大津中学イジメ自殺事件、学校の自殺

【桜ノ宮高校体罰自殺事件】 
 連日の体育界体罰騒ぎ報道。体罰を加えた顧問教師やコーチの年齢は概ね、30台後半から50台始め。 この年齢層は子供のときから、「巨人の星」なんかのスポコンアニメを見て育った。飛勇馬を鍛える星一徹の姿が脳に焼き付いているのだろう。と言うことは全ての根源は梶原一騎だ。一騎は死んでいるが、彼の創作DNAは他の作者に受け継がれ、スポコンウイルスをまき散らしているのではあるまいか?そして、体罰教師を非難するマスコミや教育評論家・スポーツ評論家、教育委員会なども、かつては体罰教師を熱血指導者と、おだててきたのではあるまいか?それが都合が悪くなると、責任を教師に押しつけて知らん振り。何だか、敗戦直後教科書を黒塗りにした何処かの国とそっくりだ。
(13/02/14)


柔道の園田がとうとう辞意表明。この裏には東京オリンピック招致に危機感を抱いたイタチのイノセが動き、それに乗ってアベがJOCに圧力を掛けたのは顕か。
 この園田、これまでオリンピックや柔道WCのような何かある毎に、テレビマスコミに取り上げられてきた。マスコミも熱血コーチと肯定的報道に終始してきた。ところが今回不祥事が発覚すると、手のひらを返したように、園田をバッシング。強きを助け、弱きをくじくマスコミ道(これは日本だけではありません。アメリカもヨーロッパも似たようなもの)の現れ。だから私は文系人間が嫌いなのだ。奴らの云うことは、何一つ信用できないから。

 大阪汎愛高校で武道授業中に、体育科教師が柔道部員をぶん殴ったことが明らかになって、橋したは大喜び。今度は汎愛高を潰してやろうと舌なめずり。そもそも前のアベ政権で武道を必須にしたときから、こういう事態が起こることは予測されていたのだ。みんなアベの責任だ!
(13/02/01)

 桜宮高校事件以来、とみにマスコミに登場するのが過去のスポーツ選手・指導者の発言。例えば野村や桑田。彼等に共通しているのが「・・・・体罰では強くなれない・・・」という良い子発言。本当かねえ?*マスコミにそう云わされているのか、それともマスコミが彼等の発言の中の、(マスコミにとって)都合の良いところだけを切り取っただけか、のどちらかだろう。
 学校体罰は旧軍隊の体罰が学校に持ち込まれた所為だという説がある。しかしこれには疑問がある。軍隊という組織は階層社会である。ここには士官・将校という上位階層と、下士官・兵という下位階層が並立している。この階層は歴然と区別されており、例え上位階層でも下位階層には口も手も出さないという不文律がある。つまり士官・将校が兵に直接体罰を加えることはあり得ない。そんなことをすれば、将校団の面汚しとして追放される(シカト)か、戦場で後ろから兵にやられる運命になる。兵に手を出すのは、同じ階層である下士官か古参兵だけである。そしてこれは日本だけでなく、おそらく世界共通の現象と思われる。
 桜宮高校事件では、上位階層である顧問教師が、下位階層である生徒に体罰を加えていたと言う点に特異性がある。さて上で述べた旧軍隊の特性に鑑みると、顧問教師は自殺生徒を、自分と同じ階層の人間・・・・つまり指導階層・・・と見なしていたことになる。又、生徒自身もそう考えていたフシがある。何故なら、顧問教師は日常的に体罰を繰り返していたにも拘わらず、退部生徒はおらず、又バスケ部生徒に顧問教師を擁護する声が多かったこと、体育科の廃止を主張した橋したに対し批判意見が多かったことなどが理由として挙げられる。マスコミや教育関係者には、顧問教師が暴君の様に君臨していたという見方が多いが、実態はそれとは逆で、桜宮高校体育科の教師と生徒との間にあったのは、階層を越えた平等主義であり、ある種の一体感でもあった。その中でこの様な事件が起こったのは何故か?ここには個々の心理学的分析が必要であり、徒に一般化してはならない。最も避けなくてはならないのは、何も知らないマスコミや、浅はかな売名教育評論家による事件のステロタイプ化である。
 体罰だけはで強くなれない、というのは本当だろう。その前に本人の資質・体力が必要だからである。しかし何故体罰を行うのか?体罰を止めて強さを維持出来るのか?体罰は別としても、何らかのプレッシャーをかけて脳のアドレナリン分泌を活性化させる方法は、プロでも日常的にやっている筈だ。特に競技スポーツではアドレナリン分泌は重要である。競技の途中で、相手にプレッシャーをかけられたとき、かつての体罰経験を思い出してアドレナリンを活性化させる効果は否定出来ないと思う。筆者は体育系ではないからよく判らないが、指導者側に体罰を止めれば弱くなるという恐れがあったかも知れない。これは体罰とニュアンスが異なるが、第一次大戦後ヨーロッパに滞在していた東久邇の宮が帰国後、「これからは機甲・航空の充実が必要だ」と意見具申したら、陸軍首脳部は「そんなことをすれば兵が弱くなる」と言って、殿下の意見を無視した、という話しがある。共通するのは「技術は身体に憶えさせる」という白兵主義である。これをクリアーしなければ、建前上幾ら体罰を禁止したところで、チーム(学校)の成績が低下すれば、どうなるか判らない。又、何処かで復活するかもしれないのである。そうなったら、松井も橋したも無責任マスコミも、その時どうするのでしょう?
*桑田や野村は根性論より頭脳で勝負するタイプだからこういう発言になる。清原や中村ノリだったらどうでしょう?清原に体罰食わせられる教師など、そうはいないでしょう。
(13/01/27)

