日本人は農耕民族か・・・・高級官僚の教養

                                      技術士   横井和夫

 立花隆氏の評論によると、日本高級官僚の最大弱点は「教養が無い」ということである。教養とは、正しい知識とその周辺の知識のことである(それだけではないが)。日本の高級官僚とは、東大法学部を卒業し、国家公務員1種(昔は上級甲)に合格し、本省採用となったキャリア官僚を指す。この人達に正しい教養が無いなんて、と普通の人は思うに違いない。この種の東大法学部出身行政経験豊富といわれる人間の特徴として、様々な断片的な情報を取り入れ、即時に一つのそれらしいストーリーに仕立て上げる、という特技が挙げられる。これは学部時代に鍛えられるのか、行政官庁に入ってから鍛えられるのか、よく判らないが、確かに我々地方大学の理工科系出身者にはない技である。

 しかし、これは真実を見つめる技ではない。とりあえず人をだますのには役に立つ。筆者は最近当にその典型を見いだした。その人とは、現在危機管理コンサルタントとして令名高い佐々淳行である。この人は日本やその周辺更に世界に何か事が起きると、危機管理評論家としてマスコミによく登場する。アフガンの時にもよくTVに登場していたが、云うことが何か素人臭くあまり信用出来る人物ではない、という印象を持っていたのである。

 そしてこれは駄目だ、という結論を得たのが、過日、毎日新聞主催で行われた「太平洋シンポジウム」での講演である。これにより、彼が教養を持っていないということが露呈された。

 本講演で佐々は「(1)欧米人は騎馬民族で日本人は農耕民族である。(2)農耕民族は危機管理に弱く騎馬民族はそうではない」と結論している。その例証としてテロ後の各国の対応を挙げている。

 佐々のいわんとする処をまとめると「アメリカの要請に対し英仏等ヨーロッパ諸国はいち早く反応した。中国・ロシアも追随した。それに比べ我が国は当初イスラム諸国との関係を意識して明確な態度を打ち出せなかった。その結果返って集団自衛権発動に対するハードルを高くしてしまった。この原因として考えられることは農耕民族はリーダーを選ぶのにぐるぐる回りし、その結果リーダーが明確な意志を打ち出せない。それに比べ、騎馬民族はその時に応じて最も有能なリーダーを選ぶ。リーダーの命令の基に一致して行動する。つまり、農耕民族は騎馬民族に比べ危機管理が不得手である」と云えよう。ここでいう、農耕民族とは我が日本人、騎馬民族とはヨーロッパ人を指しているのは顕かであろう。

 佐々は危機管理能力の差を民族性の差と捉えている。しかし、本当にそうなのか。氏が本当に民族というものを理解しているのか、極めて疑問である。つまり、これは氏の教養の問題になる。

 筆者が常々危惧しているのは、前時代に与えられた内容空疎・検討不十分な仮説が、あたかも定説の様に世論を支配し、それがまた新しい世論を形成するということである。ここで云う、前時代とは明治から昭和40年代までの間のことである。そして、その時代に誤った世論を形成した犯人として、筆者は@超国家主義者、A統制主義者、B社会主義及びマルクス主義者、C朝日新聞及び東京大学を挙げる。特に、マルクス主義に犯された東大経済の罪は深い。佐々の議論はその典型というべきである。
 ここでは、彼の議論の問題点を次の4点に絞って検討する。

