田母神(タモガミ)の真実?

   (要旨)
1、田母神と懸賞論文スポンサーであるアパグループ会長の元谷と旧知の間柄だった。アパグループは空自小松基地の友会組織事務局を兼任。
2、田母神論文は一等になったがこれは明らかにヤラセ。目的は田母神に賞金300万円を渡すことである。
3、他の隊員94名の論文応募に田母神の示唆があったのは顕か。
4、アパグループの目的は何か?これにより自衛隊内にアパグループの名前が広まる宣伝効果を考えれば、300万など安いもの。田母神はそのための広告塔。
5、スキャンダルに発展する可能性あり。その場合は内閣が潰れる事態もある。
(08/11/09)


最近よく目に付くのが、田母神の著書キャンペーン、「日本を素晴らしい国だと云ったのにクビになった」。これこそ典型的ヒトラー型デマゴギー。稀代の悪書(愚書、デマの塊)「我が闘争」の再来か?「闘争」にはかろうじて思想らしきモノ(但しヒトラーの独善)はあったが、田母神論文に思想性が感じられるでしょうか?あるのは他人のパクリだけ。(08/12/28)

 田母神のスポンサーであるアパグループの元谷という人物、あれは一体何者でしょうか?アパのHPに本人の写真が載っていますが、あまりまともな人生を歩んで来た人物には見えない。まず前歴が判らない。彼の次男の結婚式に1200人の招待客があったと言われる。無論田母神も主賓の一人。政治家の中では、マスコミ報道では森喜郎の名前しか出ていないが、そんなものでは済まないだろう。1200人がどういった素性のものか、本来は自衛隊調査隊が調べておかなくてはならない。元谷が田母神とどういう経緯で接触したのか?これは週刊紙の仕事か?
 田母神は空幕長に就任したときの防衛事務次官は守屋。総理はアベシンゾー。田母神が統幕幹部学校長時代、アベは官房長官。小松基地司令時代に元谷、森(の選挙区は石川県)の知遇を受け、中央に栄転したときに、森の紹介でアベと出会ったケースは十分考えられる。
(08/11/25)

