「抵抗なくなり安全消えた」鎌田慧
国鉄の分割・民営化を追ったルポ「国鉄処分」で、JRの安全に対する姿勢に警鍾を鳴らしたルポライター、鎌田慧さんに話を聞いた。(毎日新聞社)

JR西日本は、他の私鉄との競合が激しいという特殊事情がある。他のJR各社は基本的には独占で、私鉄はつなぐ役割だ。脱線事故現場のある地域は各社の路線が輻鞍している。そしてJRがスピ-ドアツプでトップを切ってきた。国鉄時代は、私鉄を出し抜くということは考えられなかった。公共性や安全性の面では、公共交通の模範であろうとすることが、事業者と労働者の誇りでもあったが、それは崩壊した。経営者の方針とは言え、労使ともにそこに突っ込んでしまった。
「低抗なくして安全なし」は、三井三池炭鉱の労働者のスローガンだった。458人が亡くなった三川鉱炭じん爆発事故(1963年)は、三池争議(60年)で組合が敗れてから起きた。これが教訓だったはずだ。労働者が現場を最もよく知っているのに、組合が弱くなると、ものごとを言えなくなると指摘してきた。
 しかしJRは、分割・民営化に同意しない人間を「人材活用センター」へ送り、草むしりなどをさせた。べテラン運転士を別の仕事に就けた。労働者を管理・支配するのが目的だった。
 恐怖体験として残り「抵抗しない」という姿勢は組合員に今も残る。たとえ23歳の運転士であっても、先輩の身ぷりを見ていたら、それは分かる。運転士は、自己判断をしないといけないのに、会社が「使いやすい人間」を作った。脱線した電車に乗り合わせていた運転士2人が救助活動をせずに出勤したのは、庶民感情として「無責任」だと批判する気持ちは分かる。しかし私は「悲しい」という気持ちが強く、怒れない。どんなことがあっても出勤しなけれぱならないと、ロボット化、マニュアル化された責任はどこにあるのか。2人を擁護するわけではないが、民営化してからの十数年で築いた企業体質が現れた。人命救助を優先するのではなく、遅刻や罰を恐れる恐怖政治があったのではないか。これはJR西日本に限らず、JR全体の間題だ。JRは公共交通を、もうけの手段にしてきた。効率化にものすこいエネルギーを使い、締め付けるような労務管理をしてきた。他の私鉄に比べ行き過ぎていた。労組にも、チェックしなかった責任がある。(談)

「抵抗無くして安全なし」は真実か?…ルポライター鎌田慧氏の談話について

 横須賀の寺尾氏が戦前の亡霊としたら、鎌田氏は70年代の亡霊である。そもそも三井三池労組は共産党主導の国労などと違って、労使協調路線だった。三池闘争は、会社側の突然の合理化案に労組側がまず混乱し、そこに、炭労中央や、特に向坂逸郎という変人が主宰した社会主義協会という左翼団体が介入してからおかしくなった。
 80年代の国鉄紛争も、元々労使協調路線だった動労に革マルが浸透し、それに対抗して中核とか、なんとかの過激派が介入してからおかしくなったのである。
 両者に共通しているのは、組合側に自分達の会社は国の基幹産業だから、国は会社を潰さないし、潰せないという思い上がり、甘えである。これは維新前に佐幕派が高をくくって、勤王派の力を見くびっていた状態によく似ている。
 結果としてどうなったか?抵抗とは絶対保守である。時代が変わろうとしている時に、絶対保守、つまり抵抗を表に出すと、いつの間にか抵抗が目的になってしまって、市民・国民の支持を得られなくなる。国民を敵に廻してしまったのである。こういう世論を背景に、政府は石炭廃止、国鉄解体に踏み切った。抵抗路線は何の役にもたっていない。結局、みんなが迷惑しただけなのだ。かつての絶対保守政党日本社会党の凋落を見よ。
 今、鎌田氏の云うように、「抵抗無くして安全なし」なんてやっていたら、JRはたちまち赤字転落、再度国有化…つまり税金投入…、そしてそれは国民負担として国民に返ってくるのである。こんなことに支持を与えるほど、国民・市民は甘くない。

最近になって気になるのは、国鉄民営化は間違っていたとか、昔の国鉄の醇風美徳をたたえるような、反動的評論をあちこちで見かけることである。国鉄の醇風美徳とか何か?私が最初の会社勤めをやった会社で、国鉄のOBを採用した。当時の支店長は建設省出身だったから、その時はおとなしくしていたが、某支店に転出したときに、私が見たのは勤務中に事務所の中で酒を飲み出すという習慣である。おそらく国鉄時代にこういうことをやっていたのだろう。本人はこれを国鉄の醇風美徳と思っていたかも知れないが。