 橋したが自殺事件を逆手に採って、桜ノ宮高校運動部の廃止どころか高校自体の廃止、大阪市立高校の廃止まで言い出した。自殺生徒の両親だって、そこまでの懲罰は望んでいないだろう。体罰事件は顧問教師の個人的資質の問題である。それを無視してきた学校や教育委員会にも問題はあるが、仮にこの顧問教師を配転したところで、そこで同じ事を繰り返すだろうし、又桜ノ宮高校の成績が低下すればしたで、それ見たことかと非難される。
 問題は公立高校に特定コースを設け、それを煽り立てた風潮にある。特にコイズミ改革以降、競争原理・・・市場原理主義・・・が公的教育の場にまで持ち込まれるようになった。その結果特定コース、特に体育系で成績至上主義を産み、今回のような事件に繋がったのである。橋した自身、市場原理主義・競争原理主義者である。その矛盾をどう説明するのだろうか?早速、市立高と府立高との再統合、不服のある校長の配転や公募制の拡充を等自殺事件と何の関わりのない政策を発表している。これは顕かな自殺事件の政治利用である。それとも府立高校全体に競争原理主義を徹底させるつもりか?そうすると、今度は生徒ではなく教員の自殺が増えるだろう。彼の冷酷さ非情さの現れである。
(13/01/18)

