まだあった疑惑(山田さんの手記から)

 トップで紹介したように山田修さんは中学40回の卒業で、創立80、90、100周年記念事業の役員、100周年のときは記念誌編集委員長を担当されましたが、100周年の時に執行部と意見が対立して役員を辞任されました。最近山田さんから当時のいきさつを記した詳細な手記を頂きました。その内、特に問題が大きいと考えられる業者選定部分を抜粋して紹介します。
 但し1)原文は筆記ですが、ワープロ文体に改めます。2)文章も不要と思われる部分は省略し、出来るだけ簡単に事実が伝わるように書き改めます。例えば、山田氏個人の感想・鬱憤の類は省略しています。3)某事業部長(中39)は手記では実名ですが、本人の名誉もありここではイニシャルで表現します(と言っても判る人には判るでしょう。石原イニシャル発言も今じゃTは竹下、Aは青木、Iは飯島なんてのが週刊誌やインターネットでおおっぴらになってる世の中ですから。要するに気は心といった程度です)。但しその他の人や企業名は社会的地位や責任を鑑み実名で表現します。4)原文に省略があったり、一般人には解りづらい部分には横井の責で注釈を入れています(文中青字)。(横井 記)


山田手記の抜粋

・・・・・・前半は記念誌編集事業のやりとりで、会館建設には関係が無いので省略します・・・・・・・
1)1999/1/11実行委員会
 「山田修氏の創立100周年記念事業についての提案(文書配布)」に一同は異議はなかった。以下に再度記す。
 a)緑窓会館(80周年記念館を増改築し、ミニセミナーハウスにも利用出来る施設とする)を建築する。
 b)よい設計者(50代で名の通った人)を選定し、早急に設計に入ってもらう。
 c)業者は2〜3社の指名競争入札とする。
 d)完成時期は2002年の3月とする。
 以上、いずれも守られなかった。
2)1999/7 白雪本社での会議。欠席者が多かった。
 〇A役員;今夏の緑窓会報上で設計者を公募する。 
 〇山田氏;応募者が殺到し、その選定に困る。誰が審査するのか。期間がない。最終的には会長の責任になる。
 〇小西会長;沢 良雄氏(東大卒、伊丹こうろ館、伊丹斎場の設計者・・・・1)を受けて会長・小島校長には7月初めに山田が沢氏の話をしておいた)ならロータリークラブでよく知っている。間違いのない人物だ。
 これを受けてA役員はやっと納得し「会報上にその旨を書く」と約束した(小林副会長が出席)。この結果は見事に破られた。
(解説)以上のやりとりだけなら、一般人は公募を主張するA役員の方が民主的で、特定人物を推す山田氏の方が「腹に一物あり」と思ってしまうかもしれない。実は「公募」というのが曲者で、公募に名を借りた裏談合や闇特命は幾らでもあり、利権獲得の温床にもなっているのである。以後の経緯から察するに、A役員は予め自分の意に添わぬ設計者を排除するために、「公募」という手段を主張したと考えられる。何故なら、業者選定を決定するポストさえ手に入れれば、「公募」を隠れ蓑に自分の意に添う設計者や業者を選定することなど簡単だからだ。いつぞやの大阪市清掃局平野工場建設工事汚職が、当にこの方法で行われたのである。
3)1999/7〜8
 沢氏が学校側に何度も設計状況を打診するも、A役員はその責を田中先生(県高)に被せ、無回答が続いた。沢氏は学校側から80周年記念館の図面を借り、模型まで作りつつあった。
4)1999/9
