吉本・ジャニーズ問題と芸能界


 今のテレビはどのチャンネルを回しても、ジャニーズ記者会見とNGリストのことばかり。ことの発端は会見を仕切った広告会社のスタッフが持っていた封筒からはみ出た書類に「氏名NG]とあったのを、NHKの記者が撮影し、それをニュースで流したもの。「氏名NG]というのは、「指名NG]とするのを変換ミスしたのだろう。最近の人間は字を知らん。それはともかく指名NGリストや逆指名リストなど、きいていてまるっきり「昭和の株主総会」だ。指名NG記者は野党総会屋、逆指名記者は与党総会屋といった役割だ。
 この指名リストの役割について、元大阪差府知事の橋下は、危機管理上リストは必要だ、と広告屋を擁護。彼自身会社の倒産整理などで、株主総会を仕切る側にあり、NGリストを付くていたのかもしれない。或いは府知事・市長の記者会見で、アンチ維新のメデイア・・・例えば週刊文春、週刊新潮や日刊ゲンダイなど・・・の追及を受けることがあったので、それでメデイア・・・特に週刊誌・・・は敵だ、という発想になったのかもしれない。そもそも記者会見と危機管理を結びつけ、NGリストを作らなければならないのは、本人の性格が悪くて敵が多いからだ。天罰テキメン、身から出た錆びだ。
 しかし、一私企業と地方自治体とでは会見の重みが違う。幾ら大きいといってもたかが一芸能事務所の会見で、出てくる質問・・・政治家がらみなら別だが・・・などたかが知れている。しかし大阪府・市となると、中には公共予算の執行に絡む問題も出てくる。橋下にとって指名NGにしたい気持ちだろう。ジャニーズ問題と同列に論じてはならない。それとも、橋下がかつて狙っていた橋下・松井ナントカという会社も、今回出てきた外資系広告屋と同じ、記者会見仕切りも営業種目に入れていたのか?
(23/10/06)
 

 相変わらずネットやメデイアでは、ジャニーズ問題が大きく取り上げられている。他に取り上げるような問題もないので、暇つぶしにこれを取り上げる。
 この問題で筆者が関心を持っているのは次の2点である。
    1、マスコミのジャニーズ事務所への忖度。
    2、一部国内企業がジャニーズタレントを用いたCMの解約を表明したこと
1、マスコミのジャニーズ事務所への忖度。これはタレント起用をジャニーズj事務所に丸投げしているか、或いは強要されたケースである。その延長としてメデイア特にテレビの、ジャニー喜多川の性加害問題の報道スルーがある。この原因として挙げられるのは、テレビ芸能界におけるジャニーズ事務所の圧倒的寡占体制である。これは第一の要因だが、筆者は別に政界筋の圧力があったのではないかと考える。
 当たり前だが、ジャニーズタレントの圧倒的な人気、ジャニーズ事務所の圧倒的市場支配力、これに目を付けない政治家、政党が無いはずがない。そしてジャニー喜多川の「日本会議」を通じた、保守政界への広い人脈を考えれば、マスコミが少々のことを黙ってしまうのもあたりまえだろう。仮に報道が番組で取り上げようとしても、芸能部門は当然反対するし、政治部から目に見えない圧力が加わる。ジャニー喜多川事件そして今回の問題について、自民党も、保守政界、右翼言論人が黙っているのが、その証拠だ。
2、この問題に関し、一部国内企業がジャニーズタレントを用いたCMの解約を表明したことについて、一部特に芸能関係者から、行き過ぎだとか。タレントの人権はどうなるのか、とあたかも企業側の責任を追及するような声が上がっている。これこそが、日本社会中でも芸能界の非近代性、後進性を物語るものである。
 ジャニーズタレント起用を拒否した企業の言い分は外国投資家への影響を考慮したもの。今の時代これはやむを得ない。東証一部上場株の6割りは海外投資家によるもの。また、上場企業の中でCEOが外人というのも珍しくはない。今の日本の代表的企業は、海外目線で活動せざるをえないのである。そういう環境下でジャニーズタレントをCMに使っている企業は、投資家からどういう目で見られるか? 「日本の会社はタレントじゃなく外国のほうばかり見ている」と云った芸人がいるが、そういう人間は世界に於ける人権問題と企業スタンスとの関係がまるっきり分かっていない。