 今度は政務官の義家なるものが面妖な発言。この男、筆者は良く知らないし気にも留めたことはないが、何か以前マスコミで「ヤンキー先生」などともてはやされていたらしい。実績も抱負も無いものを、マスコミ人気だけで議員に祭り上げるのは、コイズミ、小沢以来の常套手段。テレビで見ると眼がつり上がっていて、如何にも元ヤンキーらしい人相の悪さ。そのまんまも議員になると、なにか目つきが悪くなっている。何故最近の国会議員は、こんなに下品になってしまったのだろうか?
 それはともかく、この元ヤンが何を言い出すかというと、「体罰に一定のルールを設け線引きする事が必要だ。そのための協議を大阪市(教育委員会)と行う」。この協議の結果は当たり前だが、全国に波及する。こんな重大問題を押しつけられる大阪市も大迷惑だ。本来は国が責任を持って基準を定めるべきなのだ。実は・・・筆者の記憶では・・・昭和40年代に学校体罰が問題になり、その結果文部省によるガイドラインが作られたはずだ。そのガイドラインをご破算にして、新たに作ろうということか?なお、ウッカリ線引きすると、返って自分で自分のクビを絞めることになりかねない。こういうラインにはグレーゾーンが付き物である。グレーゾーン内の処置は関係者の判断に任されることになる。これが不公平とか行き過ぎとかの問題を発生する原因になる。又、このライン以下なら・・・・国が認めているのだから・・・・体罰を振るっても構わない、という誤った意識を指導者に植え付けてしまう。だからウッカリしたラインなど作らない方がよいのだ。
(13/01/16)

 大阪市立桜ノ宮高校での体罰自殺で、市長である橋したが「体罰は許されない」と体罰否定発言。しかしこの男以前から、体罰容認発言を繰り返していたのではなかったか?それがことマスコミで公になると、途端に前言をひるがえし善人ぶる。これまでの発言を総括し、ボクが間違ってました、とまず自己批判し、その上で体罰を否定するのならまだしも、いきなりの体罰否定発言だから、彼の発言は信用されない。大阪の大衆は、彼に当たり障りのない善人を期待して、市長にしたわけではない。本音を隠さない悪党キャラだからだ。それが自分が不利になると察すると、途端の態度豹変、いきなりの善人常識人パフォーマンス。これじゃ約束が違うのやおまへんか?原点は大津イジメ自殺事件だろう。あの時大津市長が、あたかもイジメ容認とも受け取れる発言をして大問題・・・この市長の将来は無いだろう。このところ、ただでさえ維新の支持率は低下傾向。ここでウッカリしたことを云えば、大問題。ここは一番、アベに倣って安全運転、世論なだめ。てなところではないでしょうか?
 この件、自殺生徒の両親は、顧問教師・学校・大阪市を相手取って民事(損害賠償請求)訴訟を起こすでしょう。学校・大阪市はともかく、顧問教師は「これは教育の一環」として責任を認めず、その根拠に橋した体罰容認発言を取り上げれば、この裁判はかなりもつれる可能性もある。又、大阪市が顧問教師の解職まで至ると、これも従来の橋した体罰容認発言を盾にとって、地位保全訴訟に至るケースもある。
 要するに、橋したはこの件について、人間及び政治家としてのケジメを付けるべきだろう。
(13/01/15)

【皇子山中学のイジメ】

 週刊紙報道では、加害中学生の内一人が、転校先で早速暴力行為を起こしている。警察はあの凶悪イジメ中学生を監視していなかったのでしょうか?無論年齢、犯行事実の認定等から、この三人を逮捕拘束出来ないのは当然だが、監視下に置くことは可能なのである。そうしておかないと、この三人が被害者家族や、アンケート調査に協力した同級生に、報復攻撃を行う可能性があるからです。三人が何か意図を持って、凶器(カッターでも構わない)を持って集まったとき、凶器準備集合罪が適用出来る。しかしこれは現認でなくてはならないから、常時監視が必要なのである。
 それと判らないのが、中学校のアンケート。何故記名させたのか?もしこのアンケートが外部に出て、加害者の目に触れたら、回答生徒が将来に渉って報復を受ける恐れがある。この事件の特徴として、犯行の凶悪さもさることながら、教育(中学校、教育委員会)側の鈍感さ・無責任さ・強いものへの迎合主義が際だつのである。これは組織としてだけでなく、教職員個々にも見られる特徴である。何故、今の教師はこんなに駄目になってしまったのか?その本質は、昭和50年代以降の経済団体特に経団連の教育干渉、それに追従する自民党文教族のマネー迎合主義である。一番の問題は、本人自身が迎合主義に染まったことである。
(12/07/25)

