'18年西日本豪雨災害

技術士(応用理学)   横井和夫


下の写真は今年の台風24号通過後の10月8~9日にかけて崩壊した、国宝丸亀城の石垣です。丸亀城といってもよく分からない人がいると思いますが、丸亀は四国の県にあって、香川県では高松に次ぐ地方の中堅都市です。岡山から瀬戸大橋を渡って高知方面に行くと、右側に大きなクレーンが並んでいますが、これがKHK丸亀工場。このあたりが丸亀です。それは別にして、この丸亀のシンボルが丸亀城。この石垣がこわれたのだから大変。

   
18/10/08   18/10/09

 崩壊した箇所は通称隅櫓と云われる部分で、写真から判断すると、下図のように城壁の外側に大きく張り出した突出部です。これは敵の来襲に対し死角を作らないことが目的で、戦国末期に現れたものです。ヨーロッパでも近世初期に現れますから同時期で、多分スペイン人やオランダ人から伝わったものでしょう。これが拡大発展したものが、函館五稜郭です。
 それは良いのですが、構造的には弱点を作ってしまいます。これを表したものが下図です。隅櫓が突出した部分に応力が集中する(下図左)ので、ここが弱点になる。崩壊はまさにこの部分からはじまっている。また、日本の城郭建築の特徴に、曲線を使って軒反りを作る手法があります。これはヨーロッパや大陸には見られない形状です。これも敵兵が容易に侵入するのを防ぐためですが、ここも構造的な弱点になります。

   

 下の図は筆者が数年前から訴訟鑑定で関与した、奈良県生駒市某地の石積み擁壁の変状です。この擁壁の隅角(コーナー)部は、平面的には若干突出した形状になっています。変状はこの突出部nしょうじています。又、断面はやはり頂部がやや外側にせり出したお城積みになっています。

   

 無論この擁壁は現在の宅造法基準に合わないので既に撤去され、現在は適法な擁壁に改築されています。問題は何故こんな違法建築が出来たのか?それが裁判の争点になりますが、それだけで大変な分量になるので省略。

 上の丸亀城と下の生駒市の例から云えることは
1、隅角部に突出を作ってはならない
2、いわゆる「お城積み」も、壁体い弱点を作るから用いてはならない。

 つまり壁体の形状は出来るだけ素直に、ストレートなものが望ましい。しかしそうしても、隅角部自身が応力集中帯になるので、この部分で壁体にクラックが入ったり、最悪崩壊に至ることも避けられない。過度の応力集中避ける方法に、断面を大きくするという方法があります。例えばコンクリート擁壁なら、一般部にくらべ隅角部では壁体厚を大きくするという方法です。これは簡単な構造力学の計算から容易にわかります。石積み擁壁なら、一般部に比べサイズの大きな石材を用いるのは効果的です。
 下図は名古屋城天守閣脇の石垣の様子ですが、隅には他に比べサイズの大きい石材を使っていることが分かります。これぐらいの石材を使えば少々の地震でも大丈夫。

 さすが築城の名手と云われた加藤清正の作品だけありますが、彼はこれをどこの誰から学んだのでしょうか?ひょっとすると朝鮮出兵のおり、朝鮮人か明国人からでしょうか?当時の土木技術は、日本に比べ朝鮮・明国の方が進んでいたのは事実だから。
 なお16年熊本地震で熊本城の石垣が大被害を受けましたが、これは熊本周辺にはこのような石材が産出しないからです。名古屋城の石材は、おおむね領家帯も花崗岩を使用しています。理由は熊本北方は阿蘇の火砕流が広く覆い、南方は秩父帯相当の地層が分布し、領家帯花崗岩のような塊状の安定した石材が産出しないためでしょう。
(18/10/15)
   

 これは今夏の台風21号の雨で大分県の九州横断道で生じたのり面の崩壊。というより地すべり初期段階を典型的に表すもので興味があるので映像を保存しました。大学土木でも、こううのを教材に取り入れたらよい。しかしよく見ると単なるのり面のすべりにしては不審な点がある。改めて吟味してみる。
(18/010/02)

   