 ではCM等を切られたタレントはどうなるか?忽ち起こったのが、タレントの生活保障問題である。結論を云えば、スポンサー企業はジャニーズタレントの生活保障に責任を持つ筋合いはない。責任は一義的にジャニーズ事務所にある。その間の契約がどうなっているかが問題なのである。
 スポンサー企業がタレントと直接契約することはない。世の中には、企業がタレントと個人で契約すればよい、というのがいるが、それは一部上場企業の場合は寄付行為となるので、事実上不可能。したければ、タレントが独立して法人格を取得する必要がある。
 契約は大きくは(1)企業と制作会社(テレビ局、電j痛などの広告代理店)、(2)企業とジャニーズ事務所などの芸能プロダクションの2通りがある。タレントは一般に芸能プロダクションの支配下にあるから、スポンサー企業や広告代理店との接点もない。つまりジャニーズタレントの将来は、ジャニーズ事務所が責任を持たなければならないのである。上で挙げた芸人の言い分は、全くの筋違いである。
 そして今ジャニーズタレントが決めなくてはならないのは、このまま芸能界に残るか、堅気になるかである。小さいときから芸能界にいた人間にとって、後者は辛い。ではどうすればタレント人生を送れるか?選択肢は次の三つ。
 (1)このままジャニーズ事務所に残る
 (2)他のプロダクションに移籍する
 (3)単独或いは数人で独立する
 これらのうち(2)(3)は故人でも仕事がとれるとか、確実なファン層を掴んでいるとかいった、所謂実力タレントである。さてそえがどれだけいるか?ジャニタレの実力が試される時だ。
 それと、もう一つ大事な点は、ジャニーズ事務所とタレント個人との間の契約関係である。おそらく全くないか、あっても一方的にジャニーズ事務所に有利な片務契約で、タレントは何も知らないままハンコを推してしまっている可能性のほうが高い。この点が日本の芸能界の後進性・前近代性を物語る。今回の事件を契機に、メデイアと芸能事務所、芸能事務所と所属タレントとの関係を、より近代的なものに持っていく必要がある。
 なお、この事件について、全て裏を知っているはずの副社長が出てこないのは何故か?
(23/09/18)

 創業者の性加害騒ぎで散々のジャニーズ事務所だが、今度は新社長の東山に若いころのパワハラ疑惑が浮上。本人は「あったかもしれないし、無かったかもしれない」と惚けているが、やっていたに違いない。又一部には「若気の至り」と擁護するむきもあるが、ことと次第では「若気の至り」では済まない場合もある。仮にそれがジャニーズタレント全体に広まり、常態化しておればなおさらだ。ジャニーズ事務所は、芸能事務所ではなくタコ部屋だ。只の「若気の至り」ではなく、集団暴行事件になる。
 そもそもジャニーズ事務所に感じるのは「体育会系」気質である。タレントを個人ではなくチームで売り出す。チームの中にリーダー、スターなどの序列をつくり、その序列の中でチームの秩序を作る。体育会系集団の特徴は、個人よりもチーム・組織の団結を重視する。そのため上意下達の構造が生まれる。これ位企業や団体にとって便利なものはない。
 この体育会系風潮が日本全国に広まったのは、昭和50年代。その前の40年代は70年安保闘争や全共闘運動の影響で、日本全体が左傾化した。企業でも入ってきた新入社員は全共闘クズレが多く、組合活動も先鋭化する。一方折からの円高で生産力強化を諮らなければならない経団連が、政府に「直ぐ使える人材を」という要望を出す。この際、口先ばかりうるさく仕事をしない全共闘系より、頭は少々悪いが上には従順で無理がきく体育会のほうが便利と、新入社員には体育会系を優先採用するようになった。この結果、企業社会にも体育会的縦系秩序が生まれるようになる。その代わり強固な縦系社会は個人の自由な発想を疎外するから、優秀な人材・・・特に自然科学系・・・の海外流出を生み、全体としては日本の国力低下を招く元になった。
 もともと芸能界・スポーツ界は縦系社会だった。そういう社会では上司から部下、先輩から後輩へのパワハラ、セクハラは当たり前だったのである。体育会系要素の強いジャニーズにパワハラがないはずがない。むしろパワハラをやらないと、「逆にお前は後輩に甘い」などと、上司・経営者に叱責されるのだ。又パワハラはジャニーズ事務所だけでなく、他のプロダクションにもあるはずだ。それを云いだしたら、それこそハチの巣つつく騒ぎになるだろう。
