福知山線廃線ツアー

 先日孫と一緒に福知山廃線路を生瀬から武田尾まで踏破しました。20年ほど前、武田尾近くの温泉調査の帰りに、ついでに武田尾から生瀬まで下ったことがあります。今回はその逆ルートです。この廃線路はJR西日本の私有地と言うことで普通の地図には載っていません(国土地理院の地形図には載っています)。私有地だから立ち入り禁止のはずだが、現実にはハイカー・登山者が大勢歩いています。当日も山ガール・山ジジイ・山ババアに大勢出会いました。子ずれ夫婦もいました。

  写真は起点に近い宝塚市生瀬の武庫川畳岩。ここは筆者が小学生時代よくキャンプに来たところ。夏は子供で一杯だった。
 対岸の周りは淵になっており、よく遭難者がでました。溺死者の亡霊が足をひっぱるという怪談がつたわっています。当然遊泳禁止区間。
だから夏休みの日曜と言うのに誰もいません。 
  この先の道路、といっても旧福知山線の線路敷。無論車は通れません。
   武庫川の景観。急流の中に巨岩が累々と並んでいます。
 確かこの辺りが生瀬ダムの計画地で、20年前には横抗調査用の足場が組まれていたと思います。もっと下流だったかもしれない。
  最初のトンネルの坑口。断面は標準馬蹄形で、ポータルの表面は石積みですが内部はコンクリートで覆工されています。 

 
明かりの状況。枕木が残っており、いかにも鉄道線路の跡らしい。 
   途中川幅が広がったところで、水深もおおきくなっているのか、上下流の急流に比べ水は淀み、川は静かになっています。
  再び水深は浅くなり、急流河川に変化。手前の流木は先日の台風11号の名残か?
 これ以外にもところどころブルーシートが木に引っかかっていることが多いので、結構暴れ川だということが判ります。 
   この区間で一番短いトンネル。コンクリート製の洞門工です。
 何のためにこんなものを作ったのかよく判りませんが、多分山側斜面が急勾配で切土標準勾配では収まらず、かといって垂直にすると列車運行上差し支えるというので、洞門工にしたのでしょう。
  廃線区間最大の見せ場。 瀑布といってよいでしょう。思わずその迫力に圧倒されます。
   上の瀑布の近景。何故兵庫県やJR西日本はこの迫力の観光資源化を考えないのでしょうか?


 なお、この近くの渓流で鷲を見つけました。背中は黒いが、尾や羽の先は白いので天然記念物の「オジロワシ」の可能性があります。
 こんなのが見つかると「生瀬ダム」など完全に墓場行き。
  廃線が武庫川の右岸から左岸に渡るところの鉄橋。結構立派なランガートラス。
 鉄橋のうえを直接渡ることは出来ません。その横にある監査通路を渡りますが、これが薄い鉄板を張っただけの安物で、大勢が一緒に渡ったりするとヤバイ。一人ずつ別々に渡りましょう。
 体重100㎏以上の人は遠慮したほうが良いでしょう。
 
   上のランガー橋から見た武庫川河床。
 最後のトンネルかと思ったら、この先にまだ一つあって、これは最後から二番目のトンネル。ポータルは無く、覆工の上に石積があるから、明かりまきでやったと思われます。
 トンネル下半はレンガ積、上半はコンクリートでやっているようだ。

 最後のトンネルを抜けるとJR武田尾駅まで一直線。途中の道路で変わった蝶々を見つけました。羽を広げると大きさは7~8㎝、羽の色は黒く、背中は濃い紫。さてはこれこそムラサキアゲハではなかろうか?これを捕まえると金になると思ったが、まんまと逃げられた。他にオオクワガタやカブトムシもいるようだ。下流で見つけたオジロワシといい、この廃線ルート、トンネルだけでなく野鳥や自然観察にも、もってこいフィールドなのだ。

 では何故、福知山線が廃線になり、それがそっくりそのまま残っているのでしょうか?JR福知山線は昭和初期大阪鉄道会社により開業されましたが、大戦中に国有化され戦後もそのまま旧国鉄が経営していました。昔は単線非電化で、一日に何本かSLが引っ張るローカル鉄道の典型でした。筆者が覚えているのはC-15です。その後デーゼルに替わりますが、内容は大して変わらない。大きくかわりだしたのは昭和40年代後半。沿線の川西、宝塚方面の宅地開発が進み、沿線人口が増えると、阪急だけでは増加する通勤・通学客を処理できず、俄かに福知山線複線電化気運が高まり、昭和50年代初めには宝塚までの複線電化が完成した。
 一方それと平行して三田盆地でも宅地開発が進み、複線化は三田まで進むことになります。この辺りは複線電化の必要性だけで廃線とは関わりない。それと並行して進んでいたのが、兵庫県による「宝塚北部開発」計画。宝塚北部の山地を開発し、人口ン10万のニュータウンを作ろうというあつかましい構想。そこに水道を供給するために計画されたのが「生瀬ダム」である。生瀬にダムが出来れば、福知山線は水没してしまう。これでは三田との連絡は取れなくなる。と言うわけで生瀬ー武田尾間は完全別線となり、現在線は廃止となった。
 そこまでは良かったのだが、突如起こったのがバブル崩壊。この煽りを食って宝塚北部開発も塩漬け。当たり前だが、生瀬ダムも何処かへ行ってしまい、福知山線廃線ルートだけがそのまま残ってしまいました。
 
 この廃線ルート沿いの武庫川渓谷は、自然が・・・・大阪・神戸といった大都市から1時間足らずのところに・・・殆ど手付かずのまま残っています。これは貴重な観光資源です。今の廃線鉄道敷や武庫川渓流沿いに遊歩道を整備し、武庫川渓流下りなども組み合わせれば、京阪神随一の観光スポットになるでしょう?何故こんなことを考え付かないのでしょうか?それは廃線をJR西日本というドンクサイ(この点は三菱も同じ)会社が握っているからです。