  1. ヨーロッパ人は騎馬民族か
  2. 騎馬民族のリーダーシップ
  3. 日本人は農耕民族か、危機管理は不得手か
  4. 高級官僚の教養について

1、ヨーロッパ人は騎馬民族か
 佐々はヨーロッパ人を騎馬民族と思っているらしいが、ヨーロッパ人こそ農耕民族なのである。ヨーロッパの神話や伝説の中に、騎馬民族的なものは何一つない。ヨーロッパ文明の祖先である(とヨーロッパ人が考えたがる)古代ギリシャ人の説話集であるイソップ物語の中で、我々が一番よく知っているのは「アリとキリギリスの物語」や「アキレスと亀の話」である。これはいうまでもなく派手な…騎馬民族的…生活より地道な農耕民族的生活のほうが有利であるという話である。ギリシャ人の大部分は農民であり、これから外れた連中が海賊や山賊になった。ヘラクレスやテーセウスといった英雄(実は与太者・ごろつき)は後者である。はみ出しギリシャ人の一部がイタリア半島に植民して、ローマを作った。彼らも生活の基本は農耕である。何故、そういえるかというと、現在のイタリアやスペインには荒涼とした石灰岩台地が発達する。これはギリシャ人が農業(放牧)のために森林を伐採した跡なのである。

 現在、フランスやドイツ・中欧地域・イングランド地方には広い牧草・平原地帯が発達する。これは紀元前1世紀以降のローマ侵攻による農耕化の産物である。それ以前はこれらの地域は鬱蒼とした森林地帯で(ケーザル「ガリア戦記」参照)、先住民であるケルト人やゲルマン人はその中で定着生活を送っていた。第一、ヨーロッパは騎馬民族が育つほど広くはない。
 ロシアのヨーロッパ化はそれより大体 1000年程遅れている。彼らはローマ文明に接した後、完全に農耕民族化してしまった。これらの諸国がテロ後にどういう対応をとったか。農耕民族が危機管理能力に劣るとはいえないのである。

 なお、佐々だけではなく多くの日本人は、ヨーロッパ人=騎馬民族という誤解を持っていると思う。この理由は中世騎士物語やハリウッド映画の影響だろう。十字軍以前のヨーロッパ騎士の馬は、力は強いが足が太く速度も遅い。駄馬つまり農耕馬だったのである(但し、図体が大きいのと、当時のヨーロッパ騎士は頭から足の爪先まで甲冑で覆い、馬にも甲冑を着せていたので、アラブ側はこれを化け物と思って闘う前から逃げ出したらしい)。機動性の点ではアラブの駿馬には敵わない。アラブ馬を導入し品種改良を行った結果、漸くヨーロッパにも機動性のある騎兵が生まれることになるが、それはナポレオンの登場まで待たなくてはならない。中世以後ポーランドやハンガリーでは騎兵術が発生したが、これはモンゴルの侵攻による影響が大きい。
2、騎馬民族のリーダーシップ
 佐々によれば、騎馬民族ではリーダーは常に優れた人物が選ばれことになる。そうだろうか。世界史上最大の騎馬民族国家は何と云っても大モンゴル帝国である。モンゴルの皇帝には世祖チンギスハーン以来、優れた人物がいたのは事実であるが、数からいうと、優れていない人物の方が遙かに多い。又、選出方法は彼が考えているほど単純明快なものではない。

 大カアンはクリルタイと呼ばれる部族代表会議で選出されるが、これは定期的に行われるものではない。実はクリルタイの前に次期大カアンは決まっている。クリルタイを招集するものが大カアンになるのである。大カアンは単に先帝の子供というだけでは資格にならない。血筋・家系は勿論であるが、後継者になる正当性、全モンゴルを統率出来る実力・能力があると、皆から認められなければならない。そのどれかが欠けた場合は、レースから降りるか、武力で奪権する。
 ではどういう風にして実力を認めさせるかである。クーデターのような実力行使を伴わない場合、まず必要なことは各部族連合の実力者への根回しである。そのためには買収・接待は当たり前で、時には脅迫や暗殺という最終手段が用いられることもある。クリルタイ開催までに通常数ヶ月、場合によっては数年を要することもある。実に時間がかかるのである。それでも云うことを聞かないものがいる。2代皇帝オゴタイが死んだときも、一悶着があってオゴタイの子ギュクが周りの意志を無視して強引に即位するが、この時のクリルタイには最大実力者のバツやモンケは参加していない。つまり、バツやそれに同調する連中はギュクを正統大カアンと認めていないのである。バツがギュクを消して3年間大カアンは空位になる。この間、バツは大カアンでもないのにやりたい放題をやっている。最終的にモンケが第4代皇帝になるが、これもバツの強大な軍事力が背景にあったから可能だったのである。他のモンゴル王家達(抵抗勢力)もとうとうバツ・モンケ連合軍の前に抵抗を諦めたのだろう。但し、モンケは上に挙げた、大カアンになるための資質を全て備えた有能な人物であった。その優れた資質も弟のクビライ辺りで終わりになる。

