終戦62年色々


毎年この季節になると、やれ靖国問題、やれ戦争責任問題、やれ憲法問題と国論を二分しかねない話題が多くなる。暫くするとみんな忘れてしまうのだが。何故こういうややこしい問題を、敗戦後60年以上も引きずって行かなければならないか、と言うと、左翼はそれが戦争責任だ、と云うし、右翼は戦後レジームの所為だ、と云うだろう。どちらも間違っている。何故このような不毛の議論が続くかというと、それは日本が戦争に負けたからである。戦争に勝っておれば、靖国問題も起こる訳がない。問題は何故戦争に負けたか、、という総括が戦後一貫して政治の場で行われなかったことである。日本の敗戦原因については、戦後多くの著作があるが、つまるところ昭和天皇の1)軍人の驕り、2)過度の精神主義、3)科学技術の軽視、という指摘に要約される。筆者はこれに加え、戦争に勝つための戦略、戦争を終わらせるための計画がなかったことを挙げておきたい。更に開戦の根拠となった、企画院による戦争資源見積もりの数字にねつ造があったことを忘れてはならない。つまり、前の戦争は恐るべき無責任と無計画の下に開始されたのである。戦後の極東軍事裁判は、その正当性について疑わしいものがある。だからといって、被告の全てが無罪潔白と言うわけではない。国民としては旧軍事・政治指導者に対し、国民軍法会議によって改めて敗戦責任を追及すべきなのである。これを厳格に実施すると、極東裁判被告の少なくとも半数はやはり、有罪であり、又不起訴無罪となったものの中からも有罪犯が出てくる。例えば、服部卓四郎や辻正信は極東裁判では不起訴だったが、国民軍法会議では当然有罪、絞首刑である。
(07/08/15)


 またまた8月15日の敗戦記念日です(当社HPでは終戦記念日という欺瞞的表現は使いません)。この時期になると多くなるのが、あちこちのマスコミでの敗戦特集。昔、一部のどちらかというと親米保守派に「日本は戦争の負け型が上手かった。戦後アメリカに抵抗もせずアメリカと協調する事によって、経済発展を実現することが出来た」。これは一面の真実です。ワタクシも若いころはそう思っていた時期もあった。しかし、イラク戦争の経緯を見ていると、果たしてそう単純に割り切って良いか、疑問に感じられます。何故、占領軍に対し、イラクが抵抗し、日本人は唯々諾々としたがったか?それは日本人の精神構造が未だ未熟で、未開人のレベルを越えていなかった・・・或いは一神教と多神教の違い・・・に過ぎなかった、と云えるのである。
 未開人同志の闘争では、人間と神が共に闘う。戦いに敗れると、自分達の神は相手の神より弱かった、として自分達の神を捨て、敵の神を崇めるという現象が、洋の東西を問わず見られる。カンヤマトイワレビコがヤマトに侵攻したとき、ヤマトのヤソタケルは抵抗するが、カンヤマト族に敗れると、全面的に服従し、カンヤマト族の尖兵として諸方の征服に乗り出した。オウスノミコが九州のクマソを討つと、カワカミタケルはオウスにヤマトタケルという名を与え、終生変わらぬ服従の誓いを立てた。東北の蝦夷はヤマトに抵抗を続け、最終的にヤマトに降伏したのは、1867年戊申戦役の奥羽戦争の後である。ヤマトに頑強に抵抗した九州・東北は、その後大日本帝国の中でも最も強靱・忠実な兵士の供給地となった。ヤマト以上にヤマトになろうとしたのである。
 紀元10〜11世紀頃にゲルマン人が一斉にゲルマンの神々を捨ててキリスト教徒になったのも、同じく紀元10世紀にロシア人が雷神の像を川に捨てて、キリストの神を受け入れたのも、似たようなものだろう。1945年9月連合軍総司令官マッカーサー大将(未だ元帥になっていないはず)が厚木飛行場に降り立った時、日本人が見たものは、高天原の神々を倒した強力なアメリカの神だったのである。 それ以後、ワシントンのホワイトハウスという神殿に鎮座するアメリカの神は、日本人が信仰する唯一神となり、マッカーサーはその最高司祭官として神と人民との間に君臨したのである。神には人民に恵みを与えると同時に、まつろわぬものどもを罰するマガツカミの一面もなくてはならない。そう言えば、筆者が子供の頃、おふくろが「云うことを聞かんとマッカーサーを呼ぶぞ」と怒鳴っていたのを覚えている。母親や学校の先生の云うことを聞かず、宿題もせずに、夕方遅くまで外で遊びほうけている悪ガキにとって、マッカーサーは当にマガツカミだったのである。つまり、8月15日という歴史的記念日は、日本人が伝統的な多神教の神々を捨て、アメリカという唯一神を受け入れた日なのである。その結果、日本はアメリカの神に一睨みされると、祟りを恐れて身がすくみ、何も云えなくなってしまったのである。
(07/08/14)