 故ジャニー喜多川による性加害は喜多川の特異な趣味によるものだが、その他のジャニーズタレントによるパワハラ事件は、むしろジャニーズ事務所が作る体育会系雰囲気が作った構造的なものと考えたほうが良い。
(23/09/11)

 先週はテレビを付けるとジャニー喜多川性加害報道ばかり。ワタクシはこんなことに興味は無いので概ねパス。ジャニー喜多川は「日本会議」発足時の初期メンバーで、黛敏郎、都倉俊一・・・現文化庁長官、統一教会との関係も噂される・・・、石原慎太郎、浅利慶太らと並んで同会議文化・芸能セクターの主要人物だった。元インドネシアスカルノ大統領夫人デヴィ*が、嫌にジャニー喜多川を擁護するのも、その縁かもしれない。彼女もまた日本会議メンバーだ。
 性加害問題は加害者と被害者との個人的な問題で、強要があったとしても刑法上は親告罪になる。これは事実の立証その他を考えれば、被害者にとってメリットはない。そもそも訴訟に謳えた場合、時間はかかる経費も掛かるで、被害者にとってメリットはあまりない。それより、示談で補償を勝ち取るのが有利だろう。
 それとは別に明らかになった問題は、ジャニーズ事務所とメデイア特にテレビ局との関係である。これには1、ジャニー喜多川の性加害が最高裁でも認定されたにも拘わらず、意図的に報道を避けた隠蔽行為と、2、ジャニーズ事務所がテレビ局に、所属タレント起用を強要したり、ジャニー喜多川が気に入らないタレントの起用を避けたりと、唯々諾々とジャニーズ事務所の要求に従ったこと、の2点である。
 筆者はこれらのうち「2、ジャニーズ事務所所属タレントの意図的な起用」の方が重要と考える。この背景には、テレビ番組、中でもミュージック系タレントはジャニーズ事務所が圧倒的シェアーを持っていることがある。その力を背景に番組の編成・構成にも大きな影響力を及ぼした。
 これは数年前、世間を騒がした大阪の吉本興業事件とよく似ている。どちらもその業界で、タレント・芸人のガリバー型占有率を持っていた。それを忖度してテレビ局がいいなりになった。
 このような、市場における商品の供給を、特定の企業が支配し、市場競争が行われなくなることを「市場の独占」といい、通常は独占禁止法という法律で取り締まられる。かつての吉本興業や今のジャニーズ事務所が行ったことは、当に市場の独占行為なのである。この独占状態が、事務所とタレント・芸人関係を強く縛り、今回のような重大な人権侵害事件を惹き超す。
 これを防ぐためには、芸能界にも独占禁止法を適用し、特定企業によるタレント・芸人の独占、ひいては特定企業による番組制作への干渉を防ぐべきである。又そうすれば白波瀬のようなモンスターを作ることもない。昔、大林組にナニワの談合王と呼ばれる実力専務がいた。建設業界だけでなく、大林社内でも陰然たる力を持ち、誰も逆らえない。逆らうとすれば筆者ぐらいか。無論逆らえば即クビだが。大阪だけでなく、関西の大型公共事業の受注調整を一手にやっていた。ところが関空土取り場談合で捕まって、大林を退職。その後、大林社内だけでなく。大阪建設業界の風通しが随分良くなった。但し今の維新一強体制で、どうなったかは知らないが。
*彼女はジャニー喜多川を「選ばれた人間」と評する。選ばれているから何をしたって構わないんだ、という訳だ。そして本人自身、自分は「選ばれた人間」と思っている節がある。確かに彼女は「選ばれた人間」だ。では誰が、何のために選んだのか?それは当時の日本は岸内閣。インドネシア賠償は岸の縄張り。代理は三菱商事(だったと思う)。インドネシア賠償利権のため、三菱商事が人身御供に選んだのが当時キャバレー「ミカド」のトップホステスだった根本某後のデヴィ・スカルノ。
(23/09/08)

 吉本がクビにしたはずの芸人11人の復帰を発表。但し田村は別、加藤とも和解はせず。この11人はっきり言えば末端の末端。吉本にとってみればどうでも良い存在。どっちみちこんなことになるだろうとは思っていた。要するに大山鳴動ネズミ一匹に収める事が重要。世間にはこういうことを危機管理の成功例ともてはやす評論家が多いだろう。しかしこれは大間違いである。
