長周期の波と超高層ビル

 昨年の新潟県中越地震で、東京の六本木ヒルズのエレベーター牽引用ワイヤーの一本が切断されていたことがわかり、これは長周期の波の仕業ではないか?と考えられている。これだけ見ると、長周期の波は何か特殊なもので、こういう波を発生させた、中越地震は特殊な地震ではないか?と思う人がいるかも知れないが、そうではなく今後長周期の波による地震被害が増加するおそれが懸念される。
 地震には、短周期から長周期まで様々の波長の波が含まれている。だから、長周期の波は決して珍しいものではない。短周期の波のエネルギーは遠くなると直ぐに減衰してしまうが、長周期のそれはなかなか減衰しない性質を持っている。例えば、長周期振源があるとする。その側では殆ど振動を感じられないが、数qも離れたとんでもない遠方の家が突然揺れ出すような現象が起こる。理由は波長が長いため人間、人間はその震動を感じることが出来ないからである。
 長周期の波とはどの程度の周期を定義するのか、実はよく知らないのだが、通常の地震の固有周期は0.1〜1sec(固有振動数10〜1HZ、平均数HZ)ぐらいである。だから長周期の波とはこれより周波数が1桁以上低い(0.数HZ以下)波と思えばよいだろう。中越地震での東京の震度は3程度らしかった。この程度の揺れでワイヤーが切れるわけがない。しかし、現在の震度は、上で述べた0.数secぐらいの周期領域について設定されたものである。それより長い周期領域では、エネルギーが減衰していなかったため、揺れはもっと大きかったかもしれないのである。
 これの問題は大きくつぎの二つがある。
      1)耐震設計上の不備
      2)長周期振動の問題
1)耐震設計上の不備
 現在の耐震設計基準は、上で述べたように固有周期が0.数sec程度の地震を対象にしている。これは第一世代の超高層ビル(20〜30F、せいぜい40F程度)に対応するものである。しかし、バブル期以降、規制緩和の大合唱の結果、東京を中心に超高層マンションやオフイスビルの建設ラッシュが始まった。今や50〜60F建ては当たり前で、70F建ても現れようとしている。また、これら新世代ビルの特徴は、緩和された容積率を最大限に生かすために、細長いスレンダーな構造を持つ。これだけでも、建物の固有周期は長くなる。一方これらの建物は皆免震設計をしているはずである。ところが免震ダンパーを入れると、構造物全体の固有周期は長周期側にシフトする。つまり、免震構造のおかげで超高層ビルは長周期振動に共振しやすくなっているのである。つまり、、現在の超高層建築の地震時挙動は、特に長周期振動に関しては未知の領域だということである。問題は古い設計基準をそのままにして、単純にその延長で、新しい領域に踏み込むことを認めてしまったことである。
 
2)長周期振動の問題
 この問題の一つに長周期振動の性質が十分顕かではない、ということが挙げられる。その理由はデータが不十分だということに尽きる。まてよ!日本には膨大な数の地震計があるではないか、それを用いた世界一の高密度観測網があるではないか?それで判らないとは何事だ!という批判はあって当然なのだが、そういう批判をする人間の頭の毛はやはり三本足りないのである。幾ら数を揃えていても、それが目的と一致していなければ無いのと同じ。日本の地震観測システムは当にそれなのである。長周期振動を捉えるには、広帯域地震計というものが必要である。これは値段が高い。一般に市販されている地震計は、周波数特性を先に挙げた、一般的な地震の数HZ辺りに揃え、その前後の周波数帯をフィルターでカットするものが主流である。これでは低周波地震動は捉えられないので、何時まで経ってもデータを捉えることは出来ない。今から10数年前、中米ニカラグアでいきなり津波が襲った。当時地震も何もなかったのである。しかし、その後これは低周波地震によるものと判明した。証拠を捉えたのはアラスカにあった、アメリカの広帯域地震計。その当時広帯域地震計は世界中でも300台ぐらい。日本には殆ど無かっただろう。その後、日本でも広帯域地震計の設置は進んでいるが、工学的吟味に対応するには未だ不足だということである。
 何故、広帯域地震計の設置が進まないかと云うと、長周期振動を人間が感じられないということにある。この結果、その必要性を(そもそも文科系である)官僚や政治家に説明しても、感性として捉えられないから、必要性を感じられないことだろう。何故、感じられないかというと波長が長すぎるからである。
 ある媒体の弾性波速度をv、固有振動数をf(=1/T T;固有周期)、波長をλとすると 
                   v=f・λ
 という関係がある。今、沖積層地盤の平均値S波速度v=80m/secの地盤に、一般の地震の代表値であるf=5HZの地震波が到達したとすると、その波長はλ=v/f=80/5=16mとなる。半波長8mの間で相対変位が最大になる。都市の普通の建物の幅はこれより大きいので、これなら揺れを実感出来る(揺れとは、自分が余所と違って動いていることを認識出来ることである)。では振動数が一桁低い0.5HZならどうなるか、というと波長は160m、半波長は80mとなる。これでは周囲の広い範囲が一緒に動いているので、揺れを実感出来ない。波が透過してしまうのである。だから、これまで無視されてきたのである。最初に挙げた中越地震での事故はこの例である。
 ところが、超高層ビルの一層の高層化はそれどころではなくなってしまった。60〜70F建ての建物の高さはおおよそ150〜170mである。偶然だが、長周期地震動の波長にオーダーとして一致する。
 なお、時々、地震も雨も無いのに突然、大きな石が山から落ちてくる、というような話しを耳にすることがある。これなど、ひょっとすると何らかの低周波振動が発生しているのかもしれない。
 現在、これらの地域の超高層ビルの所有者は、現代のセレブ、エグゼクテイブ、外資系企業、インチキIT・サラ金企業である。こんなのが被害にあっても、我々一般庶民や中小・零細企業は関係はない。いい気味だ。しかし、それが倒壊すると、大惨事で、いくらざまあ見ろと思っても、助けないわけにはいかない。構造物が巨大なだけに後始末には金が掛かる。税金から持ち出しだ。それに、所有者のまず半分は外人で、それも地震の経験の無い中国人や欧米人。この間の仙台の地震の時でも、東京のある英国人が地震動にびっくりして日本を逃げ出すようなことを云っていた。これが風評として広がると、小泉・竹中路線の頼みの綱である外人投資は減り、経済成長率は下がり、それどころか、再びとんでもない不良債権を抱え込みかねない。(05/09/01)