久間の「原爆投下しょうがない」発言は、本人の辞任で有耶無耶決着しましたが、実はこれはもっと根が深いものがあり、今後も誰かが似たようなことを云い、その内みんな「しょうがない」になってしまうおそれがある。何故、こうなるかと言うと、次の三つの問題が、今なお曖昧なまま残っているからである。
1) 戦後の、特に日本の反核運動の性格
2) アメリカが原爆開発をした動機
3) 日本に原爆を投下した理由

1) 戦後の、特に日本の反核運動の性格
 1955年8月、第一回原水爆禁止世界大会(原水禁)が広島で開催された。その一ヶ月後に今度は原水爆禁止全国協議会(原水協)が発足した。これは社会党主導の原水禁に対する代々木の分裂策動であるが、実は当時ソ連のスターリン批判に伴って、代々木が独自路線を採り出したのと関連している。このように日本の戦後の反核運動は、始めから左翼運動が関連していたのである。しかもその左翼も一枚岩ではなく、社会党系対代々木系に分裂し、両派の対立が反核運動にそのまま持ち込まれてしまった。更に、これは世界レベルで云えば、東西冷戦構造をそのまま反映していたのである。この点が、日本の保守派にとって、反核運動は、市民運動とは名ばかりで、その実態は左翼運動、反体制・反米運動ではないか、という疑念を産む原因になった。先年の本島元長崎市長狙撃事件や、頻繁に繰り返される広島原爆ドームへの嫌がらせ事件、更に今回の久間発言は皆この延長線上にある。そして、更にその先に、今もくすぶっている日本核保有論が存在する。
2) アメリカが原爆開発をした動機
 革新団体や左翼文化人あたりから「原爆が投下されたのは日本が戦争を始めたからだ」といった「原爆投下日本責任説」が発せられる。あの「原爆許すまじ」の歌詞も、どことなくこのニュアンスなのだ。相当のインテリでも・・例えば大江健三郎や本島元長崎市長も・・これに引っ掛かっている傾向がある。この説に従えば、まるで日本が戦争を始めたから、アメリカが原爆を作った、ように聞こえる。この説は戦後左翼(ひょっとするとソ連辺り)から広められたプロパガンダである。この点から、本説は保守派特に自由主義史観論者から、自虐史観と批判されるのである。筆者はむしろアンチ自由主義史観論であるが、それでもこの説は受け入れられない。いやそうではない、真の責任は日本軍国主義にある、と言い換えるであろう。果たしてそうだろうか?
 1940年か41年頃、アメリカに亡命していたアインシュタインから、アメリカ大統領F.ローズヴェルトに一通の書簡が送られた。それはナチの拡大を防止するために原爆開発の必要性を説くものだった。これがアメリカ政府の了承を得て、原爆開発計画、いわゆるマンハッタン計画に発展するのである。当時のアメリカの科学技術力と言えば、はっきり言って二流である。著名な核物理学者もいない。独自で核兵器開発など思い付く筈もない。後にアメリカの原爆開発を主導したのが、フェルミ、ファインマン、V.ノイマンら亡命ユダヤ系科学者だったことが、何よりの証拠である。
 では何故アインシュタインが原爆開発をアメリカに奨めたのか?彼が恐れたのは、かつての同僚であり、ライバルであったハイゼンベルグが、ナチの支援の下、究極核兵器(水爆…この点が如何にもアーリア人種であるドイツ人らしい)を開発することである。水爆の開発は極めて困難で、当時では殆ど不可能と考えられていたのだが、ハイゼンベルグの天才とドイツの科学技術力を持ってすれば、これは不可能ではない、とアインシュタインは考えた。彼にとって、このおそれは夢物語ではなく、極めて現実的な脅威だったのだ。そこで彼が考えたのが、ユダヤ的現実主義により、水爆より威力は劣り、放射能汚染という問題を残すが、手っ取り早い原爆の製造である。
