原発終末論である。そのどれも、厳密な科学的論拠に基づいていない。特に日本の首相官邸を取り巻く反原発デモなど、当に終末論キリスト教徒の暴動に匹敵するものである。そして終末論ほどインチキで民心を惑わしたものはない。キリスト教はその後、自らの過ちに気づいて終末論から撤退した。しかし、今も新たな終末論は消えては産まれているのである。その一つがマヤ歴終末説であり、反原発運動と根拠あやふやな活断層説である。