 ある時の毎日新聞にこういう記事が載っていた。「福知山線のある地下駅(おそらくは「西宮名塩」駅。1980年代前半の作品ではなかったかと記憶している。複線地下駅のため扁平大断面トンネル。あの時期に、これをNATMでやっているのだ。コストダウンのためだろうが、一種の技術的冒険でもある。興味のある方は同駅で下車して、覆工の様子を見て下さい。)の次駅表示の看板がコストダウンを目的に撤去された。ところがこの看板は運転士が停止位置の目印に使っていたもので、これ以後オーバーランなどが頻発し、組合が抗議して結局看板は復活された」。この例では、組合側も会社側も対応が間違っている。労使双方がこういうことだから、何時まで経っても駄目なのだ。
 まず、あらゆる施設には設置する目的がある。その目的が達成されたり、必要性が低下すれば、所有者は撤去したり、移設して合理化するのは当たり前である。一方、JR(というより旧国鉄からの)の運転士は、既にある何らかの施設を経験的に基準として、距離測定を行っていた。しかし、その施設は運転の目印を目的として設置されたものではない。そこに矛盾がある。まず、簡単な話だが、既存の施設とは別に、距離標識を設置して位置関係を明示すればそれで済む…設置位置や方法を労使で協議して決めればそれで良い…のである。その点での人間工学的視点が労使双方に不足している感がある。
しかし、結局のところ
1) 組合には新しいテクノロジーや時代の要請を受け入れる勇気。
2) 経営側には末端の細かい不安を受け入れる度量。不安を残したときの将来への想像力。
が欠けていたと思われる(これも三池闘争に共通している)。
 バブル時代には、俗に3K(キケン、キタナイ、クライ)職場というものがあって世間から嫌われたものだ。筆者はある時、国鉄OBのトンネル屋から「別の3Kというものがある、これを追放しなけりゃならん」ということを云われたことがある。それはカンとケイケンと キアイである。旧国鉄こそ、この3Kの固まりだったのだ。この3Kは理系人間からは敬遠されるが、いわゆる根性モノ文学になりやすいので、文系人間からは意外に支持される。JRになってもそれが精算されていなかったのだろう。
 私は鎌田氏の文章の背景に、未だこの種の3K崇拝があるのではないか、という気がするのである。誤解があれば失礼。

                                                              技術士(応用理学)横井和夫

(追伸)以下は鎌田さん宛ではなく、日本のマスコミに対しての質問です。
事故後JR西日本の対応とかJR西社員の行動について、大きい批判が寄せられている。TVマスコミなんかでは、JR西の記者会見は、殆どかつての〇〇解放同盟の糾弾集会のようになってしまっている。だからもうニュースでこの事件が報道されると、見ないことにしている。さて事故後の社会問題には次のようなものが感じられる。
1) 一部社員の行動に不謹慎な部分があったのは事実だろう。しかし、それをもって会社の全てを断じるのは、ナチズムとおなじである。
2) JR及びJR社員への嫌がらせが頻発した。それを煽ったのはメデイアとインターネットである。ユダヤ人、ハンセン病患者への迫害も、似たような雰囲気で始まったのだろう。一番尻馬に乗ったのはメデイアとインターネットだったのだ。
3) 福知山線宝塚〜尼崎間は不通になったが、その他の線区でダイヤが大幅に乱れた痕跡はない。オーバーランが増えたという報道はあるが、これは眉唾。マスコミが故意にオーバーランを取り上げた疑いがある。現実には、JR西日本の大部分の社員は、事故があったにも拘わらず、普段通りに職務をこなし、市民のためのダイヤを守ったのである。特に20代の若手運転士がこれを支えたのだ。これは大変な精神力と組織力が必要である。この事実をどう評価するか?是非マスコミの意見を伺いたい。
 なお、日本の鉄道は、戦争中、周りが爆撃を受けていても、ダイヤを守ったという伝統がある。


 今年は例の紫雲丸事件から55年らしい。その時の引率教員(現在79才)が毎日新聞に寄せた手記の中でこういうことをいっている「この事故の原因は、・・・国鉄が金儲け主義で、レーダーなどの技術を過信した・・・・」。前半の金儲け主義までは納得出来るが、後半の技術過信論は行き過ぎである。レーダー以外に何を頼りにしたらいいんでしょう。カンとケイケンとキアイでしょうか?そうすればもっと酷いことになったでしょう。尼崎脱線事故のようなことが起これば、必ず出てくるのが、この種の反科学・技術主義だ。こういう時代遅れの反動こそ日勤教育の対象にしなけらばならない。


日勤教育の奨め


 今回のJR西日本事故で、世の中には日勤教育というものがあることを知った。こういうものがあるのなら、私も現役管理職時代に取り入れるべきだった、残念!
 今の日本では、本当に日勤教育が必要な連中がいる。例えば、漢字を読めない民放TV女子アナ、テロップを間違えるデイレクター(特に8chが酷いんじゃないか?05/19でも、”臣籍”を”親戚”と間違えたのがいる)、ネタを忘れる漫才師、ワープロの変換を間違える新聞記者、ものを知らずにトンチンカンなことばかり云うワイドショーコメンテーター、特にライブドアをもてはやした経済評論家、犯人を取り逃がす警察官、年金を間違える社会保険庁、構造計算が出来ない建築士、地図が読めない地質屋、設計基準の意味を理解出来ない技術士補、業務のストーリーを作れない技術士、国策判断を誤る官僚と政治家等々、幾らでもいますよ。特に、「イラクに大量破壊兵器がある」と主張しまくった某国与党政治家、とか「いずれ出てくるでしょ」と居直ったアジア某国首相には、草むしり、反省文、公開での自己批判等厳しい日勤教育が必要である。