 本道路はおそらく九重連山に連なる洪積台地を逆台形に開削したものだろう。上で、右の図は左の写真からこの崩壊斜面の土質構成を読み取ったものである。ここで、lmは数1000~数万年前の阿蘇や九重連山の噴火で生じた黒色火山灰質腐植土、いわゆる「黒ボク」、Teは基盤の第三紀層。泥岩又は砂岩でできている。dtは今回の崩壊で生じた崩積土である。問題は崩壊斜面の脇に?マークで示した黒色土である。
 さてここで次の二つの疑問が生じる。
1)崩壊の様子から見て、?層が今回の崩壊の主役だったと考えられる。これは色から見て「黒ボク(lm)」と考えられる。黒ボクが出来たは数1000~数万年前である。一方こののり面が出来たのはせいぜい10年から20年ぐらい昔。のり面が盛土ならその上に黒ボクが堆積することは分かるが、こののり面は切土である。現世で人工的に作られたのり面の上に、数万年前の地層が堆積することはあり得ない。ということは?層はのり面が開削された後に、その上に人工的被されたものということになる。
2)こののり面地山土質は第三紀の砂岩又は泥岩である。のり面の設計が旧道路公団の設計要領を踏襲しているとすると、第一段のり面の勾配は1:.0.8かせいぜい1::1.0である。ところが当該のり面の向こうに接続するのり面勾配は、1:1.8ぐらいの緩い勾配である。この勾配は盛土に対して適用される値である。ということは、こののり面は、切土でありながら盛土として設計されたことになる。ということは、この崩壊は切土のり面の崩壊ではなく、盛土の崩壊なのだ。
 なぜこういうことが起きるのか?高速道路や高規格道路を作る場合、地元と様々な協定を結ばなくてはならないが、その一つに環境協議というのがある。この内容には施工中・開業後の振動・騒音・大気などの他に、景観協議というものがある。このためにしばしば「景観委員会」というものが設けられる。その場で、のり面全面緑化が勧告されると、事業者は原則それに従わなくてはならない。
 当該のり面の地山は第三紀の砂岩泥岩である。これは植物の活着が悪く、せっかく緑化吹付をやっても、雨が降ればみんな落ちてしまう。そこで考え出されるのが、のり面内客土である。つまり掘削表面の上に、冨栄養の土を被せてのり面緑化を図るものである。これにも色々工法はあるが、一般にはコンクリート法枠の中に植生土嚢や種子吹付を行うものである。法枠を併用すれば、勾配は1:1.0前後まで立てられるので用地幅を小さくできるが、法枠は別工事になり客土は購入材になるので、工費は余計高くつく。そこで知恵者が現れた。
 台地直下に分布する黒ボクは栄養価の高い腐植土だ。しかし強度はなく圧縮性が大きいので路体にも使えない。土捨て場を作って場外処分しかない。これを客土に使って、切土地山の前に盛土を作ればよい。つまり、全体としては切土だが、実態は盛土として扱うことにする。そう考えれば、上で挙げた1:1.8という緩い勾配も納得がいく。(1)緑化するために客土を行う→(2)客土に現地発生材(黒ボク)を使う→(3)客土は盛土として設計する。以上のストーリーには別に問題はない。ないが一つ間違っていることがある。
 もう一度最初の写真を見てみよう。これを見ると、地山の第三紀層と盛土(?層)との間に、何ら排水設備が施された形跡はない。つまり、この盛土は地山を切り取ったその上に、そのまま土を重ねただけなのである。一方、旧道路公団「設計要領第1集」では、盛土の設計に於いては、フトン籠等によるのり先の補強や、地山との境界では縦排水管や横排水管、盛土内での排水層等排水設備の設置を求めている。つまりこの盛土は、切土のようで切土でなく、盛土のようで盛土でない、なんとも中途半端な作品なのである。
 なお、この道路(区間)が道路会社の単費で作られておれば別だが、もし国費が投入されておれば会計検査の対象になるでしょう。用心用心。
(18/10/04)
 


 本日14:30頃の、我が家の隣のスーパーの様子。立ち木が激しく揺れています。今まさに台風21号が通過中。
(18/09/04)


 数年前、国交省から中小河川堤防の堤体補強に関する指針という文書が出来た。その前の鬼怒川災害などの洪水を踏まえたものだろう。その概要がネットに載っていたので見てみたが、一読して「こんなものはだめだ」と思った。理由は破堤の原因の認識が間違っているからである。原因の認識が間違っていれば、それに基づく対策も指針も、的外れになるのは当たり前。

