「宮城県北部地震」外伝
余り公式サイトでは載せない情報です。


    関西人にはなかなか判らない仙北平野の地盤…「宮城県北部地震」外伝
                          技術士 横井和夫
1、 始めに
 宮城県仙台市北部の丘陵地帯と石巻市北部山地に挟まれた、鳴瀬川・北上川流域に発達する低平地を「仙北平野」と呼ぶ。2003.7/26仙北平野で発生した地震を正式に何と呼ぶのか知らないが、インターネットで試しに「宮城県北部地震」と入力すると、ウェブサイトが出てきたので、一般にはこの名前で通用すると思われる。この地震の詳細は既にインターネットに多数掲載されているので地震学的な点は筆者が改めて解説する筋合いの物ではありません。映像を見ると今回の地震で発生した建物の損壊状態が阪神大震災当時の伊丹〜宝塚地域のそれにそっくりだったのが非常に印象的でした。ここでは、この点をヒントに今回の地震について余り公表されていない点を幾つか断片的に取り上げて見ましょう。
2、 震源について 
 主な地震は7/26未明から夕方5時前の3回起こっている。夕方6時の報道で各地震の震源が映像に現わされていた。震源は南北に直線に並んでおり、誰が見ても本地震は南北性の断層の活動である。それまでの新聞では、例えば7/26毎日新聞朝刊では海洋プレートの沈み込みに対応する「双発性地震」のような解説が掲載されていた。「双発性地震」とはどういうものか聞いたことが無いので誰か教えてください。もし、プレートの沈み込みで上盤が引きずられて地震が発生するなら、断層は正断層になるはずなのだが、地震解析の結果は皆逆断層になっている。まあ、これはどうでも良い話なのだが。
 筆者が今から27~8年程昔、仙台に居た頃読んだ資料では、この辺りには「活褶曲」というものがあって、その向斜軸部に大きな沼が出来るということだった。だから震源が南北方向に並んでいる映像を見て思わずそれを思い出してしまった。翌日の新聞を見ると震源になったのは「旭山撓曲」という構造だそうだ。まあ、そういうのがあっても不思議ではない処です。
3、 地盤について
 或るニュース番組で名前は忘れたが何処かの大学か研究機関らしいエライ人が「…この辺りは軟弱地盤なので被害が広がる…」というようなことを云って居た。かつて仙台に住み、仙北平野も縄張りの一つにしていた身には、これはちょっと違うんじゃ無いか、モノがよく判っていないのじゃないかという感がするのである。
 仙北平野が軟弱地盤であることは間違いない。例えば鳴瀬川流域の小牛田(コゴタと読む)や湧谷(ワクヤと読む)当たり(なお、色麻はシキマではなくシカマと呼ぶ)の田圃でボーリングをすると楽に40m位軟弱地盤が続いてその後基盤岩に達する。真にボーリング屋にとって有り難い土地です。しかし、人が住んでいるところは別なのである。町のある処でボーリングをすると、頭から砂礫や岩盤が出てきて、大体10mで終わり。つまり、基盤岩(概ね北上川から西は新第三系、東は利府層と称する三畳紀層)の起伏が激しく凸凹になっているのです。基盤の凹部に軟弱地盤が堆積し、凸部は丘陵や台地になる。25000分の1位の地形図で仙北平野を眺めると、その中に集落が固まって点在していることが判ります。そして集落付近の微地形を詳しく見ると、周りの平地より僅か高くなっています。これが基盤の凸部に対応します。つまり、人間の住んでいる場所は軟弱地盤中の岩盤(とそれを覆う洪積段丘層)突出部の上なのです。イメージとしては下の画のようなものです。

 今からおおよそ2万年昔のウルム氷期にはこの辺りには広大な谷底平野が形成されました。平野の中や周囲には浸食に取り残された部分が部分的に突出しています。その後地球が温暖化すると海面が高くなり、約6先年前の縄文海進期には平野は全て水没します。この過程で海の中に前述の厚い軟弱地盤が堆積します。その中に基盤岩の突出部が島のように浮かんでいたのです。こういう島に縄文人が移り住んでいたとしても不思議ではありません。その後地球は再び寒冷化し、おおよそ2500年前にはかつての海は陸地に代わります。しかし、一面の湿地帯でとてもヒトが住めるような状態ではありません。ヒトは相変わらずかつての島(台地)の上に住みます。これが現在見られる集落の原型なのです。その後湿地帯は稲作農業の適地として一面の水田に変貌し、今ではササニシキの本場になりました。反面、この過程はヤマト政権による東北征服の歴史でもあります。
 関西の農民は目先の欲につられてすぐに田圃を売って現金に換えますが、東北の農民は頑固で旧来のライフスタイルをなかなか変えません。田圃は何時まで経っても田圃です。
昔々、仙台松島道路といって、仙台から石巻に向かう地方高規格道路が計画されました。大きくは湾岸案と内陸案があったのですが、内陸案の一つとして、基盤岩突出部を伝う案を考えたことがあります。多分駄目だったでしょう。あの道路はどうなったのでしょうか。
4、 仙北平野での被害パターン
 映像による建物の損壊の状態は強い鉛直力で建物が押し潰されたようなパターンが見られます。これは阪神大震災での伊丹・宝塚地域の損壊の状態と非常によく似ています。
 被害というものは人間の生命・財産が強制的に奪われる現象です。従って、被害の発生は人間が住む処に限られます。仙北平野の中でも軟弱地盤の部分は相変わらず田圃のままだから地震がきても被害にはならないのです。無論、歴史時代には奥州街道や現在の国道4号が整備されその周囲にもヒトが住み着くようになるが、全体としては大したことはない。
 仙北平野で被害が発生する場所は軟弱地盤の中に島のように浮かぶ岩盤突出部に限られます。伊丹・宝塚地域は洪積台地で地盤は大変良好な場所です。だから今回発生した損壊の状況が伊丹・宝塚地域と似ていても不思議ではないのです。(終わり)


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