 騎馬民族を代表するモンゴルの後継者選出システムは、農耕民族を代表するはずの日本自由民主党総裁選挙システムとそっくりなのである。
 チンギス以前のモンゴル大ハーンは単なる部族連合の代表、いわば村山連立総理みたいな者であった。専制君主として振る舞ったのは、チンギスとモンケぐらいで、クビライでも、重要事項は部将・重臣と慎重に計った上で決定している。

 もう一つの騎馬民族を代表するオスマントルコはどうだったかというと、少なくともスレイマン2世までは完全に実力主義である。モンゴルの場合は形式的であっても、他から推挙されるという手続きを経る。オスマントルコでは後継者たらんとする者は、いち早くライバルを排除して自ら即位を宣言する。周りから選ばれるというような悠長な手段は執らない。そうしなければ自分が殺されるからである。その後、ライバルの家族や家臣団の粛正にとりかかる。これに最も似たパターンは、かつてのソ連や中国共産党の後継者争いである。ロシアや中国が騎馬民族国家だったとはとても云えない。

 以上のことから云えることは、国家が重大な決断を下したり、優れたリーダーを選出するシステムには農耕民族・騎馬民族の差は何ら関係しないということである。 

3、日本人は農耕民族か、危機管理は不得手か
 60才代以上の日本人には、日本人は農耕民族と思っている人は多いかもしれない。しかし、これは江戸幕府から明治政府に至る権力者が日本人に植え付けた固定観念である。日本の産業が農業主体になったのは鎌倉時代以降、正真正銘の農業国家になったのは、江戸時代以降のたった300数10年前のことに過ぎない。戦国以前では、農民と武士との区別は殆どない。農民を束ねていたのが、中小領主である。彼らは、乱世になれば常に諸国の動勢を伺い、どちらにつけば良いかを計算していた。ある時は武田につき、ある時は徳川につく。これに失敗すれば滅亡し、うまくいけばとりあえずは生き残れる(真田氏のように)。これこそ、危機管理能力である。
 江戸時代になって、農民にとって戦乱の災厄は無くなったが、飢饉という災厄と闘わなければならなくなった(戦争が無くなったので人口が増えだしたり、生活が贅沢になったのである)。その場合でも農民は諸国の作付け情報を交換したり、品種改良や土地改良を通じて飢饉対策をやってきた。江戸時代を通じて、日本で出版された農書は数万編に及ぶといわれる。これは農民が趣味で作ったものではなく、土地生産力維持・改良のための技術書であり、いいかえれば飢饉対策のノウハウの集積なのである。1783年浅間山の噴火は全世界的に気候寒冷化をもたらし、フランス革命はこれが原因だという説がある。この時日本は天明の大飢饉になったのだが、革命にまでは至っていない。
 つまり、江戸期以前の農業国家日本の日本人は、何時来るか判らない災厄に対し、常に用心怠りなく対応を用意していたのである。危機管理能力が無かったとは到底いえない。天明飢饉に次いで天保飢饉が列島を襲うが、これの被害が拡大した原因は気候ではなく幕府官僚の失策である。

4 、高級官僚の教養について
 以上、事実に基づいてヨーロッパ人は騎馬民族なのか、日本人は危機管理能力に劣るのか、を検討してきた。相当、脱線してしまった感はするが、要するに頭が良いと云われる東大出身官僚というのは、実際は何も知らなく、適当にその場しのぎの面白おかしい話をするだけの連中に過ぎないということである。こういう連中がひけらかすものは教養とは云えない。教養というものは、しっかりと裏打ちされた根拠のある知識を背景にしたものでなければならない。その点が今の日本人に最も欠けている。誰が一番欠けているかと云うと、それは総理大臣コイズミである。私は彼ほど教養の無い人間を見たことがない。それと世界で最も教養の欠けている人間はアメリカ大統領ブッシュである。あのチンパンジー野郎の何処に教養が見い出せるのか。チンパンジーの飼育係がチェイニーとかラムズフェルドなのだが、この連中の顔にも教養というものが見出せない。何故なら彼らが話す言葉に「正しい知識」というものがないからである。何故、「正しい知識」が持てないのか。ズバリ、歴史というものを理解することが出来ないからである。従って、彼らはチンパンジーなのである。

