大相撲の真実・・・・貴乃花騒動

 本来なら「貴ノ岩騒動」とすべきですが、騒動を拡大したのは貴乃花だから「貴乃花騒動」にします


 貴ノ岩が日馬富士に対する提訴を取り下げた。理由はモンゴルでのバッシングが強かったから。これもホントかね?騎馬民族社会で目上に対しこんなこと(法的措置)をすれば、どんなことになるかはじめから分かっていたはずだ。提訴取り下げ理由には、バッシングもあるだろうが、やっぱり裁判で勝てないと考えたからではないか?だったらテレビでのあの騒ぎは一体何だったのか?それより貴ノ岩を後ろで唆していた人物の責任はどうなのか?
 筆者としては本訴となって、事の真実、特に医師の診断書の信憑性が明かになるのを期待していたのだが。それとも大阪の医師が辞めてくれと頼んだのか?下手すると医師法違反で医師資格を失うことになる。
(18/10/30)

 本人の退職で一件落着かと思った貴乃花騒動。マスコミはそう簡単には諦めてはくれないようだ。よっぽどネタがないのか、それとも重要ネタ・・・例えば日米TAGとか・・・を発掘する能力がないのか?
 貴乃花騒動の続きには、次の二つがある。
  1、貴ノ岩の損害賠償請求訴訟
  2、貴乃花の政界進出
1、貴ノ岩の損害賠償請求訴訟 
 一連の騒動になった昨年9月の日馬富士暴行事件の民事版である。請求額は2400ン10万。これが多いか少ないかは別にして、マスコミではもはや日馬富士が払わなくてはならないとか、内訳が多いとか少ないとか、余計なことばかり報道している。
 損害賠償請求というのは、原告側請求額以上の判決が出ることはないので、目いっぱいに膨らませる。逆に被告側はこれを徹底的に値切る。値切り方は色々あるが、こういう場合は原告側にも責任の一半はあったという論理に持っていく。
 貴ノ岩も大きな損害を被ったが、日馬富士も横綱引退に追い込まれ大きな社会的制裁を受けた。そもそも事件の発端は貴ノ岩が横綱の説教にも拘わらず携帯をいじっていたのに日馬富士が激高したためだ、と主張する。
 また、大事なことは刑事と民事は全く別の裁判だということだ。刑事裁判は日馬富士による暴行事実があったかどうかだけが問題になるが、これは日馬富士が認めているので解決済み。しかし民事では原告が蒙った被害が、賠償請求額に見合うものかどうかが争われる。ここで問題は貴ノ岩の怪我に対する診断書が二通あるということである。一つは事件直後鳥取の医師によるもので、これでは1週間もすれば回復することになっている。ところがその一か月後に、貴乃花が発表した、大阪の医師の診断書では、負傷は脳内に達するおおきなもので数カ月の入院加療を要することになっている。貴ノ岩側はこれを根拠に日馬富士を提訴していた。しかし、この病院は元々貴乃花と懇意にしており、その診断内容の客観性には疑問を感じざるを得ない。当然今回の訴訟では、この二つの診断書の真偽が争われることになる。
 双方の主張を裁判官がどう判断するかは分からないが、日馬富士もそれなりの損失を被ったのだから、被害相殺ということで、相当値切られそうな気がする。せいぜい500万程度か?ただ疑問なのはこの訴訟、貴ノ岩本人の意志だろうか?。
 長幼上下の序列を重視するモンゴル社会。日馬富士と貴ノ岩とでは、社会的地位が違いすぎる。日本の相撲社会はば番付本位だが、いったんモンゴルに帰れば別問題。貴ノ岩だっていつまでも日本にいるわけにはいかない。いずれモンゴルに帰って第二の人生だ。それを考えると、ここで日馬富士を訴えることは、モンゴルでの人生を自ら閉じることになる。そんな重大事を、25才ぐらいの若者がするだるか?誰かが背後にいて、それに操られているのではあるまいか?相撲世界では親方以外に考えられないだろう。
2、貴乃花の政界進出
 退職願が受理された途端、現れたのが国会で元文部政務管の馳。本人は否定するものの、タイミングといい、会った相手といい、場所といい、誰だって将来の政界進出、ターゲットは来年の参院選と思うのは当たり前。
 報道では退職届の原因として、①全ての部屋はどれか一門の属さなくてはならないという決定がされたが、それを知ったの9月場所が終わってから、。②一門に加わるには昨年文科省に提出した告発状を事実無根と云え、という噂がある、というものだが、全て伝聞に過ぎず具体的な証拠はない。相撲協会はこれを公式に否定(芝田山広報部長)している。①は協会の定款変更を伴う機関決定であり、貴乃花一人を無視することはあり得ない。後述するが本人の思い込みである可能性が強い。
 また、これもネット報道だが、貴乃花は馳に対し、色々積もり積もったものを打ち明けたらしい。これにうんうんと頷く馳もアホだが、つまらぬ個人の不満を、公人である国会議員に対し、国会という場を使う神経というか、幼児性に驚く。孔子曰く「男子三十にして立つ、四十にして惑わず」。またリンカーン曰く「人間は40を過ぎると自分の顔に責任を持つべきだ」。両者のいわんとするところは、人間30も40もなったら、他人に愚痴など云わず、トラブルは自分の力で解決せよ」ということだ。
 この点で、これまでの貴乃花の言動を振り返ると、大人の対応というより、子供それも幼児に近いのである。子供というのは視野が狭く、思い込みが強く、肉親以外の外部との接触を拒む傾向が強い。しかし成長とともに次第に社会性が伴ってくる。しかし中には成長しても幼児性を強く残す人間もいる。貴乃花の場合、報道によれば協会理事会でもじっと黙ったきりで何も言わない。又記者会見を見ても、まずまともな議論が成立しない。それでいて不満というか自分の意志が通らない場合は、協会・・・これは本人が属している社会組織・・・を飛び越えていきなり告発やマスコミ会見とうの最終手段に訴える。これは子供によくみられる「言いつけ」行動である。現在の貴乃花支持者は概ね芸(能)人、芸能マスコミである。が、この幼児性が彼の人気の秘密なのかもしれない。
 では貴乃花の性格はどのようなものか?筆者は「妄想性パーソナリテイ障害」と見る。これは脳内物質の内、ドーパミン不足によるもので、これが進行するとアドレナリン過多となって、外部に対し激しい怒りを覚える。常にそういう状態ではないが、何かスイッチが入ると症状が現れる。原因は何か強いストレスである。これが昂じると、外部の情報が遮断され、脳内に妄想が現れ、それに支配される。
 例えば理事会では、自分に関係ないことや関わりたくないことまで審議し、意見を求められる。そういう時は外部から情報を遮断し、じっと黙ったままになる。これはドーパミンが減少した事態である。一方自分が呼び掛けて記者会見を開くと、集まる記者は芸能・スポーツ関係・・・貴乃花シンパやファンが多い・・・ばかりだから、出てくるのは彼に対するヨイショ質問ばかり。途端に機嫌がよくなって・・・ドーパミン分泌が刺激される・・・饒舌になる。
 兄の花田虎上によれば、かれは小学生の時から、テレビの相撲中継を正座して真剣に見ていたと云われるから、幼少期から自分自身を強いストレス状態においていたのであろう。もう一つ考えられるのは、入門時に兄弟子達からいじめにあっていたのではないか?という疑いである。元々緊張性格だったのに加え、いじめが加われば、性格が頑なになるのは当然だ。
  さて世間には、貴乃花に国会議員になってもらって、更にスポーツ庁長官になってもらって、大相撲改革をやってもらいたいというアホが大勢いる。今の騒ぎの発端は貴乃花による相撲協会への遺恨に過ぎない。何故個人的な遺恨を国会という場で晴らさなければまならないのか?国会議員は一人頭少なくとも2~3000万は掛かる。それもみんな税金だ。貴乃花が国会議員になtっても、国会の隅でじっと黙っているだけだ。これなど、税金のの無駄遣いにすぎない。
(18/10/07)