都市集中豪雨と超高層ビル群……姑息な環境行政を批判する


1、 始めに
 ハリケーンカトリーナの被害をTVで見ていて、「日本も他人事ではないぞ」と思っていたら、東京での集中豪雨。今や都市集中豪雨は不思議な現象ではなくなった。以前の天気予報では、たいてい「山沿いでは天気が崩れやすいので御注意下さい」というのが一般的だったのだが、今や「大きな街では洪水が発生しやすいので御注意下さい」と言い換えなければならなくなってしまった。何故こうなったのか?一般に云われるのが1)地球温暖化、2)それに伴うヒートアイランド現象、である。これはそのとおりで、否定する必要もない。なお、世界にはアメリカのブッシュ氏のように、今なお地球温暖化を否定する人達もいるが、こうなると殆ど宗教的信念で、まともな議論の相手にはならない。
2、 都市高温化の原因
 筆者は上記に加え3)都市の高層化を原因の一つに加えたい。最近の日本人は殆ど経験はないだろうが、竈で火を焚く時、竈の底に火種になる紙や藁を敷き、その上に薪を立てて置くのがコツ。寝かせて置くと酸素の供給が不足して火は消えてしまう。薪に火がつくと、炎は薪を巻く様に上昇し火勢が強くなる。これは薪の周りに高温の上昇気流が生じているからである。これを都市に当てはめてみよう。
 都市熱の原因には
(1) 太陽放射
(2) ビルや自動車の冷房からの排熱
(3) 自動車排気ガスによる温室効果
(4) ビル外壁からの赤外線反射
 などがある。
 都市全体の大気がヒートアイランド現象で高熱化しているとする。その中に、極端に高いビルがあると、これを伝って高温の上昇気流が発生すると考えられる。これが上空に達し、冷たい空気の層と接すると、水分の凝集が始まり、湿度が一定限度を超えると雨に変わる。これに似た現象は、火山の噴火や原爆の後の降雨がある。中世、京都で行われた降雨術もこの原理を応用したものである。但しこの程度では集中豪雨にはならない。しかし、これに別の湿った大気の流入や、上空に局所的な寒気団があれば、集中豪雨になる可能性が考えられる。
 東京を例にすると、都心の超高層ビル群の周囲に、日中高温の上昇気流が発生する。夕方、南の東京湾から湿った海風が吹き込むと、都心の上昇気流の湿度が増加する。上空に寒冷前線などの、不安定で冷たい大気があれば、北の板橋や川口方面で集中豪雨が発生する。東の房総方面からの大気の流入があれば、西の新宿、世田谷、立川方面に集中豪雨をもたらす。
 大阪の夏はいわゆる夕凪で、大阪湾からの風の吹き込みがないから、集中豪雨が発生しにくい。
 さて、現在大都市で、国土交通省や自治体の鳴り物入りで推進されている、都市温暖化対策には次の2法がある。
1) ビルの屋上緑化
2) 打ち水
 これらの方法は云われる程効果があるのだろうか?意地の悪い見方をすれば、これらは何の効果もないのに、推進している政治家の政治的プロパガンダに利用されているだけではないだろうか?この点から上記2法の効果又は問題点を検討する。
1) ビルの屋上緑化
これは、東京都から始まり、今や全国各地に広がりつつある。一定規模以上の新築ビルに屋上緑化を義務付ける条例である。緑は赤外線を吸収する性質があるし、植物の大部分を構成する水は比熱が大きいので、熱され難く、冷めにくい。だから太陽輻射による温度の急上昇を妨げる機能がある。それは良いのだが、我々の直感として、太陽はいつも真上から照らしているわけではない。大概は斜めからなのだ。だから、屋上を幾ら緑化しても大した効果は期待出来ない、と考えるのが普通。そこで、思い切りモデルを単純化して、屋上緑化が太陽熱のカットにどれだけ寄与するかを計算してみました。
 夜明けから中天までの6時間で、太陽からの入射角をθ(15゜が1時間)、ビルを高さh幅bの直方体とします。屋上、外壁が受け持つ太陽輻射量を、それぞれA1 、A2とすると
    A1=hcosθ A2=bsinθ
屋上が受け持つ太陽輻射量の全体に対する比率(寄与率)をηとすると
   η=A2/(A1+A2)=bsinθ/(bsinθ+ hcosθ)
これをh/b=1、2、5、10 の4ケースについて計算すると下図のようになりました。


