伝統のまやかし


横井技術士事務所
技術士 横井和夫


 やや古い話題だが自民党の二階がいきなり女帝、女系天皇容認を言い出した。無論これには自民保守派から猛反発だ。そもそも女帝、女系天皇は旧民主党らリベラル派からの主張で、これに共産党まで乗っかるから、とうとう共産党も君主制を認めたのか、と妙な感心。これだけ見ると自民党主流もリベラル化かと感じられるが、実態はそうではあるまい。おそらく長州(=アベ晋三)による皇室乗っ取り作戦の一環ではないか?
 仮に愛子女帝が誕生したとして、その配偶者が問題である。ここにアベ家、岸・佐藤家他長州血脈を押し込めば、万世一系は崩れ長州王朝が誕生する。かつて桂小五郎、久坂玄随ら長州ヤクザ愚連隊が画策した天皇の長州拉致計画が、ここに合法的に完成するのである。今竹田宮の後裔である竹田ナントカが女系反対運動をやっているが、意外にこのあたりに本音があるのかもしれない。
  新天皇即位後、従来にない頻繁な首相内奏・・・その大部分はわざわざ天皇に報せる必要もないものだろう・・・や、即位礼、大嘗祭に見られる過度の首相露出など、内閣というよりアベが天皇を自家薬籠中のものにしたい思いがありありだ。これを防ぐには皇室会議の機能を強化し、政治の介入を防ぐ手立てを作ることだ。
(19/12/08)

 政府は今回の大嘗祭を古式に則ってと説明するが、古式に反する部分も多くある。中でもワタクシが注目するのは礼砲21発である。国家祝典で礼砲を撃つのは欧米の習わし。日本は明治になって欧米に肩を並べるために、これを受け入れたに過ぎない。
 当たり前だが飛鳥天平期に始まったとされる大嘗祭に礼砲が撃たれることはない。それどころか宮中祭式は文官によって執り行われるもので、武官は回りに待機するだけだ。今回の礼砲は一臣下に過ぎないアベ晋三自身の発案か、日本会議などをバックにする自民党保守派の主張によるもの。彼らの伝統回帰というのは、真の伝統ではなく単に明治維新という間違った革命に戻るだけに過ぎない。彼らの意識の中には、明治維新を理想の革命とした司馬遼太郎の単純にして浅薄な歴史認識があった。この司馬遼史観を克服しなければ、日本の真の近代化は無しえない。
(19/10/24)

 昨日即位礼正殿の議。ニュースの映像など見ると一臣下アベ晋三の万歳三唱など、殆どアベのプロパガンダだ。おまけに事前に配布された上奏の写真など、完全にアベが天皇を見下している意図がありあり。長州幕府でも作るつもりか、と天皇軽視無礼千万が目立つ。いかにも幕末に天皇拉致を企てた朝敵長州の子孫らしい。
(19/10/23)

 「令和」を発案したと云う国文学者の説明によると、「令」は「美しい、麗しい」という意味、「和」は人々が和む」「平和の和」であり、ヤマトでもある。つまり「美しいヤマト」という意味だ、ということらしい。これならまるっきりアベの云う「美しい日本」と全く同じだ。この説明はおかしい。こういう学者を曲学阿世というのである。つまり学を捻じ曲げ世にへつらう輩である。この時の「世」は庶民ではなく国家権力と考えた方が良い。
 そもそも「令」という言葉に「美しい」という意味はない。令息、令嬢、令夫人と云うようにに、他に際立っているという意味で、半分ぐらいは御世辞でもある。「美しい」なら、大原麗子の様に「麗」でなくてはならない。「和」はどうひっくり返ってもヤマトとは読めない。「大和」も同じである。ヤマトには広義と狭義があって、広義のヤマトは現在のほぼ奈良県全体だが、狭義のヤマトは古代では奈良盆地の一角・・・おそらくは現在の桜井市から宇田郡一帯・・・だった。これが「邪馬台国」で、そのリーダーが女王ヒミコだったという仮説はありうる。
 ヤマト=倭という表現は「魏志倭人伝」に始まるが、「倭」とは体格が中国人に対し劣るヤマト人・・・この時期のヤマトとは、おそらく近畿を中心に西は北九州、東は北陸東海地方を含む地域・・・に対し、中国人がつけた蔑称である。しかし文字を持たないヤマト人はこれを有難く押し頂いた。13世紀高麗国を乗っ取った李成佳という人物は明に事大し、「朝鮮」という国号をいただいた。「李氏朝鮮」のはじまりである。「鮮」は「賎」に通じ、明としては蔑んだ表現である。しかし李氏は大国明から貰った国号だからと、それから600年間使い続けた。今も使っている国がある。似たようなものだ。
 風が変わったのが7世紀天武天皇期で、倭(WA)は和(WA)に通じる。それに小さい和では具合が悪いから「大」を付けて、「大和」を無理やりヤマトと読ませたのである。つまりそもそも「大和」とは奈良県の一地方の名前であって、日本全体を示す言葉ではない。これを日本全体とすれば、南九州のハヤト、関東のエビス、東北のエミシはどうなるのだ。
 今や21世紀、元号を考えるなら現代らしい名前を考えるべきだ。例えばインターネット社会にあやかって「電索」とか、宇宙船ハヤブサにあやかって「飛宙」とか。日本最初の元号である「和銅」は漢籍によらず、日本で初めて銅が見つかったことに由来している。
 「令和」を考えた国学者の頭は1500年遅れており、最早ミイラ化している。そして最も大きな問題は、唯一元号を定める権利を有する天皇を差し置いて、臣下に過ぎない総理大臣が、あたかも自分がこの元号制定に関わったかのような態度で滔々と「令和」の意味をテレビで説明したことである。意義は臣下が述べることではない。
(19/05/12)

 昨日なんとなくテレビのNHKニュースを見ていたら、何処だか知らないが和菓子屋が改元記念の饅頭を発売した映像があった。そこにはなんと饅頭の表面にアベ晋三の似顔が描かれていたのである。本人は否定しても、庶民はこの改元がアベの意図を忖度したものと受け取っているのだ。かくして皇室vs長州の対決が再び始まることになる。さて日本の右翼保守は皇室=天皇を獲るのか、それとも長州=朝敵官族を獲るのか?
(19/05/01)

 新元号について、昨日BS-TBSの某トーク番組でゲストの筑波大教授が、昨日の筆者の懸念を早速述べていました。それはともかく、出版市場では早速万葉集モノが売れ行きを伸ばしているよし。万葉集は5世紀から8世紀頃にかけて詠まれた歌を、その都度集約したもので、採集された時代によって言葉の意味も使い方も、みんな違っているのである。
 万葉集でも初期の歌はその後の日本語とは全く異なる。それを後世の学者が知ったかぶりして無理やり解釈しているのである。実際、筆者は高校生の時国語乙(現代では古文)で万葉集を習ったがさっぱり分からなかった。国語の教師はそれを鮮やかに解説してみせるのだが、何故そんな解釈になるのかさっぱり分からない。どうも複雑な変換を行えばそうなるらしいが、古代の一般民衆がそんな難しいことをするはずがない。幸い筆者は理系だったから、万葉集が分からなくても実害はなかったが、文系の連中は苦労しただろう。ところが後年、かつて鮮やかだった解釈が、みんな間違いだったらしいことが分かった。
 構造地質学の世界では、筆者が習った時はソ連流の垂直説が優勢で、日本の地質学界のある団体はこれを金科玉条のように取り上げていた。大学の講義でもそれをベースにした授業だったが、さっぱり分からなかった。ところがその後当時有力だった説がみんな間違いだったことがわかった(プレート論の勝利)。つまり当時の理論が理解できなかったことが正しかったのである。
 学問なんてこんなものだ。今書店に並んでいる万葉集本の解説が、この後ころりと変わってしまうかもしれないのである。一つの価値観に囚われるととんでもないことになる。大事なことは既成概念に対しては常に批判的に対処することである。知ったかぶり解説は特に要注意。
 ある時期に出来たある価値観を、絶対的なものと信じることは極めて危険である。更にいい加減なことを如何にも真実のように触れ回る連中がいる。そういうのをペテン師という。これに類する人物が今の日本の総理大臣をやっているのだ。
(19/04/03)