 元横綱貴乃花が協会とのドタバタ騒ぎの末、やっと退職で決着しました。筆者は貴乃花ファンでもなければ相撲もあまり関心はないのでどうでもよいのだが、昼に暇つぶしにTVのワイドショーを見ていると、どの局も、出てくるコメンテーターもみんな貴乃花贔屓で、相撲協会こそ保守的で悪の巣窟のような雰囲気だ。特に8chが酷い。この原因は現在のテレビキー局が東京に偏在しし、その結果ワイドショー出演者も東京在住者に限られるため、東京出身の貴乃花に関心が偏るのだろう。
 マスコミによく言われるのは、貴乃花は革命児、孤高の改革者というホメ言葉である。組織に改革・革命が必要なのは、その組織が現在に何らかの危機にありか、あるいは現状を放置しておけば危機的状態になり得ると客観的指標で予測される場合である。相撲協会でいえば、観客数が減って売り上げが落ちたとか、相撲人気が落ちて新弟子志望者がいなくなったとか、というのが一番の危機的状態である。しかし、現在の大相撲は、昨年の白鵬パワハラ問題にも拘わらず、連日満員御礼で人気は絶好調。新弟子志願者も別に不足ではない。つまり経営的には何の問題もない。
 将来組織を危機に陥れる可能性の代表的な問題は、組織内権力闘争とか金銭を巡るスキャンダルである。最近顕現した最大の権力闘争は、誰あろう貴乃花本人と現執行部とのそれである。この闘争は執行部ではなく、貴乃花とそれを後押しするマスコミが仕掛けたものだ。金銭トラブルとして某紙が挙げているものに、国技館回収工事疑惑とそれに絡む怪しい人物の存在である。
 ところがこの問題があったのは北の湖理事長の時代、貴乃花も理事だった。怪しい人物を解雇し、問題を解決したのは」実は現在の八角執行部なのである。貴乃花はこの怪しい人物の言い分を信じ込んでいたらしい。それを八角がクビにしたので、八角に恨みを抱いたという説がある。この点について、彼の兄である花田虎上は「・・・弟は近づいてくる人物の言うことを信じやすく、いったん信じると、誰が忠告しても一切耳を貸さない・・」と語っている。この頑なさが簡単な問題を複雑にこじらせる原因なのだが、本人は全くそれに気づいていないようだ。
 貴乃花改革とは何か?昨年来マスコミはかれを孤高の改革者というが、かれが改革したものに何があるだろうか?よっぽどの相撲ファンでなければ分からないのではないか?彼のアイデアの一つに大相撲のナイター中継というのがある。これをNHKに持ち込んだところ、けんもほろろに断られたので、それでNHKとの関係が悪くなった。NHKだって都合がある。一年6回90日間、7時から9時までの時間帯を相撲中継に取られるわけにはいかないのである。それに世の中には相撲に関心のないものも多い。しかしこんな非現実的なことを考えるということは、かれは日本国民みんなが相撲ファンで、あるいはファンでなくてはならないという思い込みがあるのではないか?これこそ迷惑以外のなにものでもない。
 貴乃花を支持する人達には芸能界やそれに近いスポーツジャーナリストが多い。彼らはまずサラリーマン生活というものを経験したことがない人達である。つまり世間に対し無責任であり、且つそれを売りにしている人種である。サラリーマン社会で、仮に貴乃花的人物が自分の部下または上司にいたと仮定すると、これはかなりウットオシい話である。
 まず正論ばかり吐いて人の言うことぉ聞かない。一言注意をすると黙って何にも云わない。それどころか、会社への不満を発注者のところへ行ってぶちまける。こういう人物には付き合ってられない、というのが世間一般の評価。すもの協会も貴乃花が出て行ってくれてセイセイだろう。なお相撲は親方がとるものではなく、力士がとるものだ。
(18/10/02)

 年寄総会後の貴乃花記者会見で、ある記者が「親方の改革案は・・・?」という質問をしたところ、貴乃花は「自分はそのようなことは言っていない。マスコミが勝手に言っているだけだ」と否定。
 そうなのだ、貴乃花贔屓のマスコミや芸能人(安藤優子や立川しらく、玉木ナントカというスポーツ評論家、それに女性週刊誌)は、勝手に貴乃花を改革派、協会を守旧派と決めつけ、今回の騒動を正義vs悪の対決構図に仕立て上げてしまった。ワタクシは始めから、貴乃花こそ真の守旧派でと云っている。
 今回の貴乃花騒動こそ、本来の相撲ではなく、只の場外乱闘だったのだ。皆さん、上に挙げたアホの云うことは信用しないように。
(18/04/01)

