滋賀県某テールアルメ崩壊事故訴訟の顛末


 平成7年、阪神大震災の年、滋賀県下のある処に築造されたテールアルメ擁壁が崩壊しました。この擁壁は、背後に造成された工場用地の外周に築造されたものです。工場用地の造成は前年に既におわり、建築工事の最中です。関係者(事業者、コンサル、メーカー)は協議の上、抑え盛土で崩壊部分を覆ってしまう工法を採用しました。ゼネコンは別の工法を提案していましたが、押し切られた格好です。とりあえず、対策工事は終了したのですが、問題はその後です。ゼネコンは対策工事に要した経費を事業主に請求しましたが、事業主は、そんなことは聞いていない、そもそもは施工に問題があったのではないか、として支払いを拒否しました。そこで平成9 年、ゼネコンは大阪地裁大津支部に、未払い工事代金請求訴訟を起こしました。本編はその顛末をまとめたもので 。一審では、原告(ゼネコン)の全面敗訴に終わりましたが、控訴審でなんとかテールアルメとアンカー代は取り返しました。私が関与したのは控訴審からですが、この事件は裁判に勝った負けたというより、地すべりというものを理解するための好例を与えているので、その顛末を公開する事にしたのです。


滋賀県某テールアルメ崩壊事故1(訴訟の概要)

1、事件の内容と関係者
 一審段階では、本事件は次の2事件から成っています。
 1)第一事件・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・請求額(解決済み)
  土工、簡易構造物代金に関する訴訟。
 2)第2事件 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・請求額(14、760万円)         
  地すべり対策代金に関する訴訟。)
 ここで、1)は地すべりに直接関係はなく、又一審でも原告勝訴に終わっているので、ここでは深く取り上げません。しかし、1)の中で土工に関しては間接的に関係があるのでその時に説明します。以下、ここでは2)第2事件を中心に取り上げます。
 
 本訴訟に関わった当事者の関係は次のとおりです。
    

摘要 原告 被告
関係者 A建設(滋賀県地場ゼネコン)・・・・・甲

甲の法廷代理人であるF弁護士が筆者の依頼者です。
  • B鉄工(事業主)・・・・・・乙
  • C測量(滋賀県地場コンサル。本事業のプライムコンサルで、開発申請、測量、地質調査、詳細設計を担当)・・・丙
  • D(テールアルメメーカーで、テールアルメの詳細設計、技術指導を担当)   ・・・・・丁

2、事件の経緯
1)平成2年頃、大阪府堺市に本社を持つ、中堅鉄工メーカーB鉄工が、工場の拡張を計画し、出入りというかお得意さんでもあった、A建設に話を持ちかけた。Aは甲賀郡の中に自社が地上げした土地があり、これをどうかと持ちかけた。話はトントン拍子に進み、Bの滋賀県進出が決定した。Aは当初、設計から開発申請・施工まで、一貫して受注したい旨申し入れたが、Bは、「それは具合が悪い。中間にコンサルを絡ませたい」といって、コンサルの紹介をAに依頼した。これ自体は当たり前で何もおかしいことはない。そこでAは出入りのコンサルでもあり、地元町長とも親しいCをコンサルに推薦した。実はこのCが本事件を作り、問題をややこしくした張本人なのだが、そんなことは誰も気がつかず、設計・開発申請は順調に進み平成6年には工事着工に至った。何故、開発申請が何事も無かったか、と云うと当該地は市街化調整区域ではなく、規制も宅造法ではなく森林法で構わない。要するに防災上の規制が及ばない地域だったからに過ぎない。後で述べるように、高さ10数mに及ぶテールアルメ擁壁が無審査で通っている。これもこの土地が、いわば行政上の無法地帯だったからなのだ。
2)当該地は滋賀県甲賀郡南部に発達する標高200〜300m級の丘陵地で、南端部に東西に尾根が走り、それより派生した支脈は北方に延び、全体として南高北低の地勢を示す。用地北端の北には沖積面が発達する。用地北東部には開析は進んでいるが、平坦な地形が広がる。また、丘陵北端部斜面上にも、地形図をよく見ると、平坦面が部分的に残っている。地質は基盤は中新統「鮎川層群」の砂岩・礫岩・泥岩からなり、用地北東部及び北端斜面上の平坦部は地形的にも段丘面で、段丘礫層からなるのは明らかなのだが、コンサルの地質調査報告書では、見事にこの点の検討は省略されています。仕方が無いので、鑑定書でこの点を再検討します。
3)それはそうとして、事業主Bの要求は、工場建家の配置や自動車出入りの関係から、整地面は「一枚モノ」、要するにアップダウンの無い平坦面に仕上げるものでした。一方、用地北端には、地元の墓地があり、これが整地面設計をコントロールしている。その結果、用地北端に平均10mに及ぶ直立壁が出現することになったのです。さてこの直立壁をどういう形で仕上げるか、に当たってCはかつて知ったるDに相談しました。当たり前ですが、テールアルメでやりましょう、ということになる。テールアルメの採用に当たっては、Bも今一不安である。Aも施工経験が無いので不安である旨申し入れたが、そこはCとDが押し切って全長300mに及ぶテールアルメ壁が築造されることになったのです。この間を支配しているのは、Dの営業論理であることは云うまでもありません(なお、Dの設計計算書を見たのだが、実にたちの悪い誤魔化しをやっているのだ。シロートはこれにてっきり騙されている。これも後ほど紹介)。崩壊したのは下図で左上隅の部分(但し、崩壊区間は筆者が加えたもの)。