 「令和」の意味については既にネットであれこれ取沙汰されています。それはともかく筆者が不思議に思うのは、政府がしきりに典拠を日本古典にこだわることです。その典拠は万葉集で、万葉集は日本伝統文学だから、「令和」は日本の伝統を踏まえたものだと云いたいのだろう。
 しかし万葉集は万葉仮名で書かれている。元号はその文字に意味を持たせる。一方万葉仮名は音を漢文字に変換しただけだから意味を持たない。これは矛盾ではないかと思っていたら、実際は歌の前文から採ったものらしい。
 ところが前文は漢文で書かれ、そこで用いられる語彙の大部分は漢籍に基づく。ということは純日本製とはいうものの、実態は単に漢語をコピーしただけではないかと云われかねない。いや万葉集は日本製だから構わないのだ、と政府は主張するでしょう。
 これなど現代中国企業が日本アイテム…例えば鉄腕アトム・・・をそっくりコピーするが、全部中国で作っているからこれは中国製だと居直るのと同じだ、てなイチャモンが今後アチコチから出てきそうな気がする。
 そうならないようにするには、純日本製などと片意地張らず起源は中国漢籍にあります、と云えばいいだけなのだ。
(19/04/02)

 さて新元号が「令和」に決まりました。なおHPBでREIWAと入力すると直ぐに「令和」と変換・・・・変換ソフトはMSIME・・・されました。何故でしょう?まさかマイクロソフトが事前に新元号を知っていたわけではあるまい。
 家人の感想では、この言葉はいささか冷たい感じするらしい。筆者もあまり感触の良い言葉には感じられない。Rから始まる言葉が日本人の語感には合わないからではないか?あまりセンスの良い言葉には思えない。やっぱり言葉は漢籍の方が上なのだ。「安晋」や「長久」などという愚劣な言葉が選ばれなかっただけ幸いだ。
 新元号よりもっとダメなのが、公示直後のアベ談話。やれ「美しい」だの「日本の伝統と文化」だの「新しい日本」だのといった、アベ好みの単語をちりばめただけの、長ったらしいが中身のない薄っぺらな文章。アベの国会答弁そのままだ。あれでは別に新元号が「令和」でなくても何でも使える。まさに官僚的作文の悪しき典型。
 それより新元号懇談会になんで林真理子や山中伸也が選ばれたのだろう。ips細胞研究者が中国漢籍や日本古典に通じているとも思われない。それどころか、自然科学者というものは、元号などという曖昧なものに関心が低いか批判的なものだ。それを敢えて担ぎ出した政府の真意は何か?
 それはともかく元号より重要なのは皇統の継続。果たして現在の様に男性一系、日本人オンリーで済むのかどうかを、もっと真剣に考えなくてはならない。緊急なことは誰が皇太子になるか、だ。秋篠宮家から出てもよいが、その場合でも皇太子妃の問題がある。この際思い切って皇太子妃を外人からスカウトする手もある。
 今のヨーロッパ王室で、純粋にその国の民族である例は一つもない。今はなくなったが、かつてのロシアやオスマントルコ皇帝で、純粋のロシア人やトルコ人など殆どいない。ロシアの皇后はフランスやドイツから招くことが多く、トルコでも
白人女性を誘拐してイスラムに改宗させて後宮に送り込む。みんなハイブリッドだったのだ。
(19/04/01)

 新元号の一か月前公表という政府決定について、日本最大のアナクロアホ集団である日本会議が「前例がない」といって、クレーム。前例がないのは当たり前。何故ならこれまではその必要がなかったからである。
今回事前発表に至ったのは、ITや金融業界、経団連等アベ支持業界の強い要望によるもの。理由はI現代社会はITよって、様々な情報がリンクされており、時間の起算基準は簡単に切り替えることが出来ないからである。
 日本会議の重要な行動部隊であるネトウヨや在特会の主要ツールであるインターネットも、全て時間の起算は西暦である。現在民間レベルでのデータ・・・クレジットカードもみな・・・は殆どが西暦で処理されている。未だに元号に拘るのは役所関係文書だけ。政府が西暦に踏み切れば、こんな問題は起こらない。
 なお、世界で独自の元号に固執するのは、日本と北朝鮮(革命歴)ぐらいのものである。
(19/02/03)

 いよいよあとわずかで平成も終わりです。平成とはどういう時代だったでしょうか?それは「平和」です。まさかと思うでしょうが本当です。明治維新以来、大正、昭和と日本は海外と戦争を続けてきました。うまくいったのもあったが、最後に大チョンボ。それに懲りて平成では海外と戦争をしたことがありません。
 しかし世の中変われば変わる。戦争をしたがる人間が増えてきているのも事実です。次の時代がどうなるか、「不確実」です。
(19/01/01)

大騒ぎのIWC脱退で果たして日本が得たものがなにで、失ったものがなにか、よく考えたことがあるでしょうか?得たものと云えばEEZ内でのクジラ捕獲量の上限が撤廃されただけ。だからと云ってクジラの国内流通量が増えるわけではない。
 そもそもクジラ漁に携わる漁業者が少ないうえに、捕鯨船も少ない。法律上上限を撤廃したところで、捕獲量が増えるわけではない。逆に減るぐらいだ。何故ならこの結果、南極海や公海上でのクジラ漁から撤退しなくてはならなくなったのである。結果として、全体の捕獲量が減るから業者の収入は減り、消費者価格は高騰する。クジラ肉は更に高級化し、一般庶民には手が届かない高級品になってしまう。良いことなど一つもない。喜んでいるのは、来年の統一地方選挙で、捕鯨票が確保できるアベ晋三と二階俊博ぐらいだ。
 結局日本は何も得られず、単に捕獲高を減らし各国に悪いイメージを与えただけである。これならIWCに残って南極海捕鯨をやめたのと何も変わらない。むしろそのほうが、反捕鯨国に対して良い印象を与えるから、他の漁業交渉でも優位に立てる。
 大阪には昔から「損して得獲れ」という格言がある。これはなにか相手ともめごとが生じたとき、一旦こっちが引き下がって相手に恩を売る。そうすれば必ずそれが戻ってくるという経験則である。筆者自身、現役サラリーマン時代、こういう方法でマイナスをプラスに転じた経験が数多くある。最近の効率至上主義経済下では、こういう待ちのビジネスが受けなくなったのか?
 そうではない。来年の統一地方選挙で、下関とか太地を選挙区とするアベや二階が、票取りのために俄かに外務相に圧力をかけたのだろう。このように、いざ自分がふりになると、いきなり血気にはやるのが長州人の特徴。その特徴が国を亡ぼすということが、あのアホには分かっていないのだ。
(18/12/27)