 一方、日米の関係は険悪化してはいたが、破滅状態ではなく、少なくとも核兵器で解決しなければならないような問題はなかった。おまけに、アインシュタインは元もと大変な親日家で、対日目的に原爆開発を奨める訳がない。アメリカの原爆開発は飽くまで対ドイツ戦略、ナチの拡大防止で日本軍国主義ですらない。だから「原爆投下日本責任論」は、全く根拠を持っていない。もし、日本側にこのような意見が残っていれば、アメリカはそれを逆手にとって、絶対に非を認めないだろう。
3)日本に原爆を投下した理由
 これには戦後いろんな説が現れた。それをアメリカにとって都合の良い順に並べると、次のようになる。
(1) 戦争終結加速説
(2) ソ連対日占領防止説
(3) 議会、選挙対策説
(4) 人体実験説
 何故このようにいろんな説が出るかというと、アメリカ政府が投下直後の明確な説明をしていないからである。
(1)戦争終結加速説
 いわゆる、「原爆投下が無ければ、100万人の戦死者を出したであろう」という珍説である。久間発言の後、ジョゼフ核拡散防止対策大使が述べたが、これ自身戦後日本側からの批判が強くなったので、アメリカが苦し紛れにでっち上げたデマゴギーである。45年8月当時、米軍首脳の多くはもはや日本に戦争継続能力はなく、これ以上の打撃を与える必要は無い、と言う点で一致していた。特に日本本土上陸作戦の指揮官に予定されていた、スプルアンス大将が原爆投下に反対した事実は、この説の正当性を否定するものである。
 但し、アメリカがこの説を唱えた根拠はある。それは戦争末期国内で掘削された軍用トンネルの存在である。幾つかの事実から、米軍は軍用トンネルの存在を知らず、占領後に始めて知ったと考えられる。一方ヨーロッパではドイツ軍によるアルプス要塞(噂だけで実態はない)というものがあり、アメリカがこれと日本の軍用トンネルを無理矢理くっつけて、脅威を拡大宣伝し、戦死者100万という妄説をでっちあげたと考えられる。
(2)ソ連対日占領防止説
これが久間発言の核心である。ソ連の対日参戦は45年2月のヤルタ会談で承認されており、原爆を投下したところで停止させることは出来ない。スターリンは、これとは別に北海道占領を意図していたが、それを止めたのは、東欧に於ける共産圏の拡大に驚いた、米英仏中が対ソ強硬姿勢に転じたからで、原爆ではない。その証拠に、ソ連が対日開戦に踏み切ったのは原爆投下後の8.09である。それと親ソ派のローズヴェルトがその前に死んでいたのも影響しているかもしれない。従って、これも何ら根拠のない妄説である。これを見ても判るとおり、久間という人間は、歴史を全く勉強していない政治落第生である。
(3)議会、選挙対策説
 原爆は出来たが肝心のドイツがその前に降伏してしまったので、原爆の使い道が無くなってしまった。それなら使わなくて良いではないか、となるが、そうはいかないアメリカの国内事情があった、と言う説である。大統領トルーマンは日本への原爆投下の是非を8人の陸海幹部に諮問したところ、賛否はまっぷたつに分かれ、大統領自身が最終決定を行わなくてはならなくなった。この場合、アメリカ型民主主義のセオリーでは、積極的結論が議会への説明でも、選挙対策でも有利に働く。トルーマンはローズヴェルトの死を受けた成り上がりだったのと、1年後の中間選挙、三年後の大統領選挙を意識して強い大統領を演じた、というのが本説の骨子である。他の説に比べ、これが一番説得力があり、現在ではこれが主流になっている。
(4)人体実験説
論評にも値しない妄説である。人体実験だけに、三発も原爆は要らない(アメリカが実戦に用意したのは三発。但し三発目は輸送途中で、日本潜水艦イ58の攻撃で海底に沈んでしまった。その後この原爆が回収されたという話しは聞いたことがないので、まだ沈みっぱなしなのだろう。それを某国とか某組織が黙って回収したらどうなるか、面白いですねえ。007かダイハードの世界になりますが)。第一輸送コストを考えただけでも、こんな実験が議会の承認を得られるはずがない。
 以上述べたように、原爆投下の理由については、(1)(2)は歴史学的にも、軍事学史的にも根拠を持たず、(4)に至っては殆ど妄想の世界である。従って、最も信頼出来る説は(3)議会・選挙対策説である。