5、危機状態になった時、日本人は何故うろたえるのか
 何故日本(政府)は重大決断を迫られる時に躊躇するのか。幾つか原因が考えられる。主な物としては

  1. 前大戦の記憶
  2. 与野党の反目。特に野党の立場とそれに対する与党の配慮
  3. 官僚の保身
    が挙げられる。
    もう一つ興味ある要因として
  4. 血液型

がある。ここで、ABは云っても仕方がない。特にB官僚の保身は最大要因と考えられるのであるが、これは他の評論家やマスコミが散々云っているので、敢えて言及する必要も無いだろう。従って、ここでは@Cについてのみ検討する。

  1. 前大戦の記憶
    昭和 16年10月東條内閣が成立した。東條首相はこれまでの日米懸案事項を一挙に解決しようとして2カ月後に日米開戦になった。その後の顛末は皆さんご承知のとおりである。この原因の一つに日独伊三国同盟がある。だから、反戦主義者が集団自衛権についてアレルギーを起こすのはやむを得ないし、それを迫られるような事態では政府・国民の意見が一致しないのもやむを得ないのである。しかし、同じ敗戦国であるドイツは全く態度が違うではないか、という反論があるだろう。しかし、日本とドイツとでは敗戦経験の数が違う。日本は徳川240年間、対外戦争をしたことがない。戦争の始め方、終わらせ方についての経験に基づくノウハウがない。日清・日露の両戦争は受験生が一所懸命、参考書を勉強して漸く合格答案を書いたようなものである。それに比べ、ドイツは中世以来何度も戦場になっており、その中で敗戦の経験が多数ある。だから、立ち直りのノウハウを持っている。日独の差はこの経験の差によるものが大きい。
  2. 血液型
    日本人の血液型はA型が最も多く、次いでO型、B型、AB型の順になる。島国の1民族としては血液型分布の幅が広い。この点からも、日本単一民族説はあり得ない。各血液型の特徴は既に様々な説が紹介されているが、科学的には何ら根拠は無い、というのが定説である。しかし、川上はA型、王はO型、長嶋はB型と云われると、何となくありそうな気がしてくる。即ち、A型は調整型、O型は論理・決断型、B型は独創(走)型。AB型は数が少ないのでどうでもよい。国別でいうと、ドイツと北米先住民は圧倒的にO型が多くイギリスはB型が多い、といわれる。中国南部、東南アジアもB型が多いらしい。

 こう書くと、日本政府の決断が遅いのは、政府首脳に調整型であるA型が多いせいのように思うかもしれない。しかし、これは事実とは違う。戦後日本総理大臣の血液型で最も多いのはO型である。B型は、一人一人は好き勝手なことをいうが、いざとなると他の血液型人種よりまとまる傾向がある。むしろ、厄介なのはO型で、独立性が強いから一度ねじを曲げると、なかなかうんとは云わない。しかし、筋を通せばなんとかなる。このように、リーダーの血液型がどうだからとうことはない。血液型が何であれ、それがある絶対多数を持っておれば、話がまとまるのは早い。逆に血液型が多数に分散しておれば、それをまとめるのに手間暇がかかるのである。

 だから、内閣が決断的かそうでないかの判断基準の一つとして、閣僚の血液型分布を調べることが挙げられる。マスコミも組閣時点でこれを公表して貰いたい。なお、閣僚の血液型の公表は個人情報保護法違反には当たらない。何故なら、建設工事の現場ではヘルメットに血液型表示が義務付けられているからである。

                                       以上



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