 日本がとうとうIWCを脱退しました。理由は別に言うまでもありません。要するに商業捕鯨の再開が認められなかったからです。IWC脱退で日本近海及びEEZ内での商業捕鯨は再開出来ますが、南氷洋の調査捕鯨は出来なくなります。
 では何故、今の政府が商業捕鯨再開にこだわるのか?それは商業捕鯨基地のひとつである下関がアベ晋三の選挙区だからです。一方従来南氷洋調査捕鯨に従事してきたのは、和歌山の太地。幹事長の二階の地盤だ。そして今二階は入院中。鬼の居ぬ間にやってしまえということだろう。
 ある人によると「アベ晋三はとても情に厚い人」らしい。但しこれは万人に対してではない。自分の身内、同郷者、側近、個人的な支持者・理解者に対してだけである。その他、特に自分に反対するもの、批判者に対しては極めて冷酷である。自分の親友である加計学園理事長に対する態度と、総裁選で自分に刃向かった石破に対する報復を比較すれば、それがよく分かる。つまり依怙贔屓である。
 この性格は何処から来ているのだろうか?やっぱり長州か?明治維新後、長州閥は人事・利権を独占し仲間で山分けした。それが土佐・薩摩ら他藩の反発を招き、士族の反乱に至ったのである。
 最近、戦後外交文書の一部が公開された。その岸信介関連を垣間見ると、本当にこの男反省がない、と思うのである。反省とは何に対してか?無論開戦と敗戦に対してである。
 しかし岸は銅も日本は戦争に負けていないと思っていたらしい。つまり日本は戦争に負けたのではない、みずから戦争を止めたのだ、という思いだ。実はこれは東条英機がそうなのである。東条は「戦争は負けたと思った時が負けなのだ」と云った。逆に言えば「負け」と思わなければ、何時までも相手と対等にいられるわけである。だから60年安保改定の時、ダレスに対し日米対等を持ち出して断られたのだろう。
 その岸は49年に巣鴨拘置所から出所したとき、アメリカに対し収監中の戦犯全員の釈放を要求した。理由は自分の監獄仲間(プリズンフレンズ)だからだ。このように理屈やルールを無視して、自分w中心に世の中が回っていると思うのは、やっぱり長州人の特徴か。
 アベ晋三の身勝手は、どうも親譲りそれも父親でなく、母親からのそれだ。その母親とは、岸信介の娘。やっぱり岸家の伝統、そしてその背景にあるのは長州人の特殊な感覚である。
(18/12/20)

 新元号を何時発表するかで自民党内がもめています。一方は一世一元の建前から新天皇即位後に、片や一方は即位後では様々な文書の書き換えに伴うコンピューターソフトの整備等を考えれば、少なくとも即位一か月前でなければ、社会に混乱を招くと、極めて実利的理由を挙げる。これに対しアベ晋三は、両者でよく話し合ってくださいと党に丸投げ。ということはアベにとって元号などどうでもよいのだ。まさにかつて孝明天皇を拉致しようとし、更に東京に明治天皇を拉致した長州人らしい天皇無視姿勢。
 だから筆者は元号という面倒な制度は止めるべきというのである。元号の始まりは古代中国にある。道教思想では、帝王の重要な義務に”時を刻む”というものがある。
 時間の起源は135億年前と云われる宇宙開闢に求めなくてはならないが、せいぜい4000年前の中国人にそんなことが出来るわけがない。そこで編み出されたのが五行説に基づく相対時間システムである。キリスト教以前のヨーロッパでは年代記が用いられていた。〇〇王の何年という具合である。時を刻む暦法を作れないものは帝王とは認められない。7世紀の日本は中国に対抗するためにも、なんとしても元号制定の必要に駆られたのである。
 なお、現在の一世一元制は、明治になってからで、本家の中国でも清王朝になってからである。つまり、自民党保守派の建前論は、実は根拠は浅いものなのである。
(18/10/30)

一昨日の23日は明治維新150周年だそうで、政府主催の記念式典が開かれたが、集まったのはたったの300人のしょぼくれ集会。メデイアも殆ど(サンケイや読売は知らないが)取り上げず、NHKですら7時のニュースでは無視。確か昨年か今年の始めには、アベは秋に記念式典を大々的にやるぞ、と息巻いていたはずだが、結果はこの通りのざま。何故か?一つはアベ自身が薩長史観に偏り、日本近代化が長州だけで出来たとしたこと。更に徳川や奥州等反薩長派を無視したことである。
これが自民党内にも批判を呼び、総裁選での地方票得票数が55%に留まった原因になった。これはいかん、あんまり薩長史観を強調すると、来年の選挙に差し支える。ここは一つ低姿勢で、というわけなんだろう。ただしこれは、アベ以上の薩長派の反発を呼ぶ結果にもなりかねない。
 それはそうと、最近本屋で目に付くのは、維新礼賛ものではなく、維新批判本。前者は戦前からの薩長史観の延長線だが、司馬遼太郎の影響も大きい。司馬史観の特徴は成功者(勝者)が結局は正しく、敗者には欠陥があったという、成功者史観である。これはダーウイニズムの単純且つ悪しき応用である。筆者は日本人はもういい加減司馬史観から脱却卒業すべきだと考えているが、未だに保守系政治家・ジャーナリスト・官僚にはその呪縛が解けていないものが多い。
 司馬遼太郎はかつてある対談で、「明治維新こそ理想の革命だ」と述べた。果たしてその認識は正しいか?そもそも理想とは何か?明治維新は革命と云えるか?という吟味が必要である。
1)何故理想といえるか?
 多分ロシアやフランス革命の様に、内戦や反対派の虐殺、国王・皇帝の処刑を行われず、平和裏に行われたといいう、あの世代に多い先入観があったのだろう。しかし実態はそうではなく、東北・函館戦争という内戦はあったし、徳川慶喜こそ助命されたが、近藤勇始め反薩長派士族に対する処刑もあった。また、会津藩始め反薩長諸藩に対する過酷な減封などは、物理的虐殺ではないにしてもそれに匹敵する過酷なものだった。
2)本当に革命と云えるか
 マルクスによれば「革命とは上部階級が独占していた権力の下部階級による実力による奪取である」。それは共産党による指導が必要だとも言っているが、これは余計だ。しかしこの定義に従えば明治維新は正確には革命とは言えない。まず権力奪取に主体的に動いたのは支配階級である武士達で、下部階級である農町民は疎外されていた。その後彼らの中からブルジョワジーが産まれ、それが支配階層になるが、それは維新から20年も30年も経ってからだ。つまり彼らブルジョワジー階層は維新のおこぼれを頂戴しただけなのである。
 筆者は、明治維新こそ薩長特に長州によるデマ革命、失敗革命と考えている。
(18/10/25)

 今年の和歌山県太地町のイルカ漁解禁は、大した混乱もなく終了。地元や捕鯨関係者はやれやれと胸をなでおろしているだろうが、そうは問屋は卸さない。騒ぎは海外に飛び火し、ヨーロッパや中南米諸国で捕鯨反対デモが頻発。シーシェパードは作戦を従来の中央突破方式から、広範囲でのゲリラ戦による包囲戦に変更したようだ。
 つまり騒ぎは、これまで捕鯨問題に無関心だった非捕鯨国まで拡大し、かえってややこしくなる可能性がある。これが全体的な反日運動にならなければよいが。日米貿易協定がアメリカの思惑通りに進まないと、トランプまで反捕鯨運動に肩入れしかねない。たかが和歌山の地場産業nために、日本産業が人質に取られかねない。日本はさっさと捕鯨から身を引くべきだ。しかしどんなことがあっても、現政府は捕鯨から撤退しないでしょう。何故なら、別の捕鯨基地下関がアベの選挙区、和歌山が二階の地盤だからだ。
(18/09/03)