 A役員より「沢氏の状況を知りたいので履歴書、経歴書、作品集等を提出せよ」と連絡を受ける。同時に「山田の口から沢氏を説明して欲しい」とのこと。山田は事業委員会に出席し、説明した。
 説明が終わるや否や「あとはこちらで決めるから、あんたは直ぐに退場してくれ」といわれ退出する。
(解説)これ自身は問題ありません。公共事業でも、設計担当者が業者決定に加わることは、採決の客観性に疑問をもたれるから、当事者を退出させるのはよくあることです。
5)1999/9
 山田は危機感を推知し、「今までのA役員・山田のやりとりのメモ」を作成「した。これを長谷川副委員長に手渡し、次回の会議で議論して欲しい」と申し入れたが、無視された。・・・・中略・・・・なお会長にはもっと早い段階でA役員の解任を文書で進言していた。これも無視された。
6)1999/10
 A役員は「俺は部長にならない」と前から明言していた。以後、説明は田中先生が代行していた(何の説明かは説明がない。役員会への事業の進捗状況のことか)。A役員は何時の間に部長になった。
7)2000/月不明
 ある委員会の席上で、突然に西川氏(設計者)が私(山田)の前に座った。
 山田;この人は誰?
 A役員;今度の設計者や
 山田;設計者が何時の間に決まり、それが即実行委員になったんか。筋を通して欲しい。
 A役員;設計者に対し失礼なことを云うな。
 山田はビックリした。他の委員も疑問に感じられた筈・・・・他の委員は二人のやりとりを眺めているだけで、一言の援護も無かった。
 後で、山田「沢氏はどうなったのか」、A役員「おれはあんなエリートは虫がすかんさかいやめたんや」。無茶苦茶な暴言にあきれ果てた。
 その後、山田は沢氏宅にでかけ平謝りにあやまった。
(解説)東大出身者には、いかにもエリートを鼻に掛けた嫌な人間が居るのは事実だが、それは一般にいわゆるキャリアと呼ばれる行政職国家公務員に多く見られる。ただし、こういうタイプは東大の専売特許じゃなく、京大・北大他にも居る。筆者の経験では、沢氏のように独立した技術者とか理工系の研究者には、むしろ「これが東大か」と思うような気さくな人が多い。従って、A役員の評価は客観性を持たない。只の学歴コンプレックスだろう。
8)業者の特命発注は疑惑そのもの
 億単位の請負は数社の競争入札が常識である。彼(A役員のことか)はとくとくと竹中工務店の立派さを喋ったが、そんなことは彼以上に山田が熟知している。竹中工務店本店の設計部長クラスはみんな懇意である。U設計部長は「今回の工事はタテカエ(竹中)工務店になるよ」と助言してくれた。要は、何故競争入札にしなかったのか、を聞きたかった。
 80周年記念館(4000万円)でも4社の競争入札で株建設が落札した事実を彼(A役員のことか)は知っているのか。設計者は先輩の建築家、監理者も先輩の建築家だった(先輩とは山田さん個人の先輩のことか、卒業生のことか判らないが、文章の意図から見て後者と考えるのが妥当でしょう)。過去の歴史を知らぬポット出の素人部長(これもA役員のことだろう)に何が分かろうか、と思った。
(解説)7)、8)が疑惑の核心に触れる部分ですので、後ほど総合的に検討を加えます。なお、阪神大震災の後、湾岸地帯で竹中工務店設計・施工の物件が多く被害を受けた。その基礎工法を見ると、何となく素人臭い・・・というか、理屈はその通りで文句は云えないのですが・・・・という気がしたのは確かです。大学院生の卒業制作か、という印象。

