中国四川省の地震

 


この地震で1000数100q離れた北京でも、揺れが感じられたと言うことが話題になった。これについて日本のある地震学者が、「原因は震源が浅いためで、その結果表面波がより強く伝わり、長周期振動となって遠距離まで到達したのだろう」と解説していたが、それはちょっと違うと思う。震源深さ10qというのは直下型地震としてはノーマルな値だし、地震のマグニチュード7.8というのも小さくはないが、吃驚するほど大きなものではない。直下型地震の典型的なものである。日本では平成7年兵庫県南部地震の場合、揺れが感じられたのは名古屋付近までで、関東地区では殆ど感じられていなかった。中越及び中越沖地震では関東地区では揺れは感じられたものの、京阪神地区では殆ど感じられなかった。距離的にはそう大きくは変わらない。この差は何に帰するのだろうか?私は震源深さの影響を全く否定はしないが、そのような表面的なものより地質構造の差が大きいと考えている。
 地震波の内、最も地震被害に寄与するのは長周期の表面波であるが、これは主に地殻表層の比較的軟らかい部分(第四紀層や新第三紀層)を伝わる。兵庫県南部地震の場合、それは大阪層群と呼ばれる地層が大部分を占める。ところが大阪平野の周りには、六甲、生駒、大和高原といった山地がある。これらは花崗岩などの岩盤で出来ている。第四紀層を伝ってきた表面波はこれらの岩盤にぶつかると、一部は反射し一部は透過する。又ある物は岩盤の周りを迂回する。その都度エネルギーをロスする。従って、短距離で地震波エネルギーが減衰するので遠方迄揺れが伝わらない。
 一方中国ではどうか?下図は同じくトウ、ワンによる華北平野の模式的地質断面図である。震源はこの図の遙か左、北京は図中VWの中間あたりと考えて良いだろう。

図3-2を見る通り、成都西方の震源地を出発した地震波の内、北東に向かったものは、途中幾つかの隆起帯に阻まれるものの、図3-8のT付近で華北平野に到達する。ここでは第三紀〜第四紀層が1000〜4000m近い厚さで延々と続いているのである。後は一瀉千里。こういう場合は地震波のエネルギーはなかなか減衰しない。従って、長距離でも地震波が伝わるのである。
 地震波の減衰には距離減衰説と、それに反対する説との対立がある。中国の様に地質構造が単純な場合は、単純距離減衰則が成り立つはずと考えられる。一方地質構造の複雑な日本では、大阪平野とか濃尾平野、関東平野などの狭い範囲では距離減衰則は成立するが、それらを含む広域場ではもはや距離減衰則は成立せず、個々の地質構造を考慮した個別解析が必要となる。
(08/05/15)

中国四川省でそこそこの地震(M7.5・・・M7.8という情報もあり、どちらがどうか判らない。M7.5とM7.8とでは地震エネルギーとしては大違い。たった0.3の違いではないのだ)が発生。
 右の写真はグーグルアースによる震源地付近の衛星写真。写真右下は四川盆地、左上はチベットー青海地方に連なる山岳地帯である。両者の境界が右上(NE)-左下(SW)方向に延びる直線状の崖で特徴づけられることに注意!又、左上の山岳地帯にも、その東部では上記の崖に平行な直線状の谷が多く発達する。これを「竜門山断裂帯」と呼ぶ。これの東縁、平野との境界は明らかに活断層である。
 なお、震源位置は未だ正確な報道が無いので、とりあえず当てずっぽう。しかし、震源が活断層上にあることは間違いない。

 下の図はトウ起東、ワン一鵬(中国国家地震局、当時。いずれも姓は現代中国略字体なので日本語ワープロソフトでは検索出来ない。その点をご容赦を)による中国ネオテク図である(トウ、オウ「中国復活変動帯」;アジアの変動帯」藤田和夫教授退官記念論文集、1984)。この本はそのときは、卒業生だからと言って高い金で買わされてと思って殆どツンドクだったのだが、こんな時に役に立つとは思いませんでした。藤田先生に謝ゝ。なお、今もこの当時も中国は社会主義体制下であったことは変わりません。社会主義体制とは、社会活動のあらゆる場面に国家の承認が必要だ、ということです。と言うことは、以下の図面も中国政府の承認を受けたもの(言い換えれば中国政府の意志を反映したもの)と理解しなければならない点に注意!