 今度は剣道連盟で、段位昇格を巡る金銭授受疑惑。問題が発生したのは、その居合道分科会。これは剣道連盟の中では傍流らしいが、傍流は本流から分かれたもので、やり方は本流の真似をするものだ。そもそも日本の伝統芸能・・・茶道・華道など・・・では、高位資格取得には金が絡むのは当たり前だった。今回の居合道では。八段段位取得と教士取得にン100万掛かったということだが、そんなものかという気もする。
 筆者の小学校同級生に剣道八段というのがいて、ある時の同窓会で、剣道はオリンピック種目にしないのか、と聞いたら「それをすると柔道みたいになるからやらん」と言っていた。オリンピック種目になれば当然、JOC傘下にはいる。その上にはIOCがある。そうなると、当然ルールから何から何まで国際化だ。カラー柔道着のように、カラー防具になるかもしれない。あるいはフェンシングのように、面・胴・籠手にセンサーをつけて、電子判定になるかもしれない。それはお断りだ、ということなのだろう。
 剣道連盟があくまで任意団体で、内部ルールも独自のものであれば、昇段や資格取得に認定料を取り、それがいくらでも構わない。ただしその取り方や使い方を誤れば、組織の分裂に繋がる。そんな例は古来はいて捨てるほどある。さていずれを取るかだけの話だ。しかし、剣道連盟は既にJOCに加盟し、スポーツ庁から補助金もうけとっているから、今回の件はアウトである。居合道部門が剣道連盟から分離して、任意団体を設立すれば、いくら金をとっても構わない。そのかわり、そんな怪しい団体に加盟する人間などいなくなるだろう。
(18/08/21)

 日本が調査捕鯨で捕獲解体した雌クジラ12頭が妊娠中だったとフランス紙が報道した。これについて某テレビ報道番組でキャスターが「今全世界の人間が捕獲している魚の量は年間約3000〜5000万t、それに比べクジラの捕食量は年間3〜5億t。このままでは鯨が魚を全部食べてしまう。だから鯨を捕獲しなくてはならない」と解説。このキャスターは右派ではなく、どちらかというリベラル派のジャーナリスト。何故日本人は、いざ鯨となると、みんなナショナリストになるのでしょうか?
 上の説明は多分農水省か水産大あたりの捕鯨派にレクチャーを受けたものだろう。説明の中の人間と鯨が食べる魚の量は、概ねそうだろう。しかし後半の「このままでは魚は鯨に食いつくされる」というのは、明らかに論理の飛躍があり、非科学的である。
 まず第一に、我々は鯨の生存数は概ね把握出来ているが、魚の量がどれほどか、全く分かっていない。鯨が地球上に現れたのは白亜紀末と云われるから、おおよそ7000万年ほど昔。現在のように巨大化したのは数100万年ほど前。理由は地球が急速に寒冷化したからである。 地球が寒冷化すると海水温も下がる。鯨は恒温生物だから、体温を一定に維持しなくてはならない。そこで画さ(魚)を大量に食べ、脂肪を蓄えることによって体温を維持する。そこで生じたのが、個体の大型化。体が大型化すると、それだけ大量の餌が必要になる。その結果、更に大型化するわけである。その結果が数億tと云われる捕食量に繋がる。しかし、捕食される魚の量が分っていないのだから、この説は始めから成り立たない。
 次に解説者の説に従えば、魚の増殖量より鯨の捕食量の方が大きいということになる。例えば現在の魚の量が100億tで、一年に生まれる魚が3億t、鯨の年捕食量を5億tとすると、年2億tずつ減少するから、50年後には魚は地球上から姿を消すことになる。ところが鯨が大型化して100万年、一向にその気配はない。両者は遥か過去から、バランスを取って共存しているのである。つまり、少なくとも鯨が食べた量よりは多い量の魚が毎年生まれている。そうでなければ現在の生態系が説明出来ない。
 又、鯨が増えすぎて魚が少なくなれば、エサが少なるから鯨も減少する。このようにして生態系のバランスは保たれるこのバランスを壊すのが人間である。それが最も顕著になったのが、約300年ほど前から始まった、欧米人による遠洋捕鯨である。鯨は大型哺乳類だから、出産してから成獣になるまで、数年から10数年掛かる。一旦、短期間の大量捕鯨で個体数が減少すると、それが回復するのに長時間を要する。18〜19世紀の欧米人による大量捕鯨で減少した個体数を回復するのに、おおよそ100年近く掛かっている。一方魚が成長するのに要する時間は、種によって違うが、日から月の単位である。つまり少々鯨が食っても、魚の量は直ぐに回復する。
日本人のやる沿岸捕鯨は、これには殆ど関係していない。ところが、欧米人は遠洋捕鯨から撤退してしまった。それはこれがコストの割りに採算が取れないからで捕鯨で、個体数ある。それに対し、未だに遠洋捕鯨に拘っているのは、欧米人の失敗から何も学んでいない日本人だけである。
(18/06/07)

 大相撲春巡業での、不適切アナウンスと塩まき騒動。国内的にも海外でも悪評噴分。この中で塩まきについては、これは女性蔑視の現れだ、という説と、土俵上で怪我人が出た場合、塩で浄めるというのは日常的にやっていることだ、という説の二通りがある。前者は主にメデイアや評論家など外野から。海外報道もこの線である。後者は相撲協会の公式見解。これを支持する声もある。
 果たしてどれが本当か、塩をまいた人間に聞いてみなければわからないが、おそらくはその両者が重なったものと考えられる。但し同等ではなく、どちらかに偏っていたはずだ。
 筆者個人としては、前者のウエイトの方が高かったのではないかと感じられる。何故なら塩をまいたのは、市長や救急隊員が土俵から降りた直後。協会による陳謝はこれよりズーット遅れ、SNSなどでアナウンスが拡散してからだ。ということは、未だ行司達は、事の重大さに気が付いておらず、気持ちとしてはアナウンスの延長上で作業していたはずだからだ。この場合は、どうしても土俵ファースト意識が残ってしまう。女性が上がったということで動転しているから冷静ではいられない。
 なお土俵の女人禁制は、古代からの伝統でもなんでもなく明治以降。舞鶴の件では、市長は倒れこんだだけで、出血などしていない。だから土俵が汚されたわけではない。この点からも、本件土俵の塩まきは前者の延長線とみるべきである。又日本で女性を不浄視するようになったのも、平安末期中国から浄土信仰が伝わって以降。日本の伝統でも何でもなくインド起源。バラモン=ヒンズー教では、女性は前世のカルマで穢れているとされた。それが中国に伝わり儒教と結びついて「血ポン教」という偽教が出来て、これが浄土信仰に取り入れられ、日本に伝わったものである。日本にルーツの無い全くのインチキ。
 なお、中には明治期に神道の影響で女人禁制が取り入れられたと勘違いする向きもあるが、これも間違い。そもそも神道には女人禁制という習慣はない。神社の参殿には男女を問わず上がれるし、神と人間を繋ぐ役割・・・つまり祭祀の主役・・・の巫女さんは皆女性だ。神主は祭祀の司会をするだけである。世に霊場(又は霊山)というものがあって、その多くはかつては女人禁制」だった。しかし今では、大峰山上が岳の一角を除けば、みんな開放されている。これらの霊場(又は霊山)が元々女人禁制であったかどうか疑わしい。何故なら、これら霊山の地主神は、大部分女神である。これもまた平安後期以降、浄土信仰に組み込まれた結果と考えられる。
 ついでに言うと、大相撲を国技と云うようになったのも明治以降。それまではもちろん国技館などはなく、お寺や神社の境内で行われていた。お寺で神事である相撲を興行するのも不思議だが、江戸時代には、貴乃花のように、何でも伝統伝統という、うるさい原理主義はいなかったのである。
(18/04/07)