 さてこれからの展開ですが、当事件は今後裁判という局面を迎えます。裁判は民事と刑事の2系列で進みます。民事は現在被害者少年家族が、大津市と加害者家族を相手取って起こしている、7720万円の損害賠償請求訴訟。これは大津市サイトと加害者サイトに別れるが、大津市サイトは既に市が責任を認め、謝罪していることから、訴訟手続きは問題なく進むでしょう。問題は大津市議会が、賠償金予算をすんなりと認めるかどうかだけです。当然ながら、関係者による応分負担が求められる。このとき例の鉄面皮教育長が「ワシは関係ない」と居直る可能性大。これにワルノリする教育委員会事務局職員や中学教員も出てくるはず。つまり判決は出たものの、金が取れるかどうかは別問題。支払い拒否をする連中と大津市との間に、別訴訟が発生するかもしれません。
 加害者サイトはもっとややこしい。現時点では加害者家族は責任を否定しているから、裁判はかなりもつれる可能性が考えられます。これまでの経緯を見ると、加害者側はかなりやり手の弁護士を用意しているようだ。証拠としては生徒のアンケート証言という状況証拠しかない。弁護側がこの点を強く言い立て、又裁判官がより客観的で強固な証拠を求めた場合、意外な判決が出る可能性があります。しかし、生徒のアンケート回答に大きな矛盾がなければ、証拠として採用される可能性もあります。
 刑事は民事に比べ、より厳密な立証が求められます。何故なら民事裁判の目的は、両者の和解調停にある。だから所詮、最期は金で解決。しかし刑事は、その結論は被告人の人生に拘わるからです。ここで、上で挙げたように、今のところ物的証拠も殆ど無い状態では、裁判所がより強固な証拠を求めてきた場合、検察側は苦しい状況に追い込まれる可能性があります。被告側弁護人はその点を突いてくるでしょう。これに十分反論出来なければ、意外な判決が出る可能性もあります。アンケート回答に対し、聞き取り等で十分な裏付けをとっておく必要があります。但し状況証拠だけでも、例えば和歌山毒カレー事件のように、有罪に持っていけたケースもありますから、諦める必要はありません。
 なお、本件のようなイジメ自殺事件が発生する要因としては、昭和55年の文部省通達が大きいと思います。これによって、従来刑事事件で処理されていた暴行・恐喝等の校内犯罪が皆イジメになってしまった。そして、文部省や教育関係者は、イジメを単なる子供間のトラブル、通過儀礼的に捉えてしまった。これがイジメをエスカレートさせてしまった。こういう事件を再発させないためには、文部省を始めとする教育関係者だけでなく、父兄もイジメは犯罪である、という認識を徹底しなければならないのだ。
(12/07/17)