 さて、久間発言の究極の問題は、日本の核武装是非論に行き着く。彼の狙いは、当に日本中に核武装是非論を巻き起こすことである。それに対する反応としては、左翼系からは感情的な反発だけ。一方保守系からは露骨な核武装容認論は出ないが、例えば07/07TBSサンモニでの女評論家(確か大宅壮一の娘だったと思うが名前は知らない)のように、国民の中で徹底議論すべきだ、といった衣の中の鎧をちらつかせるのが出てくるのである。もし徹底議論して、核武装すべきという結論が出たらどうするのか?大宅ババアの意見を聞いてみたい。
 何故こうなるかというと、核武装という極めてデリケートな問題に対して、日本人は余りにもナイーブだからである。原爆容認(しょうがない)派も、否定派も原爆投下の当不当(これはとりもなおさず日本の核武装是非論に結びつく)を議論して相互理解を深めようとするなら、その前に冒頭で挙げた3点について基本的な認識を共有すべきである。その為に必要なことは
1、 左翼・革新派にとっては、戦後反核運動に見られる左翼イデオロギーと、「原爆投下日本責任論」の克服。
2、右翼・保守派にとっては、「原爆投下投下容認論」の克服。特に原爆投下決定過程の正しい知識の習得。
である。
(07/07/11)


久間が辞任して、後がまがアバズレ小池百合子。アベの人脈にまともなのはいないのかね。小池なんぞ、レベルでは久間と変わらない。まともに軍事や、戦争の歴史を勉強していない、という点でだ。この女は生まれつきの淫乱だね。次々と男を変えて平然としていられる。それを淫乱というのである。最初は細川、次小沢、色々あってコイズミ、アベだ。男を見るのに特徴がある。権力だ。権力を持ちそうな男に、何故か擦り寄っていく。思想とかそんな高尚なものではない。殆ど女の本能のようなもの。第一、顔が場末のホステス風。とても銀座や北新地ではない。ところが、男がアホだから、あんな低級な色香に騙されてしまうのである。
(07/07/03)