 昭和天皇述懐録では、昭和天皇は敗戦の根本原因は、昭和三年の関東軍による張作霖爆殺事件で責任者を処罰せず責任の所在をあいまいにしたことである、と断じている。この傾向はこれだけで済まず、昭和六年の満州事変、その後の515事件にも受け継がれ、遂に軍部独裁を招いてしまった。
 今回の吉本処分も同様だ。真の責任者は会長の大崎、社長の岡本、それに追随する幹部達なのだがそれには全く手を触れず、末端芸人だけを槍玉にあげ、更に恩着せがましく処分解除で済ましてしまった。こんなことをしていると将来又同じことが繰り返され。
 なお吉本騒動と戦前の軍部独走騒動に共通するものとして、無関係者がマスコミを通じて世論操作を行ったことが挙げられる。例えば島田紳助や上沼恵美子らによる吉本擁護発言。対して515事件裁判では読売新聞などが決起士官擁護記事を書いて世論どころか軍法会議の判決まで操った。
 吉本問題の裏には関西闇社会がある。今回の有耶無耶処分で、関西芸能界と関西闇社会との関係が闇に葬られるだろう。そしてそれでだれが一体誰が一番得をするのか?今大阪市役所や府庁の奥でニタニタ笑っている連中の顔が目に浮かぶ。
(19/08/20)

 世の中には〇〇ご意見番というのがいる。大体が現役を離れてン10年、その間何処からもお呼びがかからず、テレビや週刊誌に単発で余計なことを喋っているジジババ。その代表として筆者が挙げるのは、男ならプロ野球ご意見番の張本勲、女ならさしずめ上方お笑い芸能評論家の上沼恵美子といったところか。今回はこの二人を取り上げて料理する。
 張本勲、この男昔からつまらんことをネタに挙げて”喝”などとやっていた。最近の”喝”問題は例の大船渡高佐々木投手の岩手県大会決勝問題。監督は投球数の過剰を挙げて不出場を決めたが、これに対し張本は「怪我が怖くて野球ができるか」と、旧軍隊並みのナンセンス”喝”。これに対しダルビッシュ有が連戦の問題を取り上げ張本に反論。これに張本がダルをチンピラ呼ばわりして再反論。
 筆者自身はダルの主張が正論で、張本こそ時代遅れナンセンスの極みと考える。こんなアホがでかい顔をしていたから日本は戦争に負けたのである。
 張本自身、現役時代怪我を恐れず野球をしていたか、というとはなはだ疑問。名球会で生涯打率3割超、3000本安打という輝かしい記録はあるが、その2/3はドラッグバントという卑怯な手。
 そもそも弱肩、鈍足、守備が下手という野球不適格三拍子揃った人間が野球をやるのだから、ろくなことはない。守備位置はレフトだったが、まず守備をしない。レフト線に打球が飛んでも守備をしない。レフト方向の外野フライでも自分は打球を見ているだけだから、センターが取りに行かなきゃならない。
 1アウト1、2塁なら普通はライト方向に犠牲フライで打者を進めるのが常道だが、彼はそんなことはしない。いきなりバントをやる。すると1、2塁ランナーは飛び出さざるを得ないから、三塁ホースアウト、ゲッツー。当人だけは1塁で知らん顔。結果は内野安打で打率はアップ。張本とはそういう人間なのだ。だからあんな奴のいうことを真に受けてはならない。
 女の代表は以前は和田アキ子だったが、最近は上沼恵美子という淡路出の玉ねぎババアらしい。先日昼食時に何げなくテレビを見ていると、何やら妙なオバハンが大声で吠えている。内容はというと、全部は見ていないのでわからないが、ワタクシが聞いた限りでは「あんたら(芸人)が食える様になったのは誰のおかげや、みんな吉本が舞台やなんやらを用意してくれたおかげやないか!」と吉本べったり。
 さて本当でしょうか?昔の漫才世界は師弟制で、素人の時から才能があると認められたもののみが師匠への弟子入りを許される。1、2年の内弟子生活の後一本立ちとなる。その間の寝食は全て師匠が負担する。一本立ちとなっても最初はよちよち歩きだから、当面小屋主やテレビ局への売り込みも陰で師匠が口利きしている。だから師匠や、最初に舞台を提供知ってくれた小屋主」に頭が上がらないのは当然である。
 ではこの師弟制を潰したのは誰かというと、当の吉本興業である。確か昭和45年頃、初めて師匠を持たない漫才師が誕生した。それがオール阪神巨人」である。現在ではむしろこれが主流である。師弟制を潰した後吉本が導入したのが自前の芸人養成システム。即ち吉本漫才スクールとテレビ芸能を組み合わせたお笑いビジネスである。さてここでどんなことが起こるのでしょうか?