 なんとなく有耶無耶で終わりそうな貴乃花部屋暴行問題。貴乃花は、例の件で忙しくて、弟子の面倒を見られなかったのでこうなった」と釈明。本当でしょうか?例の件とは、日馬富士暴行問題に端を発する協会との軋轢。
 しかしこの間、彼が問題解決に動いた形跡は、少なくとも表向きには見られない。例えば協会幹部が合いに行っても居留守を使って出てこない、理事会にも出席しない、巡業部長でありながら、九州巡業はすっぽかす等々、とてもいそがしかったとは思えない。弟子の面倒を見る時間は十分あったはずだ。つまり彼は公衆の面前で、公然と嘘をついたのである。
 それにも関わらず、内部で暴行事件が発生するとは、貴乃花部屋の体質に問題があったとしか考えられない。部屋の体質は親方の性格・人格を反映するmのだ。ということは、彼のそれに問題があるということになる。
 それにも関わらず一部のマスコミ関係者や芸人・・・安藤優子や立川志らく他・・・は、貴乃花擁護に血眼。まるで被害にあった付き人に非があったあったような口ぶりだ。被害者は「・・何のわだかまりもありません」と親方を擁護するが、そんなことはない。自分は殴られた上、マスコミから馬鹿呼ばわりされてリるのだ。
 こういう親方・兄弟子を庇う自己犠牲を強要する理不尽こそが、相撲界の過去からの悪習である。貴乃花は本来こういう悪習を根絶するはずだったのではないか。こういうのを言行不一致という。こういう人間こそ角界から追放すべきである。
(18/03/22)

 方や引退に追い込まれ、方や休場だけで済む。一方は刑事告発を受けて略式だが裁判まで受け、一方は何のお咎めもなく示談で済ませた。言うまでもありません。型や日馬富士、方や貴公俊のことです。どちらも暴力行為に違いはない。違うのは日馬富士が傷つけたのが他(貴乃花)部屋の力士だったのに対し、貴公俊は同じ貴乃花部屋だっただけ。他の部屋だろうが同じ部屋だろうが、暴力に変わりはない。ところが親方である貴乃花の対応は全く逆である。これをえこひいきという。
 えこひいきをするのは貴乃花だけではない。マスコミでは女性週刊誌、それと芸能界に酷い。芸能界では立川志らくという大阪では聞いたことのない咄家が、今回も「貴公俊がバカなので、貴乃花は悪くない」と訳の分からぬコメントを発表。こいつ多分談志の息子だろうが、親もバカなら子もばかだ。落語に親子酒というネタがあるが、こいつは親子バカ。これもまたえこひいき。
 世間は貴乃花が直ぐに協会に報告したのが潔い、などと馬鹿げたことを言うのがいるが、これは日馬富士事件で、協会がモタモタしたのを逆手にとった三文芝居に過ぎない。要するに、世間は馬鹿ばっかりだから、かっこいいところを見せれば後についてくると云うわけ。貴乃花の背後に誰かいるのだろう。例の弁護士か?今の世の中、政も民もえこひいきだらけ。えこひいきを開放したのが、誰あろう天下の日本国総理大臣アベ晋三。美しいくにとは、えこひいきがまかり通る国のことだ。
(18/03/20)
 