 図3-2は中国大陸のネオテクブロック図です。この図では各ブロックをTn、Unと言うように区分しているが、このT、Uが何を意味しているのか、論文に全く説明が無いので私にもさっぱり判りません。北西側のU8(西コンロンー四川西部ブロック隆起)とU26(四川中部ブロック隆起)との境界は顕著な北東ー南西方向の構造体で、これを竜門山断裂帯と呼んでいる。震源はこの上にあたる。
 中国大陸南部の地形上の特徴は、西端にパミール高原があり、そこから東に向かって高原が連なる。各高原は西から東に向かって傾斜する傾動地塊であり、それぞれの境界は階段状に変化し、それに伴いモホ面もステップ状に変化する。大陸中部東方には平原と起伏に乏しい山地が繰り返し現れる。四川盆地はその一つである。今回の地震を引き起こした竜門山断裂帯は、西方の高原地帯と東方の平原地帯との境界を作る。従って、その地形学的、地質学的重要度は非常に大きい。

 図3-5は中国大陸活断層分布図である。これを見ると、中国大陸には活断層が殆どないかまばらな地域(安定域)と、活断層が密集する地域(活動域)とが併存していることが判る。成都のある四川盆地とその東に広がる地域は代表的な安定域である。一方安定域の周囲には多くの活断層が互いに平行しながら帯状に安定域を取り囲んでいる。
 チベット高原から東に延びる活動域はその最大の物で、これは四川盆地の西で南の雲南、ミャンマー方面に延びる地帯(ネオテク地区図ではU9トグラー四川、雲南ブロック隆起)と、そのまま東に延びるゾーン(U24泰嶺ブロック隆起)に分かれる。竜門山断裂帯は丁度、両者の境界断層に当たる。日本ではどれに当たるでしょうか?四川盆地を大阪平野に例えると、六甲ー有馬・高槻構造線に相当するものか。
 これらの地質構造の形成過程や、それと今回の地震との関係は、既にあちこちのマスコミで報道されているし、これからも聞き飽きるほど聞かされるので止めておきます。

 さて、この二つの図面は、実は非常に重要な事実を示しています。しかし、それに気がつく人は殆どいないでしょう。図面の右下に小さな図面が貼り付けてあります。これは南シナ海の地質構造図です。ここはフィリピン、ヴェトナムと中国が、互いに海底資源の権益を巡って係争中の海域です。中国がこの海域の地質構造図を出版していると云うことは、中国はこの海域の主権を主張していること、仮に三カ国共同開発となっても、中国は権益を手放さないぞ、という意志表示でもある。
 一方台湾の北を見てみよう。ここでは南西諸島は無論、尖閣列島も表示されていない。更に重要なことは今日中間で係争中の東シナ海についても全く触れられていない。このことは、当時の中国が尖閣列島や東シナ海に対し、主権を主張しないという意志表示なのである(我が家の近所に大連出身の中国人オバハンがやっている中華料理屋があって、一度食べに行ったとき、大連に帰省したのか、壁中に中国全図と言うのが張ってあった。それを見ると、日中国境は台湾と尖閣諸島の間に引かれていたのである)。実際尖閣列島問題が吹き荒れた時でも、騒いだのは台湾や香港当たりの、一部の民間愛国団体(日本では普通右翼と言う)なのである。中国政府が正式に領有権を主張したことは一度もない。但し上記の図が作成、公布されたのはトウ小平の時代、尖閣列島で日中間が険悪になったのは江タク民の時代。江タク民がこの風潮を利用して、反日感情を煽った可能性はある。今の胡錦濤政権が江タク民の真似をするはずがない。何故なら、胡錦濤も温家宝も文革世代で、下放を経験した世代。結構つらい体験をしているのだ。一方の江タク民はそれをやらせた世代。互いに怨念がある。
 時代は異なるが、一度でも政府管掌の図面が国内外に出れば、それはその国の正式意志表示と見なされる。その点で、地質関係図面は国家の独立、意志表示と言う点で極めて重要である。日本でも維新後、最初に作った法律が「鉱山法」、最初に作った役所が地質調査所(現在の産総研)、最初に出来た学会が「日本地質学会」。その重要性を理解している政治家が今の日本には殆どいない、ということが問題なのだ。資源調査を無視してきた国に明日はない。
 この図から読みとれるのは、中国は少なくとも1980年代までは東シナ海に対し、自分の主権を主張する意志は無かったということである。問題は日本側がそれにどう対応してきたかである。相手が何もしなければ何をやっても構わない、それが資源の世界。中川昭一のようなチンピラに対中交渉を任せたからこうなった。いやそれ以前に日本の資源外交を誤った人間は大勢いる。その中のA級戦犯として、小泉純一郎と堀内光男の二人を挙げておこう。この二人はアメリカの圧力に屈して、日本の資源探査能力を放擲した。この点で、逆さ磔(ハリツケ)か火あぶりの刑が相当するだろう。石川五右衛門にならって、釜揚げの刑も良いが、二人とも痩せていて美味くなさそうなので止めておこう。(08/05/15)


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