ネパールの地震

横井技術士事務所
技術士(応用理学) 横井和夫

 2015年4月25日、ネパールを襲ったM7.8の地震についての話題を取り上げます。


 まことにマスコミと言うものはいい加減なもので、報道ネタの裏づけも取らず闇雲に発信する癖があるようだ。以前の報道では震源は首都カトマンド直下とされていたので、それで今回の地震はスンコシーロシュラ断層の活動と考えていたのだが、今朝の朝刊を見るととんでもない、震源は首都から遥か離れた場所だ。下図はこれと主要構造線との関係をしめしたものである(赤破線は筆者が記入)。

   ここで
MCT;主中央スラスト
MBF;主境界断層
SR;スンコシーロシュラ断層

 なお図中の小さい黒点が何を意味するのか新聞も説明していないのでわかりません 。

 この図を見ると、今回の地震はスンコシーロシュラ断層ではなく、MCTの活動によるものと考えられる。この場合活動センスは左横ずれではなく、北落ち逆断層になる。以上訂正。なお1934年M8.1断層はMBFの活動によるものと云えるでしょう。
(15/0/02)

 突然のネパール大地震。この2週間前に茨城海岸に150頭のイルカが打ち上げられた。これを大地震の前触れだと云った人達がいる。彼等は今度の地震をその証拠、だと言いふらすでしょう。
(14/04/27)

 15/04/25ネパール中部を襲ったM7.8の地震は、地震としては小さくはありませんが、ネパールーヒマラヤ地域で今後期待されるM8~9クラスの地震に比べれば、未だ規模が小さい。まずネパールーヒマラヤ地域の地質構造を、故藤田和夫教授退官記念論文集(「アジアの変動帯」)から見ていきましょう。
 ネパールーヒマラヤ地域の地形は、大きく(1)チベット/ネパール国境の標高8000m級の大山脈を作る大ヒマラヤ(2)その南に(2)に沿って延びる標高3000~4000m級の小ヒマラヤ、(3)更にその南に延びる外ヒマラヤ山地からなります。大ヒマラヤの中にはカトマンド盆地などの低地帯が発達します。下図はその概略を示したもの。

 これらの地形の形成は、中新世以降の生じたインド亜大陸のユーラシアプレートへの衝突に始まります。この衝突は約100万年前の第四紀から急速に活発化し、テチス海に堆積していた堆積物が盛り上がり、とうとう現在のような大山脈を作ってしまった。その過程で沢山の断層が生じ、これが現在での地震の震源になっています。
 下の図は第四紀以降のチベットーヒマラヤ地域の主要地質構造図です。インド亜大陸の衝突と潜り込みによってネパールーヒマラヤ地域を中心に多くの断層が生じていることがわかります。この中でネパールにとって重要なのは大ヒマラヤの南限を限るMCT(主中央スラスト)と小ヒマラヤ南限の主境界断層(MBF),、それと外ヒマラヤの南限のHFF(ヒマラヤ前縁断層・・・藤田和夫)です。なお上の地形区分ではMCTは記入されているが、下の図にはそれがない。停年まじかでオッサンいささか混乱していたのではあるまいかと思うが、そんなことをうっかり云うと瞬間湯沸かし器だから何を云われるかわからない。
 図によれば、主要断層には全て横ずれ記号が付加されている。南からのインド亜大陸の衝突と、ユーラシアプレートの東方への移動により、ネパールーヒマラヤ、チベットを含む地域にせん断力が生じ、その結果横ずれ断層を生じた、といううのがオッサンの云いたいところだろう。

 それはともかく、MCTとMBFとの間には多くのシア帯を形成する。これが成長すると活断層になる。下の図は大ヒマラヤと小ヒマラヤとの間の活断層分布図である。この地域はこれまでの図で判るとおり、MCTとMBFとの間に多くのシア帯が発達するのは容易に察せらられる。なお図中央部でDATA NOT AVAIRABLE とあるのはこの論文が作られた80年代時点のことで、現在ではデータの蓄積は段違いに変わっているはずだ。


 その後の情報では今回地震が起こったのは首都カトマンドの直下とされる。カトマンドの南東にはスンコシーロシュラ断層というMBFの派生断層がある。その方向はNW-SEで北西である。図ではその状況は示されていないが、それは調査が不完全だったからに過ぎない。今回の地震規模M7.8から推すと、断層セグメントの長さは数10㎞ぐらいはあるはず。そうすればこの断層の延長が首都直下に達してもおかしくない。以上から今回のネパール地震はMBFの派生断層であるスンコシーロシュラ断層の活動と考えられる。
 なお、ネパールには他に多数の活断層があり、それらが今後活動する可能性は十分ある。しかしこれら活断層の実態が十分把握されているとは云えないのは上の図をみても明らかである。