 理事選前の不気味な高笑いに比べ、選挙後は憮然とした表情の貴乃花。何があったのでしょうか?それもそのはず理事選前には阿武松に10票、あわよくば自分に2票か3票、計12~3票と踏んでいたのに、蓋を開けると阿武松に8票自分に2票の計10票しか集まらなかった。2~3票が何処かに逃げたのだ。これでは三月の理事長選も危うい。理事長選に出馬すべきか否か、迷うtころだ。
 昨年の日馬富士暴行事件以来、貴乃花は周辺に自分の所信をメールで表明している。それを見ると、彼の主張には・・・自分は毘沙門天(炎)の生まれ変わりというのは御愛嬌として・・・「伝統」、「相撲道」、「大義」とか言う大時代な言葉が頻繁に使われている。
例えば昨年12/03に本稿で触れたメールでは角道、報道並びに日本を取り戻す・・・「相撲の精髄」をあきらかにして日本の国体と皇室をお守りすることが自分の大義・本心である」てなことを言っている。
 また、初場所後にも理事選出馬に向けて各方面あてに出したメールにも、「古き伝統を取り戻すために改革を行う」、「日本の伝統を守ることが相撲道の目的であり、全力士の義務である」という意味に変わった。ここで初めて「改革」という言葉が出てきたが、全体としてはたいしたことはなく、むしろ伝統復活に力点をおいている。
 ところが理事選直前の出馬表明では、「伝統」とか「相撲道」といった大時代な言葉は消え去り、やたら「改革」が強調されるようになった。この表明は大きく前半と後半に分かれる。前半では「現在の相撲協会は都合の悪いことは隠し、問題から逃げようとする」と現執行部を非難し、後半では[大相撲は誰のものか」とし公益法人である相撲協会の公益性を盾にとって、開かれた誰でも話せる開かれた協会に改革する、と主張する。ここで初めて「公益性」という言葉が出てきた。毘沙門天と公益性がどう結びつくのかよくわからない。
 さて最後の選挙前出馬表明は、これまでのような過激な言葉はなく、誰でもが受け入れられやすい言葉が並んでいる。誰かテレビキャスターが、これは正論だといったらしいが、確かに一つ一つの言葉には反論できない。だから正論といえば正論だ。これは果たしく貴乃花本人が書いたものでしょうか?何となく貴ノ岩事件以降、テレビのワイドショーなんかで無責任な評論家やコメンテーターが発する、いかにも正論のような言葉を、誰かゴーストライターが拾い集めてつないではないかという感じがする。鈴木宗男も同じようなことを言っていた。
1、
協会の隠蔽体質、逃避傾向
 先ず貴ノ岩事件から見てみよう。貴乃花の協会理事解任理由は、貴ノ岩事件の顛末を協会に報告せず、先に鳥取県警に被害届をだし、更に長期にわたって協会からの事情聴取にも応じなかったことである。これに対し貴乃花派(=協会批判派)は、先に協会に報告すれば事件をもみ消される恐れがあったからだ、と推測する。しかしこれは論理的におかしな話である。そもそも傷害事件における被害届提出は本人またはその代理人が行うものであり、第三者である日本相撲協会にはなんのかかわりもない。つまり協会がもみ消そうとしても、それを無視して被害届」を出せばよいのである。貴ノ岩側としては、医師の診断書を添えて休場届を協会に出せばよい。どっちが先でもよい。加害者である日馬富士他」の処分は起訴後という流れになるでしょう。従って協会隠蔽説というのは根拠にならない。また昨年暮れに行われた危機管理委員会の聞き取り調査では「自分の弟子だから明らかにした」と述べている。ということは、他の部屋の力士が被害者だったら握りつぶしていた、という意味に捉えられる。
 それより協会役員が召喚状を以て部屋に行っても、当人は全く無視するのみ。それどころかたまに出てくると、役員を無視して車で何処かへ出ていってしまう。これは外形だけから見ると面倒からの逃避行為にしか見えない。
 そして三年前の春日野部屋暴行事件。相撲協会の危機管理体制は、親方→危機管理部長→理事長→危機管理委員長の順に上がる。春日野はこのとき危機管理部長(貴乃花)、理事長(北の湖)には報告したと説明している。一方危機管理委員長の宗像弁護士は「そんな話聞いていない」と述べる。ということは、危機管理部長か理事長の間で握りつぶされたことになる。この点について貴乃花は一言も説明していない。つまり貴乃花にも隠蔽体質はあるのだ。
2、日本の伝統
 貴乃花がしきりに口にする言葉に「伝統」がある。例えば「伝統を守り」とか「、伝統を取り戻す」とかである。ところがこの「伝統」とは如何なるものか、さっぱり説明がない。伝統とは過去に起源を持ち、時代とともに人々によって継承されてきた文化である。貴乃花は相撲の起源を、ある時は「武術」「神事」といったり「勧進相撲」が起源と云ったりして一定しない。この三つの言葉はいわゆる奉納相撲に起源を持ち、村の男性によって受け継がれてきたもので、現在でいうアマチュア相撲の源流である。
 貴乃花(だけでなく一般の相撲ファン)も大相撲と相撲をごっちゃにしていると思われる。先に述べたアマチュア相撲がいわゆる「相撲」で、これはすでの国際化し(SUMO)、世界選手権まで行われている。大相撲というのは、江戸時代初期にこれが興業化したもの、つまりエンターテインメントなのである。貴乃花が神事と勘違いしている勧進相撲も、いわばショーであって宗教儀式とは程遠いものだったろう。これは現在の地方巡業に当たる。今でも地方従業の主催者を勧進元と呼ぶのは、その名残である。
 現在の大相撲の起源が江戸時代の大相撲なら、その本質はエンタメである。そうなら観客や贔屓筋が喜びそうなことは何でもやるのが当たり前。例えば貴乃花や原理主義的相撲ファンが忌み嫌う八百長など、江戸大相撲では当然で、観客などそれが当たり前と思って見ていたに違いない。現在問題になっている暴力行為も江戸時代なら当然だったはずだ。ということは、現在の大相撲はそっくり大相撲の伝統を守っていることになる
 しかし、こんな屁理屈に貴乃花が納得するはずがない。かれは彼独自の伝統感を持っているはずだ。それが何者か。彼自身が明確にしないから困るのだ。察するに「何物にもけがされない美しい日本の相撲」というのが、彼が理想とする伝統なのだろう。例えば、常陸山・双葉山時代、栃若時代、白鵬時代なのである。この時代には外人力士はいなかった。彼の目では、外人力士特にモンゴル勢が増えてきてから、土俵が荒れてきたように映るのだろう。その張本人が朝青龍であったり白鵬になるのである。しかし、先に挙げた彼が美しいと感じる時代にも、八百長や暴力はあったはずなのだ。なぜならこれらは江戸大相撲に既に起源を持つからである。ここに貴乃花の主張の矛盾がある。
 なお江戸時代の相撲社会というものはどういうものだったろうか?江戸時代は厳しい身分制社会で、武士だけでなく農町民も職業は全て世襲とされていた。一方力士という身分は存在しない。芸能人や僧侶・神官と同じく身分外である。力士の殆どは農村出身者である。つまり相撲社会は、身分制社会からはみ出したアウトローで構成されていたのだ。そういう社会は人間の欲望と力が露骨にぶつかり合うことになる。つまり伝統的な相撲社会は、貴乃花始め一部のファンが夢見る清廉な社会ではなく、ドロドロした欲望社会だったのである。
3、改革
 日本人はとかく「改革」という言葉が好きである。改革を唱えればそれは正義であり、それに反対したり従わなければ、守旧派(悪)とされる。現在のマスコミ論調、特に貴乃花擁護派は、貴乃花=改革派=正義、一方対する相撲協会は守旧派=悪という図式で全てを切りとろうとする。改革もいろいろあって、中にはコイズミ改革のようにやらない方が良かったという改革も多い。特に経団連の意を受け、大蔵=財務省が口先を出してきていた教育改革こそ諸悪の根源。
 それは別にして、果たして貴乃花が改革派なら、具体的にどのような改革をしようとするのか?あるいはしてきたのか?貴乃花=改革派という等式が出てきたのは、貴ノ岩事件が発覚して間もないころ、昨年の11月頃だろう。言い出したのは相撲の専門家ではなく、素人の芸能人やその周辺のマスコミ。彼がやっと改革を公にしたのは、やっと今年二月の理事選直前。その内容も抽象的な文言の羅列で、中身や具体性は全くない。本当の改革派なら、現在の相撲協会も問題に切り込み、その構造を批判し、それに基づいて新しい方策、モデルを提示する。これを実行することによって、組織はより高いステージに到達する。これが弁証法で言うアウフヘーヴェンである。小池百合子はこの意味を全く理解せず、性質の異なるものが一緒になることがそうだと思っていたらしい。
 さて大相撲は伝統格式を重んじるとはいえ、本質は大衆相手のエンターテインメントである。従って大衆の要望に応え、様々な改革を続けて来なければならないのは当然である。例えば戦後のテレビ中継に対応するために四本柱を撤去して大鉄傘にするとか、式守伊之助の誤審判定事件を契機に写真判定を取り入れたとか、幕内力士の数を減らして取り組みのスピードアップを図るとか、場所の前半に好取組をもってきて注目度を高めるとかである。外人力士を認めたのは大改革の一つだろう。公益法人化以後も様々な取り組みをしてきたはずだ(筆者は相撲には興味がないのでよくわからないが)。しなければ監督官庁から注文がついてくる。しかし、ある親方(ネット情情報)は、貴乃花は八年間理事をやってきたが、理事会ではいつもダンマリで、具体的な改革案を主張したことはなかったという。
 彼の云う改革とは、我々が考える「改革」ではなく、初場所後に各所に配布された声明の「古き伝統を取り戻すために改革を行う」、「日本の伝統を守ることが相撲道の目的であり、全力士の義務である」が本音であり、理事選前の改革声明は、どちらかというとマスコミ向けプロパガンダである。「古き伝統」とは何を意味するのか、さっぱり分からないが、要するにこれまで協会が進めてきた諸改革を全てひっくり返すという意味と取らざるを得ない。そしてその本命は、外人力士特にモンゴル系の追放だろう。そうならそうと勿体ぶらずにそういえばよいのだ。何となくオバマ改革をすべてひっくりかえそうとするトランプのようなものだ。
(18/02/15)