丙第5号証


4)平成5年、土工事が着手された。工事は順調に進み(これはAの陳述書による)、平成6年始めにはテールアルメも仕上がった。ところが、1年後の平成7年1月17日に兵庫県南部地震が発生した。その結果、テールアルメの北西隅にクラックや段差が発生したと被告は主張する。しかし本当かどうかは判らない。
5)平7年成年5月、滋賀県甲賀地方に最大日降雨量230o、累計降雨量300o以上に及ぶ集中豪雨があり、テールアルメ北西隅に段差を生じた(第一次崩壊)。
6)その後、テールアルメの変状は一旦落ち着くかに見えたが、6月末から7月初めにかけて、やはり累計200数10oに及ぶ断続的な降雨があり、7月4日、遂に全面的な崩壊に達した(第二次崩壊)。

この写真は一審ではなく、控訴審の過程で私が手に入れたものです。
 テールアルメの上に工場建家の骨組みが見えるのに注意。

 斜面の裾はテールアルメの下50m程の距離にあり、その下は水田になっているが、崩壊時には水田が盛り上がった。崩壊直後の写真からその範囲は特定出来る(後ほど紹介)。
7)Cは慌てて周囲の地盤調査をやったが、実際この費用を肩代わりしたのはAである。
8)A、Cがそれぞれ独自に対策工を立案したが、最終的にはCによる抑え盛土が採用された。なお、抑え盛土の末端処理もテールアルメで、テールアルメ部材はDがAに提供した。これは結構重要。しかし、筆者の判断では、なにもテールアルメでなくても良い。もっと安い工法があったはずである。Dの在庫処理に利用されただけではないか、という疑いはある。
9)平成8年春、対策工も完成したので、AはBに対し、対策工費用の請求書を提出した。しかしその回答は支払いの拒否であった。
  (1)テールアルメの崩壊と対策工事は、建築も含んだ全体工期の中であり、その間の事態処理はゼネコン負担によることが当然である。
  (2)阪神大震災後に壁面にクラックが入ったりしている。壁体の強度不足であり、手抜き工事の疑いがある。
  (3)設計詳細図に示されている基礎の採石置き換えがなされていない。
  (4)対策工事については、ゼネコンも応分の負担をする、と言っている。(これは嘘又は事業主側の誤解)
10)これを不服としてゼネコンは、平成9年、大阪地裁大津支部に、工事代金の支払いを求めて提訴した。
11)その間、イロイロなやりとりがあって、平成13年3月一審判決があった。その結果は原告の全面敗訴だった。
 私がこの件に関係し出すのは、その後です。


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