1、芸人の商品化 ;ビジネスである限り商品は必要である。古いタイプの漫才界ではネタが商品で、芸人はその表現者だった。しかし芸能にテレビという大量情報消費システムを組み合わせたために、芸人そのものが商品になってしまった。当たり前だが、企業にとって売れる商品は売りまくる(サンマやダウンタウン」などがその例)。一方上行きの悪いものは倉庫の隅に置かれる。たまに注文が増えて商品が足りなくなったときに、倉庫の隅の芸人を押し込むのである。その場合のギャラが250円というわけだ。上沼が言うように吉本が舞台を用意するわけではない。全ては需要と供給の関係で進められていくのだ。
2、素人とプロとの垣根;これは昔は極めて高く、よっぽどの覚悟と能力が無ければ、そう簡単に芸人になれるものではなかった。しかし吉本の芸人養成システムのお陰で、誰でも芸人に登録できるようになった。しかもこのシステム、漫才を覚えるのに授業料が必要なのである。この点を上沼は完全に誤解している。上沼の時代は師匠が弟子を食わせていた。今の吉本では芸人希望者が金を出して吉本を食わせているのだ。
 以上張本と上沼恵美子について所見を述べてみたが、両者に共通するのは、現在のパラダイム転換が理解できず、過去に対するノスタルジーに浸って、現代の若者にイライラしているだけということだ。何となく韓国の文在寅大統領と似ている。張本の言い分など、今はICテレビの時代なのに真空管テレビの感覚で野球を見ている。
 こういう只うるさいだけで電波を食い物にするご意見番こそ、さっさとあの世に行けばよい。老害の何物でもない。空気と時間の無駄遣いである。
(19/08/07)

 「太平の眠りを覚ます蒸気船、たった四杯で夜も眠れず」、これは1853年ペリーの浦賀来航時の幕府の慌てぶりを皮肉った狂歌である。闇営業と反社会的勢力との関係で世間の糾弾を受けた二人の記者会見があったのはつい最近だが、昨今の吉本興業の慌てぶり混乱ぶりは、この当時の幕府のそれに匹敵する。
 それと同様が関東のジャニーズ事務所。公取から注意を受けるや、アンチジャニーズ評論家排除に向けてテレビ局に圧力。両方とも自分で自分の首を絞めているのに気は付かないのが共通している。
 この問題、メデイアや世間は芸人個人の問題、あるいは芸能プロと芸人・タレントとの関係と矮小化してとらえるが、筆者は背景に芸能プロ業界vs公取の戦いがあると考えている。
 芸能の歴史を論ずると本が一冊書けるが、大きくは宗教芸能と娯楽芸能に分かれる。娯楽芸能とは要するに大道芸である。日本で大道芸が小屋掛けで定期興行ができるようになったのは17世紀江戸時代初期。この時期に歌舞伎も相撲も神事から脱皮して大衆化・興行化に以降した。
 ヨーロッパでも日本でも大衆芸特に喜劇は政治・政府の風刺・批判にアイデンテテイーがあったわけで、いわば庶民のフラストレーションの受け皿でもあったのである。
 ところが今の吉本やジャニーズ事務所にそんな気概が感じられるでしょうか?吉本と云えば新喜劇。喜劇というものは、途中にどんな理不尽・不条理があっても、世間の情けによって必ずハッピーエンドで終わるものである。
 同じ新喜劇でも古い松竹新喜劇はこの原則を踏まえている・・・だから若者には若干荷が重い。一方の吉本はそんな原則クソくらえで、ひたすら無意味なギャグの連発。挙句の果てはアベ晋三という、なんの芸もないド素人を舞台に引き上げて受けを狙うという邪道までやる。吉本も昔の岡八郎あたりが作演出をしていた頃まではそうではなく新喜劇の原則を踏まえていた。今のストーリーより無思想ギャグ重視路線にシフトしたのは、今の大崎ー岡本ラインが実権を握って以来だろう。