 大相撲初場所はグルジア出身の栃ノ心が優勝して終わり。グルジアがどのあたりにあるのかは知っていましたが、グルジア人とは民族的に何に属するのかよくわからなかった。そこでウイキで検索してみると、祖先はコルキス人だという。ではコルキス人は何者かというとよくわからない。ペルシャとの関係もあるらしいから、おそらくコーカサス系アーリア人種の一部ではないかと思われる。ギリシア人の血も入っているかもしれない。 
 それはともかくテレビのワイドショーは、相変わらず角界暴力隠蔽体質騒ぎ。登場する評論家や専門家は口を揃えて、この際膿を出し切り古い暴力体質を改めて、角界を改革しなければならないと説く。御説御尤もだが具体的にどうすればよいのかが無い。
 上記の角界体質の根本的原因は、独特の部屋制度にある。これに最も似ているのが、江戸時代の大名屋敷である。これは一つの自己完結社会で治外法権でもある。内部で不祥事が起こっても、内々ですませてしまう。今と違って警察(奉行所)も手出しができない。屋敷の中で何が起こっているか、外部の者には何もわからないのである。
 実際現在の相撲部屋は独立した存在で、協会と云えども簡単に立ち入りは出来ない。その証拠が貴乃花呼び出し騒ぎ。協会幹部が貴乃花部屋の前まで行くが、中には入れない。つまり協会と云えども部屋の内部について把握するには限度があるということである。
 ではこのような部屋制度が何時頃から始まったか。相撲が興業化するのは江戸時代初期だが、始めからこのような制度があったとは考え難い。おそらくは農村地帯のしきたりをそのまま持ってきたのだろう。その後歌舞伎などの芸能の影響もあって、様々な伝統様式・しきたりが形成された。化政期以後武家社会との繋がりが出来て、そn影響を受けるようになった。部屋単位の縦割り社会など、武家社会そのものである。
 このような封建閉鎖社会では、どうしても長幼上下関係が形成され、その秩序維持が何よりも重要視される。そのためには暴力も容認されるのである。ところが現在の世論はその事実を直視せず、近代社会の価値観を当てはめようとする。その典型が先に挙げた暴力追放角界改革論である。
 この結果一時的には効果は出るかもしれない。しかし問題の背景・・・つまり部屋制度という封建制・・・が残っている限り、いずれ必ず同じことが起きるだろう。根本的な解決策は部屋制度の廃止だが、それでは現在の大相撲そのものが成り立たない。協会どころか一般力士からも反発をくらう。ということで、相撲界が現在の形態を守る限り、解決策は無い、というのが筆者の結論だ。なお、一部には現在の協会執行部そのものを批判する向きもあるが、八角を辞めさせたところで、何にも変わらないのは明らかである。
(18/01/30)

降ってわいたような大相撲不祥事。これは他でもありません。貴乃花部屋での出来事。理事選前に貴乃花によって廃業させられた元力士が、協会に対し行った地位確認訴訟で、後輩力士が貴乃花部屋での暴行どころか、自身も師匠の貴乃花に暴行を受けたと証言。貴乃花側はこれを事実無根と否定するが、法廷での宣誓供述だから持つ意味は大きい。一般の力士は国税庁の佐川ほど鉄面皮ではない。
 果たしてこれが貴乃花の云うで「伝統」「相撲道」の実態なのか?
(18/02/05)

 日本相撲協会評議員会で、貴乃花に対する処分が決定。理事降格だけだから大甘処分だ。巡業部長解任と云っても昨年10月以来、巡業部長の職務を放棄しているのだから当たり前。現実には何も変わっていないのである。昨年一連のこの騒動を見ると、あるコメンテーターが言っていた”普通の会社なら”という基準を当てはめるとどうなるか。企業執行役員の中で貴乃花のような行動をとるものがいれば、企業として統率がとれなくなる。つまり貴乃花は解任どころか解雇相当である
 例えば協会の協力要請を無視したり、役員が部屋まで訪れているのにそれを無視して車を発進したり、といった無礼行為である。貴乃花は相撲道を説く。相撲道の中には礼節がある。みずから礼節うを欠く行動をとっている。これを容認すれば協会は組織として成り立たなくなる。
 ところが現実は有耶無耶処分だ。これの最大の弊害はマスコミが騒ぎ出す余地を作ってしまうことである。似たようなケースは幾らでもあるが、例えば太平洋戦争中のインパール作戦である。この責任は司令官の牟田口中将にあるのは明らかなのだが、軍首脳は東条首相、上級司令官の河辺正三と牟田口の関係をおもんばかると同時に、それまでマスコミにインパールでは連戦連勝だとフェイクニュースを流し続けたものだかr、結果として三万もの死傷者を出してしまった。牟田口やその片棒担ぎの参謀達で責任をとったものはいない。この結果が日本帝国陸軍崩壊の原因になっているのである。
 何事も最初が肝心。千里の堤防も蟻の一穴からだ。貴乃花処分がその一穴にならなければ幸いだが。
(18/01/04)