 天皇退位制は与党は、一代限り特別立法で走るつもりだ。この場合次の天皇が同様のことを持ち出せば、同じ騒ぎを延々と繰り返すことになる。ことの是非はともかく、何故与党特に自民保守派が一代限りにこだわったのは、元号問題が絡んでいるからである。この問題の起源は古く、戦後間も無く始まり、その後も国会等で議論されたことがあったが、いずれも保守派の抵抗で潰され、昭和何年だかに「元号法」が出来てしまった。今時、世界共通の西暦とは別に、独自元号を持つのは、日本を除けば北朝鮮ぐらいだ。これだけ見ても、この二国が如何に世界常識から隔絶しているかが、よくわかるのである。
 元号論者の言い分は次の2点である。
1 、元号は日本の伝統文化であって、これに西暦を持ち込むのは、日本人の生活になじまない。
 そもそも元号は、古代日本が中国に倣ったもので、固有の伝統文化ではない。今、一般庶民が元号を必要とするのは役所への提出書類ぐらいで、ケータイやスマホの契約書類は皆西暦だ。つまり、今の若者・・・これからの国民主役・・・は元号を必要としていないのである。
2、歴史的事実は、元号を使うから理解しやすいのであって、西暦では意味が伝わらない。
 これはある高名な歴史学者・・・多分京大名誉教授・・・の意見である。筆者はこれを聴いて、なんでこの名誉教授はこんなに頭が悪いのだろうか?と思った。元号でなければ物事の前後関係が理解できないようでは、国際的時系列で物事を考えられなくなる。第一、元号のないヨーロッパの学者は、元号なしで歴史的事象を十分理解している。
 むしろ共通時系列で考える方が、自国を相対化出来、その結果国際的視野が広がるのである。先に挙げた学者のように、自国元号主義によっておれば、結局は日本のガラパゴス化しかない。元号でしか、物事の順序や時代背景を理解できないようでは、その頭は小学生以下である。要するに元号主義者は三桁の足し算・引き算できないのである。が
(17/01/24)

 ’16年伊勢志摩サミットの幕開けはG7首脳の伊勢神宮参拝で始まった。これについてホストであるアベは「悠久の昔からの聖地で、その神聖性を感じてもらいたい」と、一人合点で、無学もの知らず成蹊裏口入学のアホ振りを明らかにしてくれた。
 そもそも伊勢信仰が流行りだしたのは江戸時代中期以降。これも信仰とは名ばかりで、実態は信仰に名を借りた物見遊山観光(所謂お伊勢参り)。誰か敏腕のプロデユーサーがいて、こういうイベントを考え出したのだろう。現代日本でもAKBを考え出すのがいると、たちまち似たようなのが出来るのと同じである。例の「弥次喜多道中」も、伊勢信仰に悪乗りしたわるふざけ小説。
 これがいきなり神聖化したのは、明治になって天皇が伊勢神宮に行幸してから*。それ以降毎年正月には天皇が行幸する習慣ができた。それが更に靖国信仰と並んで国家神道の中心になったのは、せいぜい大正から昭和になってからである。つまりアベの言う悠久の昔とは、たった100年足らずのことを言っているのだ。
 伊勢神宮の祭神は「天照大神」であるが、元々大和の石上神宮にいた。それが人皇10代崇神天皇のときに、大和の大物主に追い出され以後転々.。やっと落ち着いたのが伊勢の土地。なぜ伊勢になったのかよく判らないが、この背景には出雲と大和との確執・対立があったのではないか?。当時、大和は事実上出雲に支配されていたと思えば、全体の構図が理解出来る。伊勢は出雲の勢力が及ばない地域で、且つ大和に最も近い土地だった。
*何故明治天皇が伊勢神宮に行幸したのか?筆者はこのとき平田流神学が、政府や朝廷に深く浸透していたのではないかと考えている。平田流神学の祖は平田篤胤だが、彼は本居宣長の直弟子を自任していた。宣長は「古事記」を日本古代史の唯一のテクストとし、アマテラスをその主神とした。篤胤の養子の鉦胤なるものが、岩倉ら過激派貴族を通して朝廷に平田流を浸透させたのだろう。
(16/05/27)  

 諏訪大社の御柱祭で、氏子作業員が15mの柱から落下して死亡した事故が発生。6年前にも同様の死亡事故が発生している。更に今年は柱を斜面にすべり落とす際にやはり、作業員が巻き込まれて死亡した事故が発生している。労働安全法では3m以上の高所作業では安全帯の着用など、転落防止措置を「義務付けている。これを遵守しておれば転落事故は起こらなかったはずだ。単にやるべきことをやっていなかったのである。
 これらの事故は当然業務上過失致死だが、刑法上どう位置付けられるのでしょうか?特に今回の転落事故は、過去に同様事故があったにも拘わらず、作業環境を改善していなかったという点で悪質性が高い。
 この行事を建設工事と考えれば、労働安全管理者が誰か、と言う点が問題になる。諏訪大社が事業主体で、氏子社中が元請であれば死んだ氏子は下請けだ。昭和40年代までは、事故は下請け責任だったが49年か50年だかの最高裁判決で、元請責任が明確化された。つまり氏子代表はこの氏子の転落防止に責任を持っているのである。この線でいけば、氏子代表が上記容疑で逮捕される可能性もある。
 では事業者責任はどうかというと、これがはなはだ曖昧なのである。例えば運動会で生徒に死亡事故が発生したとする。指導する教師には刑事責任が問われるケースがある。しかし、行事計画を容認した学校側や教育委員会は責任を問われない。典型的な例はJR福知山線脱線事故である。無理なダイヤを組み、未熟な運転手に運転を任せたJR西日本には責任は問われていない。従って、事業者である神社には責任は問われない可能性もある。
 しかし神事では、今回のように事業者と施工者とが一体化してしまっている場合が多い。その原因は、日本神道独特の氏子制度である。この制度は神社の伝統維持には有効かもしれないが、現在のような人口減少社会では維持出来ない。又事故が起こったとき、責任逃れは出来ない。それが嫌なら仏教やキリスト教のように、信者資格を解放すべきである。
 なお、御柱に登れるのは氏子だけの特権。そこから落ちるのも氏子の特権だから、一般見物人には無関係。ザマア見ろで終わりだ。また諏訪大社の祭神は、出雲の建御名方神。恐ろしい祟り神である(但しヤマトの建雷神との戦いに敗れて、信州まで逃げてきたのだから、大したことはないと云えばない)。
 こんなことを云えば諏訪明神には甚だ失礼だが、こういう行事をする上では、当然大社側は事故保険に入っていると思うが、その点はどうなんでしょうか?それをやっていないと、明神は刑事だけでなく、民事でも訴えられることになります。
(16/05/06)