寄与率が0.5以上で効果あり、と判定すると、午前中でそうなる時間帯は
    h/b     時間帯       時間幅
     1     9:00〜        3時間
     2     10:20〜      1時間40分
     5     11:20〜       40分
    10     11:40〜       20分
となり、ビルの高層化が進めば、屋上の寄与率は急速に低下することが判ります(なお、これは日照量の変化を表した者で、気温の変化ではありません。気温の変化はこれより1〜2時間程度遅れます。その理由は判りますね)。
 都市の高層化が進めば進む程、屋上緑化は云った程の効果はもたらさない、と言うのが結論です。無論、屋上緑化をするな、とは云わないが、それよりは、ビルの上1/2〜1/3の外壁を板張りにするとか、張り出しベランダを設けてそこに高木植栽を行うようなやり方のほうが、まだまし。但し、枯葉や花粉対策が別途必要になりますが。
2)打ち水
打ち水というのは、昔は夕方になると何処でもやっていたもので、別に珍しくはない。原理は水の気化熱を利用したもので、小学校か中学校の理科で学ぶレベルのもの。何処かの街で、打ち水をやると気温が0.1゜C下がったと、マスコミが大騒ぎしていたが、あれだけ大量の水を撒いて、たったの0.1゜Cでは下がった内には入らない。水を撒くのに別にポンプが要るし、ポンプを動かすのに更に電気が要る。電気を作っているところでは、逆に気温が上がっているかもしれない。日本では、特にコイズミ内閣以降、その傾向が強いのだが、東京とか一部の都市圏で効果があれば、それは正義という単純な論理がまかり通っている*。一部の地域が利益を蒙れば、他の地域に犠牲が発生する。これは、「エネルギー保存の法則」から得られる必然的結論です。列島全体とまで云わないが、首都圏全体でのエネルギー収支の計算は行われているのだろうか?それより、打ち水に使う水は何処からやってくるのでしょうか?
 さて、打ち水によって、そこの気温は一時的に低下するが、エネルギー保存の法則により、奪われた熱エネルギーは別の所に形を変えて現れる。打たれた水は、一部は地下に浸透するが、残りは熱を奪って蒸発する。その結果、上空には湿った温度の高い大気が形成される。これが高層ビル周辺の上昇気流によって上昇すると、先に述べた原理により、都市集中豪雨の原因になりかねない。
 TVでは、小池あばずれ馬鹿環境大臣が、女郎のような嫌らしい媚び笑いをばらまいて打ち水をやっている、おぞましい情景の背景に、周囲に余計な熱を放出する超高層ビルが映っているのである。こんな皮肉はない。これぐらい、打ち水政策は矛盾に満ち満ちているのだ。
3、 結論
 都市集中豪雨をもたらすヒートアイランド現象の根本原因は、都市に対する過度の人口・資本の集中である。これらは過度のエネルギー消費を要求し、消費エネルギーが増大すると、更に人口・資本が都市に集中する。それが一定限度を越すと、非可逆反応となり、結果として都市エントロピーが無限に増大し、最終的に都市の死滅に至る。
 別に東京が死の都市になろうが、スラムになろうが、こっちには関係ないが、国家の将来を考えれば、人口・資本・エネルギーの地方移転を行い、国家リスク分散を計るべきである。しかしながら現在、国の方針は全くこれと反対方向に行っている。何年も前に首都移転計画が閣議決定されたにも拘わらず、現政府は全くこれを無視している。それどころか、あの石原チンタローヤクザ都知事は、首都移転絶対反対などと、非国民的言動を弄して東京エゴイズムを拡大している。北朝鮮のミサイルが皇居に落下したとき、都知事は皇民として責任がとれるのか!
 現在の都市政策は、顕かに新自由主義に基づくものである。新自由主義とは、あらゆるものを一定の基準で秤に掛け、それが自分の欲望実現にとって価値があるかないかだけを、基準とする経済思想である。現在の価値判断基準は単に経済効果のみ。公共的意味は問題にしない。付加価値の高い土地には投資するが、それ以外は無視する。付加価値の高い土地とは、企業・資本の欲望実現に有効な場所である。即ち、政権中央に近く、人の動きが激しく、メデイアの注目を集めやすい所。そういう場所は政府の予算も獲得しやすい。それは都会である。従って、この目的には、環境とか、防災といった公共的価値観は一切反映されない。ところが、経済活動が活発な所ほど、環境や防災等公共のバックアップが必要なのである。何故なら、投資者は投資回収率を問題にするから、税金を払いたがらない。しかも、投資効率を高くするための公共投資を、行政に要求するのである。例えば、地下鉄を作れ、道路をもっと広げろ、上下水道が不十分。つまり、(現在のコイズミ自民党のように)公共を馬鹿にし、無意味と思っている連中のために、公共が一所懸命奉仕しなければならないという、皮肉な構図が出来上がってしまっている。新自由主義経済が続く限り、熱力学第2法則に基づき、都市災害の拡大は止まらない、というのが「結論」である。(05/10/07)
*これの元は、いわゆるシカゴモデルである。1980年代、財政的に破綻したシカゴ市が採用した財政再建策で、その後の新自由主義者のお手本になっている(特にIMFがこれの信奉者になっているので、世界各地で混乱を起こしている)。これの問題は、アメリカ中西部のシカゴという1都市で成功した手法を、世界中に適用出来る、或いは適用しようとする、小児病的教条主義にある。ある所で成功して手法が、余所で常に通用するとは限らない。そんな例は幾らでもある。現に、アメリカは日本で成功した占領政策を、イラクでも適用出来ると思って、大失敗している。まして、相手は自然現象である。地域の特性を見抜いて、それに合った施策を適用しなくてはならない。