 例の貴ノ岩騒動も年内はひとまず決着。この騒ぎの特徴は本人達より、外野・・・無責任マスコミ、エセ専門家・・・の方が声が大きくうるさかったこと。当たり前だが渦中の貴乃花がダンマリを決め込み、貴ノ岩も入院と称して行方不明。これでは当人達の声が聞こえてくるはずがない。外野発雑音の中で特にうるさかったのが1)日本相撲界の古い体質、2)日本相撲協会の危機管理能力(ガバナンス)不足の2点である。
1)日本相撲界の古い体質
 今回の暴行事件があたかも相撲界の封建的縦系社会で必然的に起こったかのような解釈。その背景には相撲界特有の伝統・慣習があるとする。どちらかというと、左派か保守でも改革派というテリトリーに属する評論家に多い。
 この事件が日本人だけで、部屋の中で起こったのならそう言えるが、実際は部屋とは無関係に、モンゴル人同士の中で起こったのである。しかも最年長の白鵬でも在日年数は10数年に過ぎない。たったこれだけの期間で少なくとも400年以上に及ぶ日本相撲の伝統・慣習を身に着けられるだろうか?むしろ事件の背景にあるのはモンゴルのそれである。
 モンゴル人は北方ユーラシア騎馬民族である。騎馬民族は農耕民と違って一族の結束力を何よりも重視する。そうしなければ大陸の厳しい環境で生き抜いていけないからだ。もし一族の結束を乱すようなことをすれば、厳しい制裁が待っている。貴ノ岩はそういう言動をしたのではないかと疑われる。無論だからと云って、どこでも自分たちの伝統が許されることはない。その伝統がその国の法律に違反しておれば、当然責任は問われる。その結果が略式であるが鳥取地検による起訴である。
 なお、週刊誌やネットで、事件中に交わされた会話がまことしやかに流されているが、会話は全てモンゴル語で行われたはずで日本人に分かるはずがない。従て、週刊誌ネタは全て日本人記者による捏造と考えてよい。
2)日本相撲協会の危機管理能力不足
 これは訳知り顔の経営コンサルタントとかその類の人種から発生する。テレビなどで出てくる評論家がよく口にするのが「一般企業では到底考えられない」とか「普通の会社では・・・」とかいう、いかにも日本相撲協会が世間一般から遅れているか、逆に一般企業が進んでいるかを強調するフレーズであるその理由は相撲協会は事件後数日経って、日刊スポーツに記事が載るという情報が入ってから慌てて事件を公表したことである。。しかし彼らの云う「一般企業」「普通の会社」が日本相撲協会に比べ、そんなに進んでいるでしょうか?
 情報公開という点では、長年の負債を隠していた東芝とか、10年以上にわたって検査データを捏造していた神戸製鋼、データ捏造を経営者が指示していた東レや三菱マテリアル、不正検査を見逃してきたニッサン,、相も変わらず談合を繰り返すゼネコン。これらは全て内部告発で、マスコミや捜査当局から内々に打診があって、それで慌てて公表に踏み切ったに過ぎない。やったことは日本相撲協会となんら変わりない。
 更にスーダンPKO日報を隠していた防衛省、森友・加計学園問題で相変わらずダンマリを決め込む財務省や文部科学省などは、殆ど貴乃花状態である。それだけではない、女子社員を過労自殺に追い込んだ電通の体質は、モンゴル会、いや日本相撲界より悪質である。
 ここにみられるのは日本企業界の経営体質劣化・ブラック化である。上で挙げた企業はみんな日本経団連加盟会社である。ということは、日本経団連こそ日本最大のブラック団体ということになる。
 これが何時頃から始まったかというと、コイズミ改革以来、特に宮内・竹中民営化委員会の影響が大きい。そしてこれは12年アベ政権誕生で更に強化された。その代わり様々な利権も復活した。日本をブラック化する。これがアベ晋三の掲げる「日本を取り戻す」の実態である。
 なお、貴乃花部屋でのシゴキ・ブラックの実態が次第に明らかになりつつあります。
(17/12/30)

 本年末期を騒がせた貴ノ岩騒動も、貴乃花処分で一応年内は決着。多分年明けには又何か始まるでしょう。筆者はこの騒動は、貴乃花と白鵬の確執・怨恨が底流にあると考えて居ます。貴ノ岩が負傷した後、彼からいきさつを聞いた貴乃花はこれを奇貨と捉え、これをチャンスにニックキ白鵬を潰しあわよくば汚らわしいモンゴル勢を追放出来ると踏んだのだろう。そのためには事件を急いで協会に報告しては駄目だ。何故なら急ぐと事件はさっさと片付くから白鵬にたいするダメージが小さくなる。出来るだけ遅らせて世論がアンチモンゴルに傾くのを待つべきだ。その結果が理由がよくわからないダンマリ戦術。
 そして乗ってきたのが週刊新潮と文春、それに日刊スポーツとTBS。彼らが描いたのは日本相撲協会を悪玉ブラック団体とし、貴乃花をそれに立ち向かう孤高の剣士というパターン。殆どン10年前の安物紙芝居の図式である。しかし最近の、本を読まない漢字を知らないネット世代には、結構受けるのである。おそらく貴乃花が描く将来の相撲は、こういう世代をターゲットにしたものだろう。多分これはアベ晋三と狙いは共通だ。しかしその目論見は今のところ外れた。つまり時間稼ぎという作戦が逆効果になってしまった。時間というものは、ある時は味方してくれるが、逆になることもある例である。
 全体として感じるのは、貴乃花の後ろに誰かがいて、それが画をかいて、それに貴乃花が載せられているというパターン。その誰かとはわかりませんが、例えば選挙に落ちて現在失業中のやめ検弁護士など。彼らにとって、今回の騒動ほど美味しいネタはありません。
 なお、年明けには貴乃花側から、地位確認訴訟とか貴ノ岩による民事訴訟などの一連の動きも予想されます。二月の理事選までいろいろあるでしょう。
(17/12/29)