                      ・・・・・・・・・・・・・・・以下は100周年記念誌の話題になりますので省略します・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


(検討)
1、緑創館建設構想は初めからあったのか?
 我々は、本事業が初めから、2億のハコモノから出発したと思っていたのですが、当初はもっと・・・既設建物の増改築という・・・健全な計画もあったということが判りました。それを主唱したのが山田さんで、山田さんもてっきりこの線で行くと思って(少なくとも1999/7までは)、設計を非公式に沢氏に依頼していた。ところが、7月の役員会で妙な意見が現れ、更に9月役員会では、会議の議決から山田さんが外される事態になりました。この点から1999/7以前に、役員会の中に山田さんとは異なる構想を持つグループ(A役員が中心・・・以下これを「彼ら」と呼ぶ)が形成され、1999/9にはそれが役員会の主流になっていた、ということでしょう。
 この点は、今回の問題を考える上で非常に重要です。(1)役員会の全会一致であれば、一般同窓会員も彼らに信任を与えている訳だから、一半の責任を負わなければならないかもしれない。(2)しかし、当初、別構想があり、且つ2億のハコモノ反対意見があった、ということは、全会一致原則が崩れたということです。つまり、資金不足の責任は、推進派役員がとらなくてはならない、ということになります。
 そして我々一般同窓会員にとって、最も不可解なのは、バブルも跳び不景気になったあの時期に、一体誰が、何を意図して、2億のハコモノを計画したか、です。
2、設計者選任プロセスの問題
 2000年のある役員会で、山田さんはいきなり西川という設計屋に会わされて面食らった訳ですが、これもそれ以前の状況を見ると合点がいきます。つまり、1999/7役員会でA役員が設計公募を主張したことです。設計公募のインチキ性は既に2)の解説で述べていますが、沢氏の名前が候補に挙がっていることを知って、「彼ら」の側が慌てた、と考えられます。A役員は事業が始まった時から、2億のハコモノ・業者は頭の中にあったのでしょう。
 では彼らの(沢氏を外す)意図とは、何だったのでしょう。2億のハコモノというのは一つの建前であって、本当の意図は別にあった、と考えるのが世間の常識というものです。何故なら、会館の新築が同窓会全体の意図であれば、沢氏もそれを拒む理由はないし、逆に役員会が沢氏を忌避する理由もないからです。彼らは、この事業に、始めからある利権を期待しておって、設計者には特別な役割を担って貰うことを意図していた。彼らは沢氏がその役割には不適当と判断し、替わりに西川という設計屋を連れてきた、というのが実態でしょう。
3、西川と竹中工務店との関わり
 では、誰が西川という設計屋を連れてきたのか。手記でも不明ですが、筆者個人は竹中工務店の可能性が一番高い、と考えています(本店サイドじゃなくて、現場が動いたという可能性も無論否定出来ません)。何故なら
1)山田さんが竹中のU設計部長と会ったとき(時期は明示されていませんが、2000年のある時期)、U設計部長から「今回の工事はウチのものだ」と明言されています。このことは、本工事の業者選定が、相当以前から(おそらく山田さんがそうと気付くはるか以前から)行われ、事実上竹中に決定していた。
2)竹中なら彼らが意図する、特別な役割を果たす設計屋ならいくらでも抱えている。
3)同窓会報に示されている決算報告からは、本工事で設計変更が行われた形跡が伺えない。この点から西川は、竹中の事実上のロボットと見なされても矢無を得ない。おそらく、詳細設計は竹中が行い、西川は学校への説明や建築確認のための、役所相手の使い走りに使われていただけでしょう。建築ではよくあるパターンです。
4、竹中工務店と役員会との関わり 
 この点で最も疑惑を生みやすいのは、山田さんが手記の8)で、筆者も回答書で指摘しているように、2億の工事を特命随契で発注していることです。山田さんも筆者も指摘しているように、2億程の工事は、数社の競争入札が世間の常識というものです。それを怠り、竹中に特命随契としたのは、裏に何らかの利権が動いたと疑われても矢無を得ません。上記の竹中工務店U設計部長の自信ありげな談話から、竹中は既にトップに食い込んでいたのは間違いない。竹中工務店は緑窓会館建設計画を何時・何処で・誰から・どのようにして知ったか、U設計部長が「今回の工事はウチのもの」と云えるようになったいきさつ、が疑問として残ります。誰が業者を決定したのか、それが重要です。筆者個人の見解では、小西会長自らが決定し、それを竹中工務店に伝え、A役員はその意図を受けて動いたに過ぎない、と考えています。そうでなければ失礼。
 緑窓会は任意団体であり、決算内容を監督官庁に届ける義務もないし、第一監督官庁そのものがありません。従って、極端には役員のやりたい放題になるのです。筆者が回答書で指摘しているように・・・というより、伊丹の人間なら誰でも知っているように・・・竹中工務店と白雪酒造(小西会長の出身母体)とは特別な関係にあります。2)で指摘した設計者と施工者との関わりを含めて考えると、ここには発注者ーー設計者ーー施工者を繋ぐ一連の環があった、と考えられます。A役員はこの環の影のフクサーとして行動したのでしょう。一般に、よい仕事をしようと思えば、これら3者の間に、適度な緊張感が生まれる必要があります。しかし、本件の場合、3者が繋がっているために、悪く云えば「馴れ合い」が発生する可能性が高くなります。この場合、どういうことが発生するかと云うと、次のような事態です。無論、この工事で実際にあった、といっているのではありません。しかし、一般にはそうなる可能性が高いという意味です。
    (1)手抜き工事
    (2)水増し請求
    (3)過大設計・過剰設備・不要工事
 残念ながら(竹中工務店や西川にとっては幸いに)、緑窓会役員にはこれらをチェックする能力はありません。根拠不明の伝票や請求書を示されても、「ああ判った」といって判子を衝くだけが能なのです。それすらもしていないかもしれない。
5、まとめ
 全体を見渡したとき、緑創館建設プロジェクトは、「緑窓会に名を借りた、小西(白雪酒造)による、竹中工務店救済事業」という感が拭えないのです。そしてこれが、全体の流れを最も上手く説明出来るモデルです。こういうものに一般同窓会員が協力する必要も謂われもないでしょう。又、役員会にしても竹中工務店にしてもいずれ、本工事受注過程を全て明白に公表することが必要になってくるでしょう。 (横井 記)



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