 ジャニーズでも同じで、本来ロックとかニューミュージックとは体制批判ミュージックで、例えば例えば矢沢永吉にしろ忌野清志郎にしろみんなそうだ。しかしジャニーズミュージックだけはそうではなく、体制翼賛ミュージックだった。「世界にたった一つの花」なんて我々世代に言わせれば、インターナショナルでも歌ってろ、だ。
 SMAP解散の時、わざわざ官房長官が「国民的アイドル」なんて持ち上げたのも、ジャニーズ喜多川へのヨイショだろう。選挙も近かったから。つまり吉本とジャニーズに見られる最大の共通点は、その巨大さ故のガリバー性だけでなく、著しい体制翼賛性で、これは本来の大衆芸能の筋にもとるものである。そしてこの体制翼賛性が今の混乱をまねいているのである。
 事は公取との関係である。まず吉本問題発端は所属芸人が吉本に無断で仕事を受けたこと、そしてその相手が特殊詐欺グループだったこと。これはマスコミ的には大ごとかもしれないが公取には関係はない。但し警察特に二課か四課は興味を持つだろう。次に吉本会長が云わんでもよいのに、ギャラは250円や、契約は口約束や、これまでのやり方を変えるつもりはない、てなことを口走ったものだから、吉本芸人からギャラの取り分は9:1や、何年も前のギャラが未だ支払われない、てな話が出てくる。どこまで本当かは分からないが、これも公取は関係はない。しかし国税は興味をもつ。つまり甲乙間で経費のやり取りに対する客観的記録がなく、算定基準も曖昧だ。これは脱税の温床になっている疑いがある。
 公取が興味を持つのは、吉本やジャニーズ事務所のような巨大芸能コングロマリットがテレビ番組制作にどのような影響を与えたか、芸能資本とメデイア資本との関係はどうかである。吉本がテレビ番組やイベントでタレント・芸人の起用について圧力を加えたかどうかは、その立証のための一里塚に過ぎない。
 無論、この立証は極めて難しく簡単にはいかない。更に吉本もジャニーズ事務所もアベ官邸始め要所要所に手を打っている。ただこれまでの公取法違反事例・・・例えばゼネコンやメーカーの談合・・・を見ると、ばれるのは大体内部告発からである。内部告発といっても正義感からではない。要するにタレコミ、それもライバル会社を蹴落とすための同業者からのタレコミである。
 在京キー局5社の団結力はそれほど強いとも思われない。ここで公取が伝家の宝刀・・・不正競争防止法・・・を抜けばへなへなになる局も現れる。そのあたりからのタレコミを待てば、証拠は向こうからやってくる。なお在京のMというデブのオカマタレントが、何かの拍子に「公取」なんて何よ」なんて余計なことを言ってしまった。これだけでこいつの知能が小5並みだということが分かった。
 日本には規制三官庁というのがある。国税、労基そして公取だ。これの特徴はとにかくしつこいということだ。一旦目を着けられると簡単には忘れてくれない。何時までも覚えている。そしてこっちが忘れたころに又やってくるのだ。
 昔々、筆者の知り合いの某大手コンサルに国税の調査が入って、その後設計部長に聞いた話では、その後何度でもやってくるらしいのだ。ほとほとお手上げ。つまりジャニーズも吉本も、今後何かにつけて公取から聴取を受けたり、色々嫌味をやられることは覚悟しなくてはならない。公取だけなら良いが、これに国税が加わると余計ややこしくなる。それはテレビ局も同じだ。ジャニーズに立ち入り検査があったあと、吉本が出した改善計画なんて、あんなもので許してもらえると思ったら大間違い。その後、日テレが吉本が文書で質問状をだしたが、こんなもの八百長もいいところ。要するに、芸能界もテレビ局も今自分が置かれている立場がどんなものか、わかっていないのである。この勘違いが、今回の吉本騒動の本質である。
(19/08/03)