 最初はただの傷害事件だった。事件発覚後の被害者(いわずと知れた貴ノ岩)の傷口写真を見ても、テレビによく出る元裁判官にして現国際弁護士は、この程度では裁判では軽傷扱いです、と云っていた。また、事件直後の医師の診断書でも、稽古には差し付かいないと書いてあった。つまり大した事件ではなかったのである。
 師匠にして実質上の保護者(二十超えて保護者もないものだが)である貴乃花が、鳥取県警に被害届を出したのは事件後1週間もたってからだ。鳥取県警から相撲協会に連絡が入ったのがその頃。そしてそれを日刊スポーツが捉えて記事にすると連絡して、相撲協会は慌てて危機管理委員会を立ち上げた。
 その遅れをマスコミは非難するが、協会だって力士一人ひとりに見張りを付けるわけにはいかない。普通なら貴乃花が警察に被害届を出す前に協会に報告すべきだ。ところが一部マスコミは協会に出しても握りつぶされるからと説明する。しかしことは刑事事件だから握りつぶしなどありえない。そしてその後貴ノ岩は行方不明。
 そして事態は一転、マスコミの食い物となった。事件からほぼ一か月後ネットで、ある関係者から貴ノ岩の容態について、やれ耳が聞こえなくなったとか、精神障害もあるなどという未確認情報が流れるようになった。一か月経って傷が内面に深く浸透していったというわけだ。
 一般に外傷は回復が早い。貴ノ岩はまだ20代だからあの程度の怪我なら一週間もたてば回復してしまう。それがひと月も経ってから容態が急変し、精神的にも不安定だ、外部にも見せられない、などと云う報道。こんなもの信じられるでしょうか?医学的にはまずありえないことです。
 ずばり貴ノ岩は何処かに閉じ込められているのである。つまり刑法的には貴乃花(とその取り巻き)による逮捕監禁容疑が生じる。その取り巻きとは、京都における最大のタニマチである竜宮神社神主と、炎の行者である池口某である。このようないかがわしい宗教家と称する宗教俗物にとって、貴乃花のような単細胞人間は、とっておきの獲物なのだ。
 この程度ならだれでも判る。問題はこれから先。事件は何時の間にか傷害事件から、貴乃花vs白鵬の対立へ、更に貴乃花+支持者vs日本相撲協会の対立へとことが拡大してしまった。その原因は貴乃花の対白鵬遺恨交じりのだんまり戦術、そして旗を振ったのが、無責任のマスコミと事象専門家と称するマスコミ芸者やゴロツキ達。中にはネトウヨも交じっている。この結果只の軽傷事件がとんでもないことになったのである。
 さてこの結末4はどうなるでしょう。協会の裁定は白鵬・鶴竜には厳重注意他二場所の減給、貴乃花に対しても何らかの処分を行う。さてこれで両者の関係が修復出来るでしょうか?男社会というのは意外に根を持つものである。白鵬・貴乃花の遺恨はこれで晴れることはない。何時かまた爆発する。しかもこの遺恨は両者の相撲観に関係しているから根が深い。
 例えば貴乃花は相撲の伝統的な型・様式に拘る伝統派(ただし型・様式が確立のは江戸時代中期、国技という概念やそれに伴う美学が生まれたのは明治大正期以降の底の浅い話)。よくテレビに出てくる元NHK相撲解説委員のような化石爺さんなんかは、貴乃花派でやたら相撲の美学・横綱の品位を強調する。しかし相撲の美学や横綱の品位とは何者か、というとさっぱりわからない。かつて朝青龍問題の時も、横綱の品位という言葉が乱れ飛んだが、誰も具体的には説明できていない。ほんの一握りの好事家だけがわかっているのである。
 逆に白鵬はどうか。彼はもともと相撲の優等生・模範生だったのだ。それがあるときから取り口が荒くなった。それを化石爺さん達が美学がないとか品位にかけるとか言い出して、今回の件でマスコミによって最大のヒールになってしまった。何故そうなったかは知らないが、ある時から相撲に対する考え方が変わったのではないか?つまり横綱といえども受けだけでは駄目だ、積極的に勝ちに行くべきだ。そのための技も伝統にとらわれず臨機応変に行くべきだ。物言いも、実際に相撲をとっている力士に発言権がないのはおかしい。野球でもラグビーでも審判の判定が不服のときはまず選手がアピールする。但し審判の裁定には従う。つまり白鵬流は相撲を格闘技スポーツとして捉える。
 かつて高度成長期やその後の一時期の企業管理職は、部下から上がってきて案件を受けて待てばよいだけだった。主な仕事は社内の調整とか内部管理。ところが80年代以降の円高メガコンペチション時代ではこんな管理職は不要。その結果この種の人間は次々とクビになった。国際化の時代では管理職といえども積極的に前に出て、仕事を取ってくるとか業界情報を仕入れてくるとかの動きが要求されるようになった。
 現代では相撲はSUMOとして全世界で行われている。貴乃花流の伝統派はこの流れに抗して、あくまで日本純血路線に舞い戻ろうとする。これは貴乃花の「・・・角道を取り戻す」という言葉、そしてアベ晋三の「日本を取り戻す」という言葉に通ずるのである。これでは日本相撲は世界の流れから孤立するばかりである。
 さて貴乃花流伝統回帰主義と白鵬流格闘技路線のどちらが勝利するでしょうか?筆者的にはどっちでもよいが、仮に貴乃花が理事長になって彼流の国体・皇室護持とか角道の回復なんてことを前面に持ち出されると、ほとんどの人は引いてしまうだろう。
(17/12/23)

昨日朝刊を開くと週刊現代の広告に「粘り腰貴乃花理事長、白鵬引退」というのがあった。中身は見ていないし見る気もないが、ココロは白鵬は「貴乃花理事長の下では相撲はとれん」と自ら引退するのではないか。
 さて問題はここから、白鵬引退が彼一人で済めばよいが、そんなことはない。モンゴル力士の結束力の固さは、今回の事件でも明らかになった。だから貴乃花は貴ノ岩を彼らから隔離する必要にかられたのだ。
 白鵬が引退すれば他のモンゴル力士も彼に追随する可能性が高い。現在幕内でモンゴル力士は8人だが、十両・幕下にもいるはずだ。幕内だけでも一斉に引退すれば、貴乃花理事長はこれで「日本を取り戻せた」と鼻高々だろうが、相撲協会には大痛手。横綱はあのポンコツ稀勢の里だけ。彼は初場所の成績如何では引退の可能性もある。豪栄道はじめ大関もろくなのがいない。
 こんな状態で大相撲を続けていけるでしょうか?貴乃花はモンゴル力士が裏で星のやり取りをやっていると思っているようだが、たった9人(日馬富士を含む)でそんなことをしたって、大勢に影響はない。
 もともと星のやり取りは、日本人力士の中で行われていたものだ。その始まりは分からないが、農耕社会特有の相互扶助=もたれあいから始まったとすれば、江戸時代にはすでにあったと考えてもおかしくはない。つまりこれが日本相撲の伝統・しきたりだったのだ。そこにハワイ勢始め日本の伝統・慣習を知らない外人力士が加わったから、土俵に緊張感が生まれた。
 一般に会社でも大学でもプロパー中心の純血主義組織は、必ず腐敗堕落を産み、ついには組織崩壊だ。今回の事件でモンゴル人追放からはじまって外人力士拒否ということになれば、将来日本大相撲は崩壊する。その時、モンゴル力士は朝青龍を筆頭に国際相撲リーグをやっているかもしれない。日本大相撲はガラパゴス島のイグアナ扱いだ。貴乃花理事長とは「一将功ナリテ万骨カレル」の類になるだろう。
 なお貴乃花とかアホのマスコミ一般人は、理事長が最高権力者と勘違いしているのが多い。北野タケシもその一人だろう。日本相撲協会はスポーツ文化庁所管の公益法人である。定款により、理事会の上に評議員会がある。理事会の議決は評議員会の承認が必要となる。更に重要事項は監督官庁の承認が必要となる。日本は法治国家である。誰も外部人気だけで、何でもできるわけではない。
(17/12/19)