先月末から活動を活発化させた秋雨前線による豪雨で、崩壊した山形県のある中小河川内法。現在の国交省「中小河川堤防の堤体補強に関する指針」が全く役立たずだという証拠。
(18/09/03)

 

 昨日公開された淡路島倒壊風力発電タワーの破断部。別に詳しい説明をしたいとは思いません。だれが見ても、こんな細い鉄筋で、100数10tもの重量に風速30mの力が作用したときに発生するモーメントを支えられるとは思えないでしょう。こんないい加減な構造物が簡単に許可され、正々堂々と建築されている現実に驚かされる。
(18/09/01)

 淡路の風力発電タワー倒壊事故について、さっそく専門家から「構造設計のミス」ではないか、という声が上がっている。私は設計ミスどころか、それ以前、構造の考え方そのものに間違いがあると考えている。建築だけでなく、風力発電業界全体が自分の問題として、大きく受け止めなくてはならない。同じことは姫路で生じた、太陽光発電盛土の崩壊にも同じことが云える。
 なお業界だけではなく、施設許認可に当たる行政や、再生エネルギーを推進する政治家や、学者・評論家も、もっと施設の安全性について勉強しなくてはならない。バブル崩壊以後、小学生ではなく日本の役人・政治家・経営者等指導階層の基本学力が低下している。
(18/08/26)

 ここからは平成30年(2018)台風20号関連です。台風20号は同19号の直ぐ後に生まれ、その後19号に追随する形でやってきた後追い台風です。久しぶりに近畿地方に接近しました。この時はその前の7月西日本豪雨の失敗に懲りて、行政も早めに避難勧告をだしたので、被害は比較的少なくて済みました。高槻の我が家でも夕方防災無線は聞こえましたが、現実には何を言っているのやらさっぱり分からない。テレビでは、NHKが高槻市全域に避難勧告を出したという報道。本当かと思って、ハザードマップを見ようとしたが、それがどこへ行ったやらわからない。仕方がないから高槻市HPにアクセスしたところ、避難勧告を出したのは「土砂災害防止区域」だけ。ではここは何処か?少なくとも、淀川沖積平野の中にある我が家は、その対象でないことは間違いない。
 がしかし災害区域区分はどうなっていいるかと見てみると、ハザードマップがあった。ところがこれがPDFファイルだから、出てくるのに時間が掛かってしかたがない。それでもとにかく我が家の付近の画面が見つかった。そこでは「内面氾濫危険地域」。この図面、昔筆者の良く知っている某大手河川系コンサルが作ったものではあるまいか?あいつらが作ったものだとすると、あまり信用できないなあ、と思いつつ一見落着。我が家の周りが内面氾濫を起こすということは、淀川の堤防が溢れたケースである。それは下流の安威川合流点で水位が上がり、バックウオーターが高槻・枚方方面まで押し寄せたケースである。ここで浮かび上がってくるのが、安威川ダムの必要性である。無論、これまでの計画のような高さ100mに及ぶ巨大ダムでなく、小規模な堰を設け、そこからトンネルで下流に水を誘導し、淀川流域広域下水道に繋ぐという手もある
 それはともかく、今回の台風20号で現れた被害の内、筆者の興味を引いたものを、いくつか以下に取り上げます。