 ある吉本タレント(今はそこそこメジャー)によれば、過去では三年間吉本からの仕事は4件しかなかったらしい。その間どうやって食っていったかというと専らバイト。この比率で行けば、バイトが本業で、吉本こそがバイトなのである。つまり吉本の仕事がなくなってもバイトをやっていければ食うには困らないということだ。
 吉本興業は所属芸人6000人と豪語するが、その実態は上記芸人と変わらない。これは所属というより単なる登録である。登録なら他社の仕事を直営業しても何の問題もない。例えば官公庁は指名業者登録を受けなければ業務受注は出来ない。民間でも大手企業では協力会社登録しなければ業務を発注しないことが多い。だからといって、他の役所や会社の仕事を受注してはならないという規制はない。もしそんなことをすれば公正取引法違反で発注者側が摘発される。吉本の所属芸人他社業務禁止圧力は公正取引法違反の疑いが極めて高い。
 事件発覚後、吉本興業は当該芸人を解雇すると云った。では雇庸契約はあるのか、と問われるとあれらは自営業者で雇庸契約はないといい、更に毎日新聞の突っ込みに対し、会長はギャラに関してはこれまでのやり方は変えない、全てはマネージャーとの信頼関係だ、口頭でも契約は成立すると居直った。ところがSMAP問題でジャニーズ事務所に公取の手入れが入り、注意を受け更に吉本契約問題にも言及されると途端にへなへな。
 二日後ぐらい後に吉本は改善計画を出したが、これがお粗末でやれ第三者委員会を作るとか、企業コンプライアンスとか、こういう企業不祥事が起こると必ず出てくるワンパターン。その中で契約を文書で交わすなどというのもあったが、吉本の大崎会長自身が契約とはどういうものか分かっていないから、いずれ同じことを繰り返すでしょう。
 さて問題はそれからだ。最近の傾向として、吉本派の芸人やマスコミを使っての吉本擁護発言。特に関西では8ch(関テレ)、10ch(YTV)が著しい。昼のワイドショーにはひな壇に吉本芸人をずらりと並べているのだから、吉本への忖度は明らか。
 この結果、加藤らアンチ吉本らの行動は圧殺。さてこういう動きの裏に何があるのでしょうか?通常会社側は次の二つの手を使います
1)会社擁護派を使ってアンチ派への攻撃を進め、彼らを孤立化する。
2)一見会社批判すると見せかける一派を使って、逆にアンチ派を抱き込んだり、分裂をはかる。
 後者は一見分かりにくいが過去にはいくらでも例はある。例えば国鉄民営化後、動労を握ってJR東日本経営陣にすり寄り、国労潰しをやってJR東日本労務担当重役に上り詰めた松崎とか、旧日産労組を握って日産を食い物にして、日産をルノーに売り渡した塩路とか。
 さて現在の吉本で、誰がどうなのか、賢明な皆さんはもうお分かりでしょう。彼らが云うのは「吉本をつぶしたらあかん」「吉本をつぶしたらみんな終わりや」という根拠不明の泣き落とし。冒頭に挙げた例でいうと、6000人とも云われる末端芸人のほとんどは実は吉本が潰れても食っていけるのである。
 例えばバイトをしながらストリート漫才をするとか、お笑いバーでコントをするとか。その中で誰かの眼・・・インスタのようなSNS・・・にとまればメジャー入りも可能になる。高槻は昔からジャズや何かの大道芸には寛大だ。アルプラザの二階には貸しステージもある。そういうところを利用すればよい。そうなって一番困るのは、吉本オンリーのベテラン芸人・・・誰とは言いませんが・・・、そして吉本興業自身なのである。
(19/07/28)

 公正取引委員会がジャニーズ事務所に続いて吉本興業にも注意。ジャニーズの場合は退社タレントに対し営業妨害の疑いがある事、吉本の場合は芸人との契約がない事自身が、憲法で禁止されている力の差による片務契約の疑いがあること。筆者はこの背景に国税の陰があると考える。契約書を交わさないということは、ギャラの領収書も出さない、貰わないということだ。つまり吉本営業で最大のコストになるはずのギャラ(外注費)の出入りが曖昧だということだ。