 この頃マスコミを賑わせるのが、大津市皇子山中学校イジメ自殺問題。よく判らないのが教師アンケートの背景。事件発覚後、学校側が生徒と教師にアンケート調査をしていたことが判った。生徒側アンケートでは、かなりの数の生徒がイジメがあったと認識していた。しかし教師側はイジメに気がついた教師は誰もいない。その後の聞き取りで、教師もイジメがあったとは判っていたものの、誰も表立ては口に出さなかった。この点から教師側アンケートには何らかのバイアスが掛かっていたことは間違いない。誰がかけたか?校長に決まっている。この場合も1)校長が独断で指示した、2)上からの指示に従ったの2ケースが考えられる。
1)のケース;随分昔だが、多発する校内イジメに対し、文部省がイジメ撲滅令を出した。具体的にいうと、イジメの数の削減である。毎年各学校にイジメ件数を報告させ(数値目標の設定)、前年より件数が減っておればOK、減らなかったり増えたりすれば、校長にはペナルテイーというもので、まるっきり今の橋した教育カイカクそのもの。その結果、見かけのイジメ件数は減った。しかしその実態は、イジメを単なる遊び・ふざけ・ケンカで処理しただけの架空報告だった。これがある事件をきっかけに実態が暴露され、文部省も前記の通達を撤回した。途端、イジメ件数は元に戻ってしまった。この通達は表向きはとっくの昔に効力を失っている。しかし、当事者達の頭の中には、深く刷り込まれているのである。
 中学校校長といえば、地域では名士である。定年後の人生も約束されている。しかし、在任中にイジメがあったことが発覚すれば、その地位からたちまち転落。下手すりゃ地元でも村八分状態になりかねない。これはイカン、とにかくもみ消さねば、というわけで職権をかさに教員に圧力を掛けた。
2)のケース;校長に圧力を掛けられる立場としては、(1)教育委員会、(2)PTAの2者が挙げられる。田舎中学校長としては、このどれかに睨まれると身動きできない。ハイハイと云うことを聞くのみである。
(1)教育委員会;教育委員会を実質的に動かしているのは、委員会事務局の長である教育長である。教育長は官僚に過ぎないが、教育委員会とは独立した存在で、実質的に地域教育行政を指揮・統制する。現場の教職員にとっては絶対の存在である。しかも彼は上手く行けば、将来市長や県会議員の芽もなくはない。しかし彼にも泣き所がある。その一つは県や国の行政機関である。これに睨まれると、今後の人生がなくなる。またPTAも重要である。これに睨まれ、上位権力(県教育委員会とか市議会)に垂れ込まれたり、それがマスコミ等を通じて公になると、将来の芽は無くなり、1)と同じ運命を辿る。従って、配下の学校にイジメトラブルが発生し、それが表に出そうになれば、断固としてこれを封じ込めねばならない。その結果が校長へのバイアスになる。
(2)PTA;校長にとってはこれも怖い存在。最近は物言うPTAが増えているから余計だ。特に今回は、主犯格少年Aの親がPTA会長だからなおさらだ。PTAに睨まれると、問題は単に学校現場だけでなく、教育委員会や議会へと次々拡散していく。一校長の手に負えなくなるのである。従ってこれは、実質的にPTAによる校長へのイジメである。そのイジメが怖いから校長は教員にバイアスをかける悪循環となる。

 では、どの可能性が一番高いだろうか?筆者は今のところ、2)ー(1)教育長からの校長への圧力が一番高いと考えている。まず事件発覚後、言を有耶無耶にしていた大津市当局が、イジメの存在を認め謝罪した。次ぎに学校も同様に謝罪した。警察も動いて、事件は大津署から滋賀県警本部マターになった。只の民事係争ではなく、刑事事件になってしまったのである。大津警察署長としては大失態になる。しかし加害者及びその家族を除く関係者の中で、唯一責任を認めず裁判で争うとしたのは、あの鉄面皮教育長のみである。筆者は、あの鉄面皮がこの事件をもみ消そうとしたのが、問題を拡大した原因と考えている。事件拡大の鍵を握っているのは、あの鉄面皮教育長である。
 被害者家族は過去3回警察に被害届を出したが、その都度受理されなかった。しかし、幾ら何でも、同一家族から三回も被害者届けを出されて、無視していたとは考えられない。おそらく学校か教育委員長に照会したところ、この教育長から強く拒否されたのではあるまいか?
 又、このイジメがなぜ発生し、且つエスカレートしているにも拘わらず、校長以下誰も何もしなかったのは何故か?これには少年Aの親がPTA会長だったと云うことが、大きく影響していると考えられる。Aをウッカリ注意すると、それが母親を通じて校長に伝わり、報復を受けるという警戒心が教員心理に働くのである。これが全ての始まりである。Aとしては少々のことをやっても誰もなにも云わないから、それに味を占めますます行為がエスカレートしていく。なんでもそうだが、始めが肝心。会社でも政党でも、創業時の社長や党首の方針がいい加減だと、その会社・政党はズーットいい加減になる。
(12/07/16) 



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