 
またまた、久間がトンデモ発言。戦争の早期終結、ソ連の日本本土占領阻止のために必要だったと、原爆投下容認。但し、これは戦後アメリカが流したプロパガンダの受け売りで、珍しくも面白くも何ともない。如何に本人が何も勉強してこなかったか、の証拠である。これ自身が戦後レジームなのである。この手の原爆投下容認説は50年代から60年代にかけて見られたが、その後の研究で殆ど死に絶えた。(1)日本がポツダム宣言を受諾した直接原因は、8.09のソ連参戦・・・これによってソ連の仲介による停戦の見込みは無くなった・・・であって、原爆ではない。(2)当時の日本政府が、原爆というものをどの程度理解していたか、疑問である。(3)その後の大本営の議論や、御前会議でも原爆が話題になった形跡はない。第一、ソ連が参戦したのは原爆投下後の8.09。原爆はソ連参戦の抑止力になっていない。それどころか2.04ヤルタ会談で、アメリカはソ連の対日参戦を容認している。また、アメリカの原爆保有は7.16ロスアラモス実験で明らかになっているし、アメリカはこれを踏まえて7.17ポツダム会談に臨んでいる。その前のドイツ占領時に、ソ連は大量のドイツ人科学者をソ連国内に連行している。つまり、ソ連はアメリカの核の脅しを屁とも思っていなかったのである。
実はその当時、アメリカは使える原爆を持っていなかった。三発目の、そして最後の原爆を積んでいた米重巡インデイアナポリスが、日本の潜水艦イ58によって撃沈されたからである。なお、イ58の橋爪艦長は米艦を回天特攻ではなく、通常魚雷戦でしとめている。何かと言えば、特攻贔屓のアナクロアホ都知事に聞かせてやりたい。なお、三発目の原爆投下予定地は新潟県柏崎。筆者は当時産まれて半年ぐらいだったが、上海から母の実家の柏崎に疎開していたのである。イ58の活躍が無ければ、とっくの昔に蒸発だ。「しょうがない」なんて軽口で済まされては、たまんないんだよ。久間!判ってんのか?久間こそ長崎原爆で蒸発しておればよかったのだ。
 ソ連が北海道占領を思いとどまったのは、原爆の所為ではない。その前にアメリカは、戦後のドイツ・東欧処理をソ連との分割占領で合意した(ヤルタ協定)。ところがそこに出てきたのは民主主義国家ではなく、ソ連共産党に指導された共産主義国家の群だった。これに驚いたアメリカ(当時容共親ソ派のローズヴェルトは死んでいた)が、やっとソ連=スターリンの野望に気付き、対ソ同盟(米英仏中)を結成して、対ソ対決姿勢を見せたからである。
 日本に原爆を投下するか否かという決断に当たって、大統領トルーマンは8人の軍幹部を召集し、各自の意見を求めた*。結果は次のとおりである。
              賛成             反対
    陸軍      アーノルド         アイゼンハウワー
                            ブラッドレー
                            マッカーサー
    海軍      キング           スプルアンス
             ニミッツ
             リーヒ
    計        4                  4
 賛否同数である。この結果、トルーマンが最終決断を下さなくてはならなくなった。こういう場合、アメリカの大統領は積極的方向を採用することが多い。それは個人の性格と言うより、アメリカ型民主主義の当然の帰結である。おまけにトルーマンは、ローズヴェルトの死を受けた副大統領からの成り上がりである。1年半後には中間選挙、3年後には大統領選挙の洗礼を受けなくてはならない。この時、弱気な決断しか出来なかったと言うのは、決定的な弱みになる。対日原爆投下は、こういう政治事情を踏まえた、国内向けパフォーマンスだったと言うのが、現在の見方の主流である。
 上記の原爆投下決定の内幕は、映画「マンハッタン計画」がほぼ忠実である。この映画は、おそらく日本では劇場公開されなかったのではないか、と思われるが、時たまTVで放映されることがある。
 久間の見解は、戦後の研究結果を無視し、原因と結果を取り違えた妄説にすぎない。一方、参院選前にこんなことを言い出すのは、選挙対策としてマイナスにしかならない。それにも拘わらず、原爆容認発言をするのは、将来の日本核武装のための地均しの可能性がある。後ろで糸を引いているのが、アベとか中川昭一辺りか。
*;この時の、各将官の反応が面白いので紹介しておこう。
まず反対派から
1、アイゼンハウワー、ブラッドレー、スプルアンス
 彼らは、日本は最早継戦能力はなく、これ以上の打撃を与える必要は無いと主張した。ヨーロッパ凱旋組であるアイゼンハウワー(陸軍参謀総長)とブラッドレー(同次長)の関心は、むしろヨーロッパで進行中の東西対立である。共にマーシャルの弟子である二人が、日本に原爆を投下した際、日本国民に生じるであろう反米感情は、戦後の日本の統治政策ばかりでなく、極東の安定化にもマイナス要因になる、といった戦略的判断をしたと考えられる。
2、マッカーサー
 マッカーサーは会議には出席せず、書簡で反対の意を表明した。マッカーサーの
目的は、自分の陸軍の手で日本占領を実現することである。この時、「奴は原爆の助けを得て勝利した」と云う噂でも出れば、自分の栄光に傷が付く。だから反対である。
賛成派
1、アーノルド
 陸軍航空隊司令官。世界最初の原爆投下という任務は当然陸軍航空隊に与えられる。この栄誉を逃すことはない。
2、ニミッツ、キング、リーヒ
 太平洋で日本軍と直接闘って来たのは海軍である。楽な戦いばかりではなかった。特に硫黄島、沖縄の日本軍の頑強な抵抗は、彼らに強いインパクトを与えた。日本本土に上陸したとき現れるであろう状況は、彼らにとって悪夢でしかなかった。そこにマンハッタン計画の担当者が現れ「強力な兵器がありますよ」と囁けば、彼らはどう思うだろうか。損害が減るなら何だって構わない。使えるものは全て使う。それと、マンハッタン計画は陸軍予算で賄われていたため、彼ら海軍首脳が、原爆の実態を知らされていなかったケースは十分考えられる。陸海の仲の悪さ、連絡の無さは、何も日本のお家芸ではない。アメリカだって相当のものだったのだ。

 以上の通り、米軍最高幹部の中でも、原爆で日本の降伏が早くなると思いこんでいたのは、極一部(8人中の3人)に過ぎなかったことが判る。しかも、この三人はワシントンやハワイで軍と政府や大統領との調整を図っていただけである。実戦指揮を担当するスプルアンス大将(事実上日本侵攻上陸作戦総指揮官を予定)までが、原爆投下の必要性を認めていない。と言うことは、久間の述べた原爆の戦争早期終結効果論は、全く根拠を持たないのである。
(07/07/01)


RETURN    一覧へ    TOPへ