   これは福岡県で、西日本豪雨で発生した道路盛土の崩壊を、県がほったらかしにして、おまけに通行禁止の標識をつけ忘れたために誤って自動車が崩壊地にはまり込んでしまった事故。
 この道路は典型的な片盛り片切りで、崩壊地は浅い谷を埋め立てたもの。盛土は雑多な土砂で、排水設備もなければ、盛土の施工管理を行った形跡もない。おそらく谷側の土留め構造物も石積みかブロック積みだろう。これでは少し大きな雨が降れば潰れて当たり前。
 日本には、このような前世紀的盛土がはいて捨てるほどある。一方、雨の方は将来増えても減る可能性はない。つまりこの手の地方道の小規模土工区間の安全性は、ますます低下する。
 では安全性を向上させる技術や工法はないのか?いやいくらでもあります。その問題はコストより、地元業者の保守性にあります。彼らはこれまでの経験にこだわり、新技術導入に反対する。おまけに天下りや何かで地元業者におんぶにだっこの行政が、業者の尻馬に乗る。業者のバックに議員がいるのは当たり前だ。両者が結託して、新技術の導入を邪魔するのである。
   神戸電鉄有馬線大池付近でののり面崩壊。こののり面は盛土です。最下段は石積みで、その上が土羽になっています。見たところ、あまりきれいな盛土ではない。無論、きれいな土を使えばよいというものではない。粒径のそろったマサや海砂は見かけはきれいが、肝心な時に強度が出ないので、全く役に立たない。
 本当は礫から細粒分まで、粒径が万編無く分布する、見かけは若干汚い土の方がよい。しかしこの盛土、粗粒の礫や砂が乏しく、粒径が細粒分に偏っている(透水性が悪い)ようだ。そして、ドレーン材のような排水層が見当たらない。
 こういう盛土は地表から雨水が浸透すると、水が排出できなくて盛土中に滞留する。それが間隙水圧を発生させ、盛土の強度を低下させて、崩壊に至る。この盛土も、盛土の基本をわきまえていない欠陥商品である。誰が作ったのだ?
 
  
   これは今回の台風20号の強風で倒壊した淡路島の風力発電タワー。設計風力は60m、しかし当日の風速は30m強に過ぎない。これはおかしい。破断面を見ると、折れたというより、タワーは基礎から剥がれたという感じだ。
 まずタワーの底面を見ると八角形の床版に何か穴のようなものが見えるが、これは何か?基礎と繋がる鉄筋かもしれないが、いかにも細い。基礎部分はタワーに合わせて八角形になっている。細い鉄筋のようなものが見える。もっと重要な点はタワーの底面も基礎連結部の破損の跡が見られない。つまり、タワーと基礎は一体ではなく、基礎に型枠のようなものを作って、そこにタワーをはめ込んだようなものだ。
 果たしてこれは設計ミスか、それとも施工ミスか?いずれにしてもも人為的なミスが原因であることは間違いない。何となく、先の大阪北部地震で倒壊した、高槻のブロック塀と似たような気がする。
 淡路島には、これと同種のタワーが他に25基もあるらしい。こんなインチキ構造物を認可した兵庫県の無能ぶりも相当のものだ。
(18/08/24) 

 国交省四国地整が災害を出した愛媛県「野村ダム」他を視察し、学識経験者?に「ダム放流は必要だった」と言わせた。通常こういう物見遊山に毛の生えたような視察は、災害後の救出活動に目途がついた段階で行うものだ。何故なら、現地の県や市・町村は住民援護にてんやわんやで、国の視察団のような暇人を相手にする余裕は無いからだ。
 それにも関わらず、地元の迷惑も顧みず、現地視察とは、随分手回しのよい話だ。目的は将来の住民訴訟に備えて、自分たちのアリバイを作ること。つまり今後のマスコミ報道をけん制することである。
(18/07/20)

 真備町洪水をおこした元凶の高梁川/小田川合流の変更計画。筆者は何かの情報で、上流に移すと思っていたが、実際は下流だった。では下流とは何処かというと、とんでもない場所。普通下流なら、その川の流路の何処かと思う。ところが、計画では今の高梁川と、西の柳井原貯水池に挟まれた山地の南側で、直接高梁川にはつながらない。どうするんでしょう?
 さてこの河川付け替え工事、山を貫くのだから当然トンネル河川になる。そうなら、先に筆者が提案した2)流域変更案と何にも変わらない。ところがこの案を50年間ほったらかしにしていたというのだ。 
 50年前といえばまだ旧河川法の時代。河川はオープンでなくてはならず、暗渠(トンネル)はあり得ない時代だった。そんな時代にトンネル河川を考えるはずはない。トンネル河川が可能になったのは、昭和60年代の河川法の改正以後。この結果、東京では第二神田川、大阪では第二寝屋川、第二平野川などのトンネル河川が次々生れた。その理由は、大都市の洪水対策である。
 従って50年前にトンネル河川で小田川治水対策を行うという発想はあり得ない。もしあったとすると、現在の柳井原貯水池のある谷を開削して、水路をつくることである。ところがここに水利権とか用地問題とか言うややこしい問題が発生する。例えばトンネルを出て倉敷平野に入ったところで、小田川の水をどう処理するのか?開削河川を作るなら、その用地は倉敷市の提供になる。普段水も使えない川のために土地を譲る分けにはいかない、てなところだ。そんなことで50年間、ああでもないこうでもないと時間を潰し、そのうちみんな忘れてしまったのだろう。故人曰く「災害は忘れた頃にやってくる。」さて今回の災害記憶も、何時まで続くでしょうか?福島の記憶だって、自民党や政府・財界では薄れてしまっている。
(18/07/16)