 最近若者の演歌離れが進み、それに危機感を感じた杉良太郎ら演歌歌手が自民党議員に「このままでは日本の伝統が失われる」と支援を陳情。ここでも出てきたのが「日本の伝統」という言葉。さて、「演歌」は日本の伝統文化と云えるでしょうか?
 日本にも伝統歌謡はあった。古民謡、長唄・小唄・端唄などの俗曲である。ところがこれらは江戸時代を通じて多くの流派に分かれ、それぞれが競い合うものだから極端に技巧化が進んだ。その特徴は@音程の幅が広く、高音から低音或いはその逆の転換が急である、A延ばす、引っ張る、転がすなどの細かい技法がある。その習得が必要なため、素人でも師匠について習わなければ歌えなくなってしまった。
 さて明治維新。新政府はこれら伝統歌謡を、古い過去の遺物として、表舞台から排除した。その代わり導入したのが西洋音階である。これは音階の幅が狭く、変化も滑らかなので歌いやすい。政府はこれを小学唱歌や校歌・寮歌・軍歌に取り入れ、日本人の頭を切り替えてしまった。この延長線上として大正期には商業歌曲(歌謡曲)が生まれ、更にレコード・ラジオなどの新媒体を通じて、所謂流行歌が生まれた。これらは殆どが西洋音階をベースに作られている。
 戦後、戦時中は禁止されていた西洋音楽が、どっと日本に押し寄せてきた。ジャズ、ロック、ラテン、イタリアカンツーネから、フランスシャンソン、果てはロシア民謡まで何でもありになってしまった。これに危機感を抱いた船村徹という若い作曲家がいた。彼は西洋音階と、上で上げた日本の伝統歌唱技法を組み合わせて新しい歌謡曲を作ろうとした。船村演歌の誕生である。しかしその試みも、美空ひばりという逸材にめぐり合わなければ成功したかどうかわからない。ひばりー船村コンビによる新しい歌謡曲は大ヒットし、それに続く若い作曲家が続出した。この点だけでも女王ひばりの偉大さが判る。現在我々が演歌と認識している歌謡曲ジャンルはこのとき・・・・昭和30年代後半・・・に誕生したのである。つまり「演歌」とは日本伝統文化ではなく、人工的なもの、或いは当時の日本歌謡界へのアンチテーゼとして生まれたものと解釈したほうが良い。
 今回の演歌陳情には次の3点で問題がある。
1)演歌は大衆芸能の一つと言うことには異論はないだろう。大衆芸能とは芝居や講談・浪曲などと同様、権力とは距離を置き、独自に発展してきたものである。しばしば時の権力と対立し弾圧を受けてきた。それでもその都度息を吹き返してきた。今演歌の売り上げが減ったとっいって、それで演歌が終わるわけではない。
 一時的な落ち込みに慌てて、一度でも政治家に頭を下げると、政治家に付け込まれる隙を作るになる。大衆芸能の敗北である。
2)若者が演歌を嫌うのは今に始まったことではない。昔からそうなのだ。筆者自身、10代20代の若い頃には演歌など見向きもしなかった。それが演歌に親しみだしたのは30代後半以降、企業・社会の中堅世代になってからだ。何故か?この時期は人生の中で一番しんどい、つまりストレスが懸かる時期である。いまでは40代後半からだろう。このときストレス発散の受け皿になったのが、演歌である。演歌の売り上げが延びないのは、今の演歌界がこの世代のストレス解消受け皿に成り得ていないからである。
3)演歌復活に政治家に何を期待するのでしょうか?まさか学校音楽教材に演歌を入れろ、と言うのではあるまい。演歌のテーマの大部分を占めるのは、男女の不倫とか別離。それも大概は女性が被害者だ。男女同権の今時にこんなテーマが若い女性に受けるわけがない。それと「兄弟仁義」のようなアウトロー礼賛物。こんなもの時代遅れの典型である。若者が敬遠するのが当たり前。若者がこんなテーマを支持すれば、それこそ大問題だ。
 つまり演歌とは不道徳文化の体現者である。一方政治家は一般国民の範たるべき義務がある。ゲスの宮崎が政界を追われたのも、かれが一般道徳に反する行動を採ったからである。その政治家が不道徳文化を支援することこそ大矛盾。頼むほうも頼むほうだが、受けるほうも受けるほうだ。頭の悪さとKYの程度では、どっちもどっちという感がある。
(16/03/07)

 一昨日か、政府は本年度中での南極海調査捕鯨再開を発表。捕鯨基地下関を選挙区に持つアベ晋三の強い指示によるものだろう。捕鯨は日本の伝統文化であり、欧米の価値観を押し付けるべきではないという意見がある。果たしてそういえるでしょうか?日本も欧米も、捕鯨が盛んになったのは18世紀半ば以降。背景には欧米では産業革命、日本では近世初期からの農業革命で発生した、経済急拡大がある。それに伴って油需要が急増した。従来の植物油だけでは需要を満たせないので、それを補ったのが魚油や鯨油である。
 欧米の捕鯨は油を搾るだけ、日本は全てを加工して工芸品に利用している、これが文化であると言うのが伝統論者の主張。しかしこれは欧米が遠洋捕鯨、、日本が沿岸捕鯨だったという違いに過ぎない。しかも日本が沿岸捕鯨に特化したのは、徳川幕府による海禁(鎖国)政策の結果、日本の遠洋航海技術が廃れてしまったからである。もし幕府が海禁をしなければ、日本人も欧米と同じことをやっていたに違いない。なお、オーストラリアやNZが反対しているのは、南極海での調査捕鯨。IWCでも、日本にも近海捕鯨枠は認められている。工芸品を作るなら、それからだけでも十分である。わざわざ南極まで行くことはない。せめて捕鯨伝統文化論者も、この程度の知識は持っておいて発言して貰いたい。
 なお調査捕鯨といいながら、やっている手段は非科学的そのもの。あんなにノーベル賞学者を大勢だしている科学大国が、こんな稚拙なことしか出来ないなど、国際的物笑いの種だ。
(15/11/30)

 昨日野暮用で茨木に行って帰りに阪急電車に乗ると、斜め向かいにイスラムと思われるアベックがいた。女性は結構美人で日本人じゃないかと思ったが、言葉が聞き取れなかったので判らない。ところがこの二人いきなりスマホを取り出してツーショットの自撮り撮影。イスラムは偶像禁止だから自撮り写真などあり得ないと思っていたら、そうではないらしい。
 そういえば昔ある会社いたころ、大阪西区阿波座交差点の角にあるステーキハウスによく昼食に行ったが、常連客の中にインド人・・・ターバンを巻いていたからシーク教徒か・・・がいて、それが平気で牛肉のステーキ定食を食っていたのに驚いたことがある。インド人は確か牛肉は食べないはずだったが、戒律のない日本では自由になれるのだろう。
 日本でも昭和40年代の高度成長期では、特急列車にオッサンの団体がやってくると、いきなり上着やズボンを脱いでステテコ一丁になって酒盛りを始めたものだ。これもウルサイムラの戒律を離れた開放感からだろう。
 マスコミでは中国観光客の品の悪さをあげつらう記事があるが、これも同じ戒律からの開放感なのである。と言うことでいずれ中国人も日本人と同じように大人しくなる。
(15/06/11)

 和歌山のイルカ騒動は結局太地のイルカ漁撤退(JAZAのWAZA残留決定)で一件落着。サンケイなど未だ不満なようだが、日本のためにはこれでよい。たかがイルカ・・・和歌山の太地・・・ごときで日本が世界と喧嘩したり、国際的に孤立する必要はない。
 そもそもイルカ問題が起こってからこうなることなど、業界団体では判っていたことではないか?それを自分が責任を取りたくないものだから、引き伸ばし先送りしてきた結果がこの様だ。追い込み漁が不可能になるなら、それに替わる繁殖方法を考えるのは、業界・学会の義務。日本鯨類学会はそれを怠ってきたわけだから責任は大きい。
 又太地漁業の問題を大げさに取り上げる、サンケイのようなアホ新聞や間抜けネトウヨもいるが、太地は鯨やイルカだけで食っているわけではない。他に幾らでも収入源はある。何時までもそれを見つけ出せないでいた、地元漁民がボンクラなだけだ。まして国際的視野に立てず僅かな地元票だけを頼る仁杉(県知事)や二階(国会議員)などはアホボンクラの極みである。
 元々日本人は、何か問題が起こりそうだと、黙ってやり過ごす、解決を先送りする、あれこれ言い訳して解決を引き延ばすパターンが多い。その結果問題がこじれて、どうにもならなくなってから初めて対応を考えるパターンが多い。それどころか事前に警告を発すると、何処かからか、そこまでやらなくていいのじゃないとか、こんなことをやって上から起こられたらお前の責任だ、なんて野次まで飛んでくる。
 よく言われるのが、ドイツ人の医者は手術の前に考える。イギリス人は手術しながら考える。フランス人は手術してから考える。この伝で云うと、日本人は患者が死んでから考える、ということになる。日本のイルカ産業(水族館も含め)は当にそういう状況に追い込まれたわけだ。
 今後はイルカの国内繁殖を進めなくてはならない。そのためにやらなくてはならない第一の仕事は各水族館相互のイルカの交配を進めることである。このためには現存のイルカのDNAデータを共有し、水族館同士の適切な交配計画を作る必要がある。ところが出てくるのは、各水族館での困惑映像。これは当たり前だが、テレビ局のヤラセである。
 現在の水族館レベルではそれすら出来ていなかったのではないか?金儲けばっかり考えて何もやってこなかったツケだ。
 無論それだけでは近親交配という問題が残る。それを避けるには野生種の混入が必要だが、その手段として追い込み漁は駄目ということだ。むしろ誘い込み漁にシフトすべきである。太地はそのためのイルカ繁殖センターへ転換すればよい。それが可能になれば、和歌山県太地町は世界の動物保護団体から憎悪の目で見られることなく、尊敬されるだろう。何故こんな簡単なことを思いつかないのでしょうか?
(15/05/21)