 無論公取が何を云おうと、吉本特に会長の大崎は意に介さないだろう。又テレビマスコミも吉本怖さに何も言えないかもしれない。しかしスポンサーサイドはそうはいかない。公正取引法違反ギリギリのことをやって、おまけにコスト計算根拠が曖昧な会社に業務委託をすれば、それこそ反社会的行為と云われかねない。これがきっかけに消費者マインドが低下すれば売り上げ減少業績悪化だ。吉本よ、どうしてくれるといわれかねない。
 サンマや松本のような大物なら独自の税理士で税務対策をやっている。末端のそれこそン千人ともいわれる駆け出し芸人など、そのギャラなどゴミみたいなものだから国税は無視する(徴税効率が悪い)。一番狙われるのが今回槍玉に上がった宮迫とか田村のような中堅芸人。
 しかし本命は彼ら芸人ではない。むしろ吉本本体の税務体質だろう。但しここでまたもや忖度が働くかもしれない。例えば今吉本は大阪府(といいうより維新)と関係を深め、先月の衆院補欠選ではアベを新喜劇に登場させた。秋に予定される総選挙で吉本パワーを利用しようという算段だろう。この結果、吉本の懐具合は闇に消えるのである。そしてそれを握っているのが今の大崎会長。島田伸介が会長が辞めれば吉本は潰れる、というのは本当だろう。しかしあんな会社は一回潰れた方が良いのだ。
(19/07/24)

 たかが芸人二人に牙をむかれてたちまちへなへなになる吉本興業。サイテーの会社だね。社長もダメだがもっとダメなのは会長。あんなアホが会長をやっている限り、同じことは又起きる。毎日新聞のインタビューで彼曰く、1)ギャラ250円は今後も続ける、2)会社の取り分9割りは笑いを取るために云うとるだけや(但し吉本がナンボ取ってるかは云わず)、3)文書契約は今後もしない。口頭契約でも成立するのは凡例がある。全てはマネージャーと芸人との信頼関係や。4)反社会的勢力との繋がりについては、既に決意表明(紳助事件の時か?)もしておるし。芸人100~200人ずつ集めて講習会もやっとる。何かあった時はマネージャーに連絡すれば対応する体制になっとる。 要するにこれまでのビジネスモデルは変えないということだ。
 この中で一番笑ってしまったのは4)の講習会とマネージャーとの連絡のくだりである。講習会というのは、学校でいう授業である。しかしその授業についていけなかったり、嫌で嫌で仕方なかったのが入るのが芸人の世界。そんな連中にいくら授業をしても、直ぐに出て行ったり居眠りだ。又吉本ではマネージャー一人当たり70~80人の芸人を受け持つと云われる。そんな状態で期目の細かい管理が出来るわけがない。それを真面目に喋るのだから、当に吉本的ギャグを地でやっているようなものだ。
 そういう強気を押し通せたのも先週まで。昨日には社長がいきなりテレビに出て来週記者会見を開きますと表明。この間5分足らずの間に4回頭を下げていた。
 一体なにごとが起きたのでしょうか?一つは当の芸人が吉本を辞めることについて弁護士を立ててきたこと。弁護士が間に入ってくると、表に出したくないことが明らかになる恐れがある。もひとつはやっぱりスポンサーサイトからの圧力。スポンサーというのは法律がどうこうより。消費者目線でものを考える。これから見ると、これまでの吉本の目線と消費者のそれとのずれが大きすぎたということだろう。
 吉本の会長始め経営陣はあまりにも過去の・・・大正末・・・成功例に溺れすぎ、現代のネット社会というパラダイム変化の意味を理解できなかったのだろう。
(19/07/22)