 上の図は今回の豪雨で、岡山県最大の被害を出した倉敷市真備町の空中写真映像(GoogleEarth)です。写真右下に二つの河川(画面右を南北に走るのが高梁川、画面下に東西に走るのが小田川)が合流していることがわかります。合流点のやや上流両岸に山が迫っていますが、これがボトルネックです。この合流点の上流は河川敷がものすごく広く(図の赤破線で囲んだ部分)、いわゆる遊水池(普段は農地や湿原だが、降雨時だけ一時的に水を溜める空地)になっています。今回の豪雨は、この遊水池の調整容量を遥かに越えるものだったわけです。その結果が高梁川のバックウオーター水位を上げ、全面的な洪水に発展したわけです。国交省は現在、この合流点を上流に移設する工事を行っている最中だというが、何のためにそんなことをするのかよく分からない。合流点を上流に移設しても、ボトルネックとバックウオーターの問題は解決しない。
 解決の方法としては次の二つがあげられます。
1、現在の遊水池の調整容量の拡大。
 これは単に今の河川敷の面積を拡大するのではなく、開削あるいは地下貯水池を設け、調整容量を立体的に拡大するものです。
2、河川の付け替え
 これは高梁川と小田川の流域を分離するものです。方法としては小田川の下流に第二河川を設け、洪水時のみそこから倉敷側に分流するものです。第二河川としては、高梁川のボトルネックを構成する右岸山地を横断するトンネル方式になるでしょう。但しこの案の前提としては、倉敷平野の広域下水道整備が必要です。

 どちらが良いかは一概には言えません。但しここで挙げた案は既に検討されたはずです。それが消えて合流点の移設というなんとも中途半端な案に落ち着いてしまった。何故でしょう。
(18/07/12)

 未だ余韻は残っているようですが平成30年西日本豪雨もほぼ収束状態。これまでの報道を見る限り、筆者がかつて関わった(設計・調査)ことのある物件で、被害を出したものはないようだ。もし何かあれば、大変なことになるのが多い・・・本四の80mの盛土とか、兵庫県の勾配1;0,5で7段の切土のり面とか。
 さて今回の災害で一般に知られるようになったのが、ボトルネックとバックウオーターという言葉。これは元々河川屋の業界用語のようなもので、正式な学術用語ではないが、他に適当な訳語がないので、そのまま使われてきた。
 日本の平地は大きく、内陸の盆地と海岸沿いの海岸平野に分かれるが、前者は両方を、後者はボトルネックこそないが、バックウオーターの危険は何処でも含んでいる。
 筆者の住む大阪府高槻は今回こそ大した被害はなかったが、60年程前のジェーン台風で、南半分が水没するという被害を受けている。これは芥川お氾濫によるものとされるが、それも淀川の水位が上がったからである。実際は、淀川の水位が上がって氾濫しかけたところ、砂岩堤防は国道2号(当時)だから、これは切れない。右岸の高槻は未だ農村地帯だったから、ここを切ってしまえということで、高槻側が水浸しになってしまった。
 そして何故淀川の水位が上がったかと云うと、下流の茨木で、右岸から安威川が淀川に合流する。そこで淀川のバックウオーター水位が上昇したため、堤防を切らなければならなくなったのである。
 だったら、支流にダムを作って本流への流入量をコントロールすればよいじゃないか、というので出来たのが「安威川ダム」計画。ところが、下流の地元住民や「、国交省はぼったくりバーや」と云って、公共事業に非協力姿勢を掲げた大阪府知事が登場するに及んで、この計画は宙ぶらりん。おかげで高槻市民は何時洪水に見舞われるか分からない分からない状態に置かれている。しかし、肝心の高槻市や高槻市民に、危機感があるてゃ思われない。
 こういう状況は日本全国何処にでも見られる現象である。この原因の一つに下流優先という、日本独特の河川慣習がある。つまりなにをやるのでも、下流の同意が必要で、しかもそれが優先されるという慣習である。
 この結果、内陸盆地の住民は何時まで経ってもボトルネック洪水にさらし続けられるのである。
(18/07/11)