 

 曾野綾子が産経新聞に出したコラム記事が、やれ人種差別だアパルトヘイトだと国際問題に発展している。コラムの主旨は今後の少子化で労働力が不足するから、その分を外国労働者を受け入れなければならない、ということ。そこまでは良かったのだが、その後にいきなり居住区は人種別に分けたほうが良い、と遣ったものだからこれが南アフリカ始めアフリカ各国のブーイングを招いてしまった。それがアメリカまで飛び火して外務省は大慌て。
 アパルトヘイトの定義をここで解説する気はないが、そもそも居住区差別がこれの原点だ。物書きなら、自分が書いたことの影響を考えなければならない。まして今のようなネット時代では、ある言動が直ちに世界中に拡散するのである。頭が悪いというか鈍感というか、センスは生きた化石だ。こんなことだから女というものは・・・・と言うことになるのである。
 それはともかく、この関連記事をネットで見ていると、曾野コラムに批判的な書き込みが多い中、肯定論もある。その代表的なものは日本のような単一民族社会に異質な民族は馴染まない、というものがあった。これは自民保守派をはじめ次世代tか右翼に強い考えだろう。
 日本人単一民族説が何時頃から始まったかと言うと、一つは19世紀末にヨーロッパで広まった民族主義の影響、次は大正・昭和期に広まった日本人優秀民族説、更にナチズムに汚染された昭和期の国体明徴運動が動機として挙げられるのでi一般化したのは20世紀初頭と考えられる。
 しかし日本人単一民族説は、今では人類学はじめ学問的には完全に否定されている。筆者は日本人とは様々な理由で日本列島にやってきた多民族の混淆によるハイブリッド民族と考えている。元々いた旧石器人は絶滅しているが、BP1万年に誕生したホモサピエンスに属する新人以降では、少なくとも4種類の民族が到来している。
 一番最初は縄文人である。二重まぶた短頭人である。約2500年前に北九州に弥生人と言うものが現れた。一重まぶた長頭人である。この時代中国大陸は戦国乱世時代。おそらくその混乱を避けて逃げてきたのだろう。次が3〜4世紀頃。日本に須恵器や金属採掘文明を伝えた民族。この時期、朝鮮半島も動乱時代。彼等はおそらく朝鮮半島から出雲にやってきた。彼等を出雲族と呼ぼう。これは日本各地に殖民し、一時はヤマトも制圧した。当時京都は出雲の植民地だったのだ。
 その次が南方から来た海洋民族で四国、紀伊半島、房総半島に殖民した。筆者はひょっとすると神武天皇はこれの出身ではないかと思っている。それはともかく大事なことは、日本人は異人種の集合体ながら永年の間に共通の価値観、同質性を獲得してきたのである。だから1500年以上に渉って、国家も国旗も無くても統一を保ってこられた。これは当に歴史的奇跡であり偉業なのである。曾野コラムや、日本人単一民族説はその偉業をぶち壊すことになりかねない。
(15/02/20)

  とうとう最高裁が夫婦別姓論議を憲法審査することになった。これが話題になったのは今から10年位前と思う。そのとき、自民党保守派議員を中心に、夫婦同姓は日本の伝統だ!などと言う主張が出てきた。同じ頃自民党が出した改憲案の中に家族制度の維持というのがあった。これも日本の伝統だ!という論法です。どちらも間違っています。
 まず夫婦同姓は、明治に民法を作るに当たって、フランス・ドイツの民法を丸写しにした結果で、日本の伝統でも何でもありません。単なる欧米文化の模倣なのです。第一、それまでは庶民階級は姓などを持っていない。武士階級でも女性は姓を持たない。
 そもそも日本の姓は律令時代に天皇から豪族・貴族に与えられたもの。平安期に武士階級が勝手に姓を名乗りだしたが、これは僭称に過ぎない。只、弁証法で曰く「量的変化は質的変化を招く」、又マルクス曰く「数は力なり」なのだ。それを氏姓命名権を独占していた藤原摂関家が、利権のために正当化しただけ。徳川だってもとを辿れば怪しいのである。
 家族制度も同じで、これも欧米の制度を丸写ししただけ。普通世間ではこれをサル真似という。
 このサル真似を一番やりたがるのが、一見民族主義を吹聴する自民保守派とか、石原次世代の党だろう。まあサル真似政党だ。
(15/02/19)

 昨日某BSトーク番組。テーマはIWCの決定と調査捕鯨の継続の有無。さてここで視聴者からの意見投稿があって、その代表例が読み上げられた。調査捕鯨継続賛成派は
1)食料資源確保のために鯨の生態把握は必要である。
 これは従来の日本政府の主張であり、投稿者は関係官庁とかその周辺からのサクラの疑いがある。また、鯨=生命体を資源と考えるのには、なにかナチズムに通低するものを感じる。
2)欧米社会の価値観を押し付けられることが問題。
 これは捕鯨とは無関係な単純反西欧主義である。要するに捕鯨は日本の伝統文化だから他人は口出しするな、と云いたいわけだ。ところが冷静に歴史を紐解くと、捕鯨特に今問題になっている南氷洋捕鯨は、日本の伝統でもなんでもなく、戦後食糧難解消のため始めた経済事業に過ぎない。それ以前の・・・江戸時代の・・・沿岸捕鯨にしろ、目的は鯨油とりで、鯨肉が一般市場に回ることは殆どなかった。一部の産地で消費されていたに過ぎない。この事実を無視して形だけ見て伝統々々と叫ぶのが、単純反西欧主義なのである。これを煽るのが、サンケイ*や新潮・文春などの保守系メデイア。かつて満州事変の後、反西欧思想をばら撒いて、日本を戦争に追い込んだ昭和マスコミの愚と罪の再来である。実はこれが現在日本で増えている保守主義・民族主義の現れである。
しかもそれは年寄りだけではなく、若者を虜にしている。現在最大の国際危険因子のイスラム過激主義も、その素は反西欧主義である。たかが鯨といって馬鹿にしてはならない。僅かな票を目当てに鯨鯨と云い続けていた政治家こそが、責任を持たなければならない。
*これを先頭に立ってやったのが当時の朝日。今それをしようとしているのがサンケイ。だからサンケイも朝日を批判出切る資格はない。
(14/09/22)

日本ではクジラやイルカを獲って食うが、中国・朝鮮ではこれ以外に犬も食らう。どちらが野蛮かはさておいて、今中国南部で犬肉祭というものが開かれている。全国の食肉業者が集まって、犬肉の即時販売(つまりホンモノの犬をその場で解体して、参加者に提供するものである)が行われている。勿論動物愛護団体もやってきて反対集会をするが、業者側は、これは中国伝統文化だ、と抗議を無視。それどころか、犬を法外な価格で反対者に売りつけたり、「家族の命は保障しないぞ、と脅迫メールを送る始末。行政も、我々は無関係だ、と知らぬ顔の半兵衛を決め込む。
 中国の犬食文化の伝統は非常に古く紀元前に遡る。漢建国の功臣で、鴻門の会で剣舞を披露して劉邦を救った氾カイの前職は犬殺し。史記に「牛刀をもって狗肉を割く」という言葉があるから、周代以前に犬食の習慣はあったと考えられる。では日本ではどうだったか?仏教が庶民に広まる迄は、結構やっていたのではないか。仲哀天皇死後の服喪令では、一切の肉食が禁止されているから、犬食も例外ではなかったと思われる。
 さてクジラ・イルカ漁を諸外国に批判されても、これは伝統文化だ(本音は選挙の票目当て)と、総理大臣や県知事が居直る日本に、中国・韓国犬食文化を批判する資格があるでしょうか?今後のサンケイ・週刊新潮その他反中・嫌韓メデイアや保守系言論の反応に興味がある。
 和歌山県知事は太地にしかないローカルアナクロ産業の肩を持つのではなく、これが無くなっても大丈夫な新産業の創成に力を注ぐべきである。そういうことをせずに古い因習に囚われているから、和歌山県は20代若者離県率日本一の汚名を蒙らなければならないのだ。いずれ和歌山県からは若者がいなくなり、残った年寄りも死んでしまうから、いずれ和歌山県はキツネやタヌキしかいなくなり、県自身が絶滅する。こんな将来の無い県に、国土強靱化法などで公共事業を注ぎ込む事など無駄の極み。いっそ南海トラフ地震で全滅してくれた方が、天下国家のためだ。
(14/06/22)

