沖縄の旧石器時代人


 沖縄の石垣島で、旧石器時代(約2万年BP)人の完形人骨が発見されました。さて我々日本人の御先祖様かというと、筆者は殆ど血縁関係はない、赤の他人と考えています。これを石垣人と呼びます。さてこの石垣人は、何処からどうやって来たのか?ハイエルダールが主張する様に、船に乗って海を越えてやってきたのか?筆者の答えはNOです。彼らは台湾から、殆ど歩いてやってきたのです。
 まず2万年前という時期の、東アジアの古地理を理解する必要があります。この時期は、ウルム最氷期と云われる第四紀に入って最強の氷河時代。海水面は世界平均で約200m低下したとされる。現在の東シナ海の水深は平均してマイナス200~300m。南シナ海はもっと浅い。ということはこの時期、アジア大陸西岸は殆ど陸化していたことになります。無論、その中に、沖縄トラフのような局所的凹地には海は入ってきただろうが、少なくとも台湾ー琉球列島を連ねる線は、陸化していたと考えて無理はない。石垣人はこの線上を移動してきたのです。
 さて最近、ある日本の考古学者が、日本列島への先住民移民を証明しようと、台湾からの航海を計画しました。しかしうえで述べたように、氷河期での先住民到来は、船でなくても陸続きで可能なのです。考古学に必要なことは、異物・遺跡の鑑定だけでなく、古地理にたいする理解です。

 さてこの石垣人の人骨が発見された洞窟は、以前から多数の骨片が見つかっていたそうです。そうだとすると、この洞窟は古代の墓場だった可能性があります。最近の研究では、ネアンデルタール人が死者の埋葬やなんらかの宗教儀礼を行っていたといわれます。石垣人は新人(ホモサピエンス)と考えられますから、このような死者埋葬法を旧人から学んでいたかもしれない。
 2万年前の地球は非常に寒いから、人類は相対的に暖かい海辺に居住するはずです。そうすると、彼らの居住地は現在から200m程低い場所にあった。彼らの墓地は村から約200m程高い山のてっぺんにあったのである。これは現代人の目では、いささか奇異に見えるかもしれないが、古代世界では不思議でも何でもない。古代インカでは高山の中の洞窟に死者が埋葬されていた例があるし、筆者が住む大阪府高槻市の安満山古墳群(古墳時代前期)1・2号墳は山の中腹にある。遠野物語では、遠野地区では死者の霊魂は早池峰山に登ると考えられていた。このような考えは日本だけでなく、世界中各地にあり、後の山岳信仰の源流になっている。

(16/07/03)