 今回の西日本豪雨で大災害を出した岡山県の真備町。さて何処かとYphoo地図で見てみると、やっぱり倉敷の北に広がる清音の盆地。この盆地のやや東側を高梁川が南流し、倉敷平野にそそぐ。10年程前、横溝正史ツアーでこの地域を訪れたことがあったが、その時この盆地はかつて洪水に頻繁に見廻れたのだろうなあ、と思った。理由は清音の駅から真備町に行く途中の高梁川の河川敷がいやに広いことである。まるで遊水池だ。その理由は高梁川が、倉敷平野に出るところ・・・丁度今の山陽新幹線が通る箇所・・・が、両方から山が迫りボトルネックになっていることである。こういう箇所は河床に岩盤が浅く現れ、いわゆる”瀬”をつくる。こういう箇所は洪水時に流速が遅くなる。そこへ上流から水が押し寄せてくる。水は狭い河道と浅い瀬に邪魔されて下流に流れなくなる。結果として背後の水位(バックウオーター)が高くなり、盆地に洪水を及ぼすのである。
 だったら、河道を広げたり、瀬を開削するなどして、水を通し安くすればよいではないか、と思うだろうがそうはいかない。そうすれば、今度は下流の倉敷平野が水浸しになる。倉敷平野を支配する倉敷藩は岡山藩の支藩で、石高は10数万石はある。それに比べ、清音藩は1万石そこそこの弱小藩。格も力も段違い。文句を言っても「まあ辛抱せえや」でおわりだ。実はこの力関係は、明治維新後どころか、平成の今でも続いているのである。
 もう一つ問題がある。昔ダイヤコンサルに居たころ、当時の岡山出張所の営業が云うには「岡山と言う処は災害がないから、県の役人にも危機感がないんですわあ」。要するにボーリングをやらない、やっても形通りのおざなりだ、と云いたいのだろう。実際筆者が若干タッチした農業団地造成工事設計では、盛土の勾配を1;1,2、安全率は1,2と、普通の土木では考えられない値を使っている。何故かと云うと、岡山県建築士協会の基準を使っているからである。また、土質試験のやり方も間違っているなど問題だらけ。低レベルの極みである。
 このように、物事の本質を理解せず、自分の都合に合わせた表面だけの御都合主義が、今回のような大災害を起こした背景にある。広島県も似たようなものだ。そこに見えるのは、とりあえずここさえ無事に過ごせれば、波風立てずに済むという無責任である。このような地方自治体の土都合主義、無責任体質が変わらない限り、今後も同じような災害を繰り返すだろう。
(18/07/08)


    これは広島県福山市の山林で生じた土砂崩壊(毎日新聞ウエブ版)。メデイアでは溜池の崩壊が強調されていますが、実態は上部の盛土で生じた斜面崩壊が溜池を巻き込んだもの。これも兵庫県の太陽光発電基地崩壊と同様、行政の盲点を突いて発生したものです。
(18/07/16)

 崩壊前の写真では盛土の下に溜池が二か所見られます。マスコミでは、溜池の崩壊によるものと説明されていますが、本当でしょうか?
 溜池の安定と盛土の安定は、本来全く別物です。何故なら、両者は別に々作られるからです。下の溜池が崩壊しても・・・地震で崩壊するならわかるが、雨で崩壊するなど俄かには信じがたい・・・上の盛土は別に問題ではない。おまけに、崩壊前の空中写真を見ると、盛土と溜池は別々に作られており、接続していない。つまり、溜池が崩しても壊、盛土の安定には影響しないということである。しかし盛土が崩壊すれば、崩壊土砂が溜池に流れ込み、堤体を破壊してしまうケースは十分考えられる。
 だから、溜池の安定より上の盛土の安定が問題なのです。ではこの盛土、何のために作られたのでしょうか?何となく産廃処理場の疑いがある。現地はおそらく開発制限区域外で、なんの規制も掛かっていなかったのでしょう。おまけに開発面積が小さいから、誰のお咎めも受けず、業者が無許可で勝手にやってしまった可能性が高い。また、それに広島県の誰かが関与しておれば、責任は広島県にやってくる。溜池の所為にしておけば、誰の所為でもなく、国や地元の責任に転嫁できる、てなところではないか。
 盲点は溜池なんかではなく、こういう何の規制も掛からない無法地帯が、住民のすぐそばにあることです。
(18/07/18)
   今回の西日本豪雨で崩壊し姫路の大型太陽光発電施設。しかし何か腑に落ちない点があります。設計ミスの可能性が疑われる。なお、こういう山林開発は、法的には何の規制も掛からない無法地帯。(18/07/15)