護岸を土にしても東京は助からない


 10/06毎日新聞朝刊に、東京豪雨に関連して「洪水被害を防ぐためには、神田川護岸を土に戻せ」という主旨の投書があった。気持ちは判らないではないが、次の二つの理由により、これは空理・空論である、と云わざるを得ない。
1、 原因は短時間の集中豪雨である。
東京の月平均降雨量は約120〜130oである(理科年表)。先般の集中豪雨はおおよそ100o強/時間である。つまり一ヶ月分の雨が、たった1時間で降ったのである。地表が土でも、降った雨が地中に浸透するには、(これは不飽和浸透現象だから)時間がかかる。土が単位時間に吸収出来る水の量には限界があるため、短時間に降ってきた大量の雨を、直ぐには吸収出来ない。だから、雨の大部分は河川に流入してしまう。
2、効果に対しコストパフォーマンスが悪すぎる
神田川は、関東ローム台地を浸食する沖積低地の中を流れている。従って周囲は軟弱地盤である。コンクリート護岸を撤去すると、途端に岸は安定を失って、崩壊を始める。崩壊はいわゆる安定勾配になるまで継続する。安定勾配はおそらく1:2.0〜2.5(約20〜25゜)と思われる。神田川の河床高を平均3mとすると、両岸にそれぞれ6.0〜7.5m、側道を含めると、おおよそ12〜13mの土地収用を行って、公共用地を確保しなくてはならない。
 また、神田川に架かる橋梁、既存の水道・下水道・ガス等は、全て掛け替え・移設が必要である。それだけのことをやっても、流出量の改善は極僅かで、地下調整池の併用も必要である、という結論しか出てこない。
 つまり、護岸を土に戻しても、根本的解決にはならない。又、調整池方式は、調整容量に限界があるので、これも根本的解決にはならない。地下放水路として海まで延伸し、末端でポンプ排水にして、全体としての神田川の河川容量を増加させる方式に変えた方が現実的と思われる。
 なお、私個人は首都集中豪雨の原因の一部は、バブル崩壊以後、急速に進んだ超高層化にあると考えている。現在の東京都の環境対策は、あまり効果があるとは思えない。それどころか東京都の都市政策は、むしろ集中豪雨を増加させる方向に動いているように見える。洪水被害が嫌なら、東京から逃げ出す以外に方法はありませんよ、というのが私の個人的見解です。(0.5/10/19)


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