 調査捕鯨の国際司法裁判所裁定で日本敗北が決まると、アベはカンカンになって、担当者を怒鳴りつけたと云う。何故クジラ如きで一国の総理大臣がそこまでしゃかりきになるかと思えば、下関が調査捕鯨基地の一つだったのだ。下関はアベの選挙区、選挙地盤なのだ。つまり捕鯨は日本の伝統だとかナントカ、きれい事を並べているが、実態は自分の選挙にすり替えているだけだ。和歌山の仁杉も似たようなものだ。
 これを見てもアベシンゾーというのは、如何に肝っ玉の小さい小人物であるかが判る。あのタレ眼の細面の顔を見ても判るでしょう。
(14/04/06)

 昔、筆者が子供の頃の肉と言えばクジラだった。はっきりいって不味かった。なんとかクジラ生活から逃れたい、と言うのが、あの当時の日本人の願いだったのだ。そして苦難20年、食生活は次第に脱クジラとなり、70年代後半からの円高もあって、アメリカ・オーストラリアから安い牛肉が入るようになり、念願の脱クジラが達成された。万々歳なのである。
 今回国際司法裁判所で日本の南氷洋調査捕鯨に違法裁定が下された。これはIWCの様な、いい加減な機関の決定ではないから、日本もそれに従わざるを得ない(竹島問題もあるからね)。しかしこんなこと、始めから判っていたのではないか?
 そもそも戦後50年代から欧米各国は捕鯨から手を引いていた。
しかし日本は戦後食糧確保のかけ声の下に、南氷洋捕鯨に力を入れていた。ところがその間に日本人の食習慣はすっかり様変わり、クジラなしで十分やっていけるようになった。取得タンパク質トン当たりコストを考えると、捕鯨クジラより輸入牛肉の方が安い時代になったのである。だから捕鯨など止めたってかまわなくなったのだが、世の中、なかなか簡単には行かない。
 ある産業が出来ると、必ずそこに族という利益共同体が産まれる。それは直接生産者や、その周辺の間接業者、彼等を監督する役人、さらにそれらと利権を共有する政治家から構成される産官政複合体である。彼等の究極の目的は、この共同体を生存させるための政府予算を獲得することである。政治家はこの目的に沿って、議会活動を行う。従ってこの利益共同体がなにがしかの集票力がある限り、その産業の社会目的の有無に拘わらず族は継続する。これが捕鯨産業にも発生する。我が国捕鯨産業の場合、直接生産業者は、和歌山県太地町や岩手県陸前高田町など、幾つかの漁業地のみである。一見政治力として大したことはないように見えるが、彼等の結束力は固く、選挙特に地域選挙では無視出来ない力を持つ。
 世の中幾らクジラが要らなくなったといっても、捕鯨関係者は自己防衛のために、あくまで捕鯨継続を主張する。これをきっかけに政治力が介在する。政治家達は捕鯨産業の継続を確約して、それを政策に反映させようとする。ところが元々産業として成り立っていないのだから、まともな政策では捕鯨関係者の要求を正当化できない。ここに知恵のある官僚や学者がいて、「調査捕鯨」なるよく判らない文言を入れる。この結果、捕鯨は公共事業化するのである。ある産業の公共事業化こそは、その産業の堕落のはじまりであり、墓穴までの第一歩である。
 そして(公共事業である)調査捕鯨をダラダラ続けていたあげくが、今回の国際司法裁判所の裁定である。この裁定では日本は科学的調査と云いながら、何もやっておらず、商業捕鯨と何ら変わらないと指摘している。その根拠の中に、何時までやるのか、調査結果が計画にどう反映されているのか判らない、というのがある。当にこれこそが公共事業そのものなのである。本来これは日本人自身が・・・政府に対し・・・指摘しなければならなかったことだ。そもそも「調査捕鯨」の目的は、クジラ捕獲禁止による生態系変化の程度を調べる事であった。しかし科学的調査と言いつつ、その手法は実に非科学的なものだ。クジラを捕獲して開腹し、内容物を・・・主に目視で・・・調べる。それが終われば個体は焼却するのかと思えば、持って帰って市場に販売する。これじゃ商業捕鯨と何も変わらない、と言われても反論出来ない。現代生物学に於ける生態調査は、個体は捕獲せず長期観察によって、行動形態・方法・個体数の変化等を推計化するものである。であれば例えば人工衛星を使うとか、もっと科学的な方法を採用すべきであった。クジラの捕食実態が調べたければ、何も開腹まで必要ではない。麻酔銃で捕獲し超音波断層写真を撮るとか、或いは内視鏡で胃の内容物を調べ、GPSロガーを装着して海に戻せばよい。これだけでもクジラ捕獲技術の維持は出来る。そういう方法を考えるのが、学者の努めである。業者の下請けをやっておるようでは話しにならない。
 処がこういう話しが出ると、たちまちメデイアに踊るのは「日本の食文化を守れ(林農水相)」とか、「捕鯨は日本の伝統文化だ」とか、果ては東京のクジラレストランのオーナーの嘆き顔など、センチメンタル報道のオンパレード。クジラ料理は日本料理の中では何も位置づけられていない。従来の捕鯨は沿岸捕鯨が中心で、遠洋捕鯨が行われるようになったのは昭和になってから、南氷洋捕鯨に至っては戦後である。江戸時代には太平洋岸数カ所で沿岸捕鯨が行われていたが、捕獲量は一村辺り年間せいぜい数10頭。肉の大部分は搾られて油は油脂類に、絞りかすは肥料に、皮膚や髭・歯・骨は工芸品に利用。ほんの一部が地元で食用に供されたに過ぎない。つまり歴史的に見ても、鯨肉が日本の食生活を支えていたとは、とても云えないのである。クジラレストランのオーナーに至っては、アホとしか云いようがない。第一既に20年前に商用捕鯨は禁止になった。調査捕鯨だって何時まで続けられるか判らないのである。つまり材料が入ってこなくなるリスクは始めから判っていたはずだ。だったらさっさと商売替えするのが当たり前。それをやってこなかったのは自己責任。沿岸地区で鯨食をやっている地区があるが、この地区でクジラが獲れなくなったからと言って、いきなり餓死するわけでも何でもない。イルカ騒動の時に、捕鯨反対団体に抗議する民間団体のプラカードに「漁師さんの生活を守れ」というのがあったが、これこそ噴飯・アホ最大表現だ。太地の漁師がイルカだけで食っているわけではない。
 もし調査・商業捕鯨終了で生産者の生活に支障が出るのなら、それに変わる産業を育成するのが、行政であり、政治家の役割である。それを日本の農水行政や各県知事がサボってきただけの話しだ。また、生産者が産業構造変更を拒んできたのなら、それは自己責任である。
(14/04/02)