 連日の貴乃花騒動。この騒動の周辺を見ていると幾つかのグループに分かれるようだ。一つは貴乃花びいきで協会批判派、これはテレビに多い。一つは中立又は貴乃花批判派、つまり協会派。これはスポーツ新聞系。以上は今回の日馬富士暴行事件に関するマスコミ関係だが、これに無関係に彼個人に近い関係者も二つに分かれる。一つは熱烈貴乃花支持者。これは彼の個人支持者が主体だが、中でも例の「炎の行者」と呼ばれる池口某が注目される。もう一つが彼の近親者。ズバリ言うと兄と母である。この二人は既に貴乃花とは絶縁状態にあり、母などはこれまで12年も会っていない、兄は二度と会いたくないとまでいう。この辺りに今回の貴乃花vs協会の対立を解くカギがありそうだ。
 事件後貴乃花が関係者に配ったメールというものがあってそこには「・・・毘沙門天(炎)の生まれ変わりとして・・・角道、報道並びに日本を取り戻す・・・「相撲の精髄」をあきらかにして日本の国体と皇室をお守りすることが自分の大義・本心である」などというような文面があった。
 普通世間ではこのようなことを云う人間を狂人という。完全に神がかっているとしか見えない。貴乃花には確か昔洗脳騒ぎがあった。性格的には真っ直ぐで人を疑うことをあまりしないのだろう。兄は「昔は仲がよかったのに、間に誰かが入ってきておかしくなった」と云う。誰かとはわからないが注目されるのが、毘沙門天(炎)という言葉。何故わぜわざ炎といれるのか?彼を精神的に乗っ取ったのが実は炎の行者こと池口のことではあるまいか?そもそも炎と毘沙門天に関係はない。毘沙門天は炎どころか、しばしば水の神様とされる。
 池口は真言宗の行者だが、真言宗にはしばしば怪しい教説が生まれる。代表的なものは立川流である。これは淫祠邪教として空海が日本導入を禁止した後期密教の流れを汲むもので、池口が何処かでこれを学んだとすれば、貴乃花のようなナイーブな人間がこれを信用してしまうのも不思議ではない。ということは協会で貴乃花が見せた対応は単なる確執ではなく、むしろ宗教的信念の現れ・・・誰かによる洗脳の結果・・、と云える。もともと筆者はこの池口という人物は怪しいいかさまペテン師の類と思っている。
 世の中の貴乃花ファンには申し訳ないが、彼は最早変人の域を超えて狂人の域に達している。彼をこのままいしておくと、彼本人だけでなく相撲協会あるいは日本相撲にも悪影響を与える。解雇すべきである。
(17/12/13)

 突然PCに不具合が生じ、それでHPの更新が遅れました。その間世間の話題は日馬富士ー貴乃花問題ばっかり。こんなの本当にどうでもよい話。森友学園問題に対する政府・官庁の誤魔化しに比べれば大したことはない。但しワタクシはこの問題の根には、貴乃花が相撲協会だけではなく、日本相撲界の独裁者になろうという野望が込められている気がする。
 なんでもそうだが、問題がこじれた時は原点に返れだ。ということは相撲の原点とは何か、ということなのだ。相撲の本質については、貴乃花は「武道」だと主張する。これが彼のガチンコ相撲の原点である。一方司馬遼太郎は「相撲は芸能だ」と解説する・・・確か昔の「NHK歴史探訪」。武道と芸能とでは大違いだが、現代相撲はその両者の特徴を持っており、その中間を行こうとしているのが今の相撲協会というわけだ。貴乃花にとってそのいい加減さが許せないから、こういう行動になったとと考えられる。
 筆者は相撲の原点は日本で稲作農業社会が成立した後に行われた占い(ウケイ)の一種と考えている。その後これは秋祭りでの祭り行事となった(奉納相撲又は村相撲)。平安期に朝廷が国家安穏豊作を祈って、相撲を節句ごとに行うようになった。
 一方中世で力を増したのが武士という階層である。武士の生業は戦闘である。当時の戦闘法の中に組打ちというものがある。これは武者が互い組み合って相手を倒す闘法である。これの鍛錬に有効だったのが相撲である。これは戦国期までは有効だった。これが貴乃花の相撲=武道論の原点である。
 しかし戦国も末期になると戦闘法も鉄砲が主流となって、組打ち法の出る幕はなくなった。そのため相撲は再び村相撲に回帰した。ところが江戸時代初期、各地で行われていた村芝居(奉納歌舞伎)などの大衆芸能が一斉に興行化された。相撲もその一つである。これまでは村で座を組んで祭り毎に神社を周り、神社や民衆から金を頂いていたのが、常設小屋を作って金を取って見せることが出来るようになったのである。そうなれば座は当然人口の多い都市、すなわち江戸・大阪・京都に向かう。相撲もそれに倣う。これが江戸相撲・大阪相撲の始まりである。
 芝居でもそうだが、平時における興行化は様式化を産む。これが現代でも残る歌舞伎や相撲界にみられる伝統・しきたりである。その起源はおそらくは元禄期以降、に文化文政期に様式化が進んだと思われる。と考えれば、相撲や歌舞伎社会の伝統・しきたりなど意外に起源は新しいのだ。
 かくて興行相撲は芸能化への道を進む。司馬遼太郎が言うのはこの段階のことである。ところが又相撲が武道化してしまった。それは明治維新で、明治天皇が相撲好きだったことと、軍部が兵士教育に相撲を取り入れ、それが一般教育にも取り入れられたことである。そのため戦後一時、GHQの指示で相撲も禁止されたが間もなく復活。さらに経済復興高度成長の過程で相撲ブーム。しかしこの段階の相撲は興行相撲要素が強かった。
 ところで武道というものの目的は敵を倒すことである。このためには手段を選ばない。その極端が特攻である。一方興行というものは、観客にアピールしなければならないから技芸を重視する。つまり技の競い合いである。これは例えば小兵が技を駆使して大兵を倒す。これが民衆の喝采を浴びる。 又歌舞伎始め日本人好みの芸能にも通じる。これが司馬遼太郎の相撲=芸能論の根拠になる。ところが両者の目的は矛盾する。武道相撲ならまず相手を倒すことが目的で倒してしまえばそれで終わりだ。一方技芸相撲は勝負もそうだが、観客を喜ばすことも大きな目的なのである。日本の近代相撲は、いいか悪いかは別にして、この両者を巧みに組み合わせてやってきたわけだ。戦後日本相撲を永続させてきたのは。基本的には司馬の云うように芸能的要素=技術重視主義だったろう。それは戦後の復興・経済成長を支えた日本工業技術の反映だろう。その技術重視主義が限界に達したのが80年代後半の円高グローバル不景気時代。技術より「力、根性路線」が発生する。その典型が貴乃花なのだ。
 今の貴乃花vs相撲協会の対立は、武道(特攻)相撲vs技芸相撲tの対立のように見える。しかしこの対立が協会内の勢力争いのようには見えない。協会内勢力では貴乃花は完全に孤立し勢力にはなりえていない。しかし何故ここまで頑なになれるのか、強気で出れるのか?それが疑問である。彼の背後にある力が存在しているのではあるまいか?その力とは何者かに興味ガ沸く。彼が標榜する武道=特攻相撲の支持層とは誰か?アベ晋三をはじめとする日本会議という右翼団体が背後にあると思えば納得できる。
(17/12/02)