 この斜面は見る通り、3段のり面からなっている。崩壊を生じたのは中段の2段目のり面。崩壊面を見ると、ガリーが入っていたり、岩盤の構造というものが見られないような点から、2段のり面は土砂斜面と推定される。何故土砂斜面が生まれるかというと、この斜面全体がかつての採石場跡と考えれば説明出来る。
 採石場お場合、下から順番に掘削していく。鉱区一杯まで掘ればそれで終わりで、後に直角に近い急崖と山林だけが残される。その再開発で、誰かがソーラー基地を計画する。ソーラーの場合、最も効率的な傾斜は、南向き30゜とされる。その傾斜で斜面上部を切土し、下の採石場跡を上部斜面の掘削から出た土で埋める。
 問題はこの時、上部斜面と下部の盛土との境界に適切な排水工でおkなわれていたかどうか、である。上部斜面はソーラーだから、降った雨はそっくりそのまま表面を流下する。盛土との境界に排水工がなければ、雨水は盛土の中に、そのまま流入する。これまでの雨なら大したことはなかったかもしれないが、今回はそれでは済まない量の雨がふったのだ。盛土といえども、細かい排水工を行っておかなければならない。雨の少ない関東系の設計屋や業者は、西日本の雨に油断していたのだろう。それだけでなく、こういういい加減な盛土を認可した兵庫県の責任も問われなけれなならない。
 全く兵庫県というのは、アホの塊だ。
 
    今回の雨で崩壊した高知自動車道立川橋の上部斜面。実は崩壊地の脇にトンネル坑口があり、その坑口は高知道の概略設計の時に、筆者が決めた可能性があります。但し橋は潰れたがトンネル坑口は無事だったようだ。
 あのときの方針は、とにかくトンネル坑口を守る、長大切土のり面は作らない(せいぜい5段まで)、橋はどうでもよい、だった。それに従って、道路のフォーメーションを基本計画より20~30mほど上げた。そのおかげで、今回の豪雨でも助かった箇所は沢山あるはずです。
 なおこの崩壊は、いわゆる深層崩壊に類するものです。
(18/07/11)
    昨夜来の雨で増水した高槻芥川。府道城西橋から上流を臨む。正面は阪急京都線の橋梁。桁下には未だ余裕はあるようですが、水たたきは水没し、かなり厳しい状況。運休はやむを得ないでしょう。
(18/07/06)
   増水で堤防に避難してきたミシシッピーアカミミガメ
    18年台風7号くずれの低気圧の影響で増水した湧別川に掛かる、北海道遠軽町の「いわね大橋」。中央橋脚が沈下しています。原因は典型的な基礎地盤の洗堀です。つまり、川の水が橋脚基礎の下をくぐって、土砂を洗い流した所為です。何故こういうことが起こったか?原因は次の二つのどれかです。
1)計画時の基礎形式の判断ミス。ボーリングをやっていなかったとか、やっていても、担当者がボーリングデータの見方が分からなくて、適当にやってしまったとか、である。
2)設計は妥当でも、施工業者が役所担当者とつるんで、基礎工事を手抜きしたとか。よくある話です。例えば国道112号八溝沢橋とか。酷いのは旧国道4号鳴瀬川大橋。図面では井筒(オープンケーソン)が入っているはずだったが、実際は木クイだった。とか。
 道路橋でも東北・北海道では、昭和40年代前半以前の橋の基礎は、あまり信用しない方が良い。
(18/07/05)