 さて、田母神論文の内容の稚拙さについては既に各方面から批判されているので、敢えてそれに触れない。ここでは彼が非常に頭に来ている「日本は侵略国家であったか?」と言う点について述べてみよう。問題は「侵略とは何か」という点が甚だ曖昧にされてきたために、田母神とか渡辺昇一とか中西輝正のようなアホが出てきたことである。田母神が主張する「日本は侵略国家ではない。欧米も同じ事をやっていた」という文脈から類推すると、田母神(おそらく「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバー)も「侵略」は悪いことだ、と認識していると考えられる。でなければこんな話は出てこないからね。
 そもそも「侵略(Conquest)」と云う言葉の意味は何か。Conquestには「征服」という意味も含まれる。ギリシア神話のヘラクレスやテーセウスといった英雄達は皆征服者(Conquarar)であって、英雄と見なされていた。実際にやっていることは強盗と変わらないのだが、財宝や奴隷を持ち帰って故郷に富をもたらしてくれるから、誰も悪党とは思わない。中世になると、Conquestとはキリストに敵対する異教徒(東方ではイスラム、新大陸では先住民)の土地を奪うことに意味を変えた。イスラムに占領されていたスペインの再征服をReconquistaと呼ぶのはその名残である。そして近代の帝国主義時代になると、世界を近代化するための先進国の当然の権利・義務と見なされるようになった。これに対し、左翼(主にマルクス主義者や社会民主主義者)は反対したが、第二次産業革命で失業した労働者・農民階級にとって、こんなものイイトコのオボッチャンの与太話、相手にもされない。ということで「侵略」という言葉は、昔は全く悪い意味では使われなかった。では何時「侵略」が悪者になったかというと、極東軍事裁判(の内の「東京裁判」)である。第二次大戦の戦犯裁判は、ドイツに対する「ニュルンベルグ裁判」と、日本に対する「極東軍事裁判」の二つがある。東京裁判は極東軍事裁判の一つである。「ニュルンベルグ裁判」は比較的単純で、ナチによる非人道的行為と対欧対ソ攻撃をやり玉に挙げておれば良かった。ところが、東京裁判では、被告側はヨーロッパによる植民地支配に対する解放闘争を主張してきた。ここで困った連合国側が持ち出してきたのが、「侵略=悪」理論である。裏でソ連がネジを巻いた可能性は十分あります。実際東京裁判における連合国側の論理には、様々苦しい言い訳が含まれている。 だからといって筆者が「東京裁判」被告を全面肯定するわけではない。東京裁判は開戦責任を連合国の立場で裁いたものだが、我々国民にとって必要なものは、「敗戦責任」の追求である。この点に関してはいまだに曖昧のままだ。これが今回のような問題を起こす原因にもなっている。田母神がまともな軍人ならば、軍人の目で敗戦責任を追及するのが軍人の責任だろう。田母神他日本の右翼・保守はこの点の努力をサボッテおる。
 さて、近代的な侵略とは、@実力によって他国の領土を奪い、Aそれを植民地として経営することである。これ自身巨大ビジネスであって、それを成功させるには様々な条件を満足することが必要である。それには次のようなものが挙げられる。
     @侵略前線の維持
     A侵略のタイミング
     B侵略後の植民地経営計画
 以下具体例に即して検討してみよう。
1)侵略前線の維持
 ある地域を侵略したいと思っても、その地域が資源的又は地政学的に他国にも関心を引く場所で、しかもその国が自分より軍事的・経済的に強力(一般に列強と云う)であれば、目的地域に侵攻しても列強を刺激することになる。侵攻先端と列強との地理的・心理的距離が一定値を越えれば、列強の警戒心を誘い、ついには干渉を喚んで、元も子も無くすることになる。虎の尾を踏む、龍の髭にさわる愚である。日清戦争で日本は遼東半島の付け根部分を占領し、更に審陽を伺う姿勢を見せた。又、山東半島の一部も占領した。日本は対清交渉で遼東半島と山東半島の一部割譲を要求したが、これがロシア・フランス・ドイツを刺激して三国干渉を喚んだ。自ら侵略前線を犯し、元も子も無くしてしてしまった例である。当に龍の髭に触ったのである。
 その後、日本は方針を変更して台湾に目標を定めた。列強は台湾に興味は無かった(侵略前線外)ので列強干渉は無かった。しかし台湾先住民の抵抗に合い、平定に2年を要した。結構侵略コストは高くついたのである。
2)侵略のタイミング
 侵略を成功させるためには、他国の干渉を避けることが如何に重要性であるかは上に述べた通りである。ただこれだけでは不十分である。タイミングも重要である。日露戦争で日本は念願の南満州を手に入れたが、この背景には当時のヨーロッパ列強の関心は極東ではなく、ヨーロッパ正面にあった、特に当事国であるロシアでは反政府テロが相次ぎ、満州どころではなくなっていたことが大きい。つまり、、タイミングが日本に有利に、逆にロシアに不利に作用していたのである。
 第二次大戦後、石原完爾は満州事変に関する連合国の聴取で「あのときは、アメリカは大恐慌で外国には手出し出来ず、ソ連も第一次五カ年計画で満州どころではない。その隙を狙った」と述べた。これなどは如何にタイミングが重要であるかを物語っている。真面目な侵略者は常にこの点を考えておかなくてはならない
3)侵略後の植民地経営計画
 近世以降のヨーロッパ人による侵略では、この問題であまり参考になる事例はない。中世におけるモンゴルのヨーロッパ侵略・中国征服、オスマントルコによる東欧征服、ムガールによる北インドの征服といった例の方が、遙かに計画的で参考になる。どちらかというと、広域的地域支配に於いては遊牧民の方が優れており、農耕民(ヨーロッパ人は農耕民である)はそのノウハウに於いて 劣っていると考えられる。つまり、侵略するに当たって、事後の植民地経営を予め計画しているのではなく、土地を手に入れてからあれこれ模索する傾向が強い。逆に言うと、ヨーロッパ人に、あれこれ考えさせる余裕を与えているアジア人やアフリカ人の方が、とろくて話にならないのだが。
 さて、日本の話だが、日清・日露両戦で目的としていた遼東半島及び南満州の植民地化について、明確な経営計画を持っていたかどうか?日清戦争時は勿論のこと、日露戦争でも甚だ怪しい。まして昭和に入ってからでは、植民地経営計画を持っての進出とは思えないのが殆どである。唯一の例外が満州事変で、少なくとも事変を起こした石原完爾中佐には満州経営計画はあった。残念ながら東京中央にはそれが無く、まして一参謀中佐の考えるl事など、陸軍のヒエラルキーでは採用されるはずがない。又、列強対立の中のシビアな政治状況の中では、石原の構想は甘くて世間に受け入れられなかったのも当然である。では満州事変以降の、日本の中国本土から東南アジア進出はどうか?既に明らかなとおり、全て失敗の連続である。中国では江南地域まで手を出した。中国江南地域は蒋介石のスポンサーである淅江財閥の本拠地。淅江財閥はアメリカ民主党と深いつながりがある。又、タイミングも悪かった。日中戦争勃発当時、既にアメリカは大恐慌の影響から脱しつつあった。アメリカ海外貿易の主ターゲットは中国で、その窓口が淅江財閥だったのである。日本軍は中国南部の海岸封鎖を行ったが、これがアメリカをいたく刺激した。つまり「虎の尾」を踏んだのである。これがアメリカ国内に反日援中世論をつくり、しかも対中軍事援助を通じてアメリカの産業回復に大きく寄与したのは皮肉である。何のことはない、日本は対中侵略を通じて、アメリカの国力回復・強化を助けたのである。なお、大恐慌対策として、欧米諸国は皆内需拡大策を採った。このとき19世紀的海外領土拡大策を採ったのは、日本とイタリアだけである。
 以上の検討から、明らかなことは昭和の20年戦争中で、侵略と云えるのは唯一「満州事変」だけだということだ。これはタイミングに於いて列強外しを計算したこと、侵略前線も限界を護っていることから、かろうじて侵略成功3条件の二つまでは満たしている。もう一つはギリギリ。一方その後の北支事変以降はどうかというと、計画もなければタイミングや侵略前線の維持も考えず、ただ感情にまかせて他人の家に土足で踏み込んだレベルにすぎない。東条英機という人間の愚劣さの現れである。
 田母神も侵略云々を述べるなら、「侵略」という言葉の意味についてもっと考えるべきなのだ。60にもなってその程度も出来ないようでは話にならない。
(08/11/25)

 田母神論文については、来週あたりから色々マスコミに捉えられるでしょう。様々な対応が予想されます。文春「諸君」とかサンケイ「正論」は肯定的に、一方岩波「世界」とか「情況」は否定的に。公明・創価学会系がどう捉えるかは興味はありますが、政府・自民党が否定していること、公明・学会の従来の主張からは推すと、田母神論文に対しては否定的論点が予想されます。
 さて、田母神の主張の根幹をなすものは、おそらく「国防について国論が二分される原因は憲法9条である。これを改正せよ」ということではないか、と考えられる。これに比べれば、日本が侵略国家だったかどうか、とかヤスクニ問題等、他の論点はどうでも良い枝葉末節なのである。しかし、上の論点でも憲法9条が根本命題とは云えない。根本命題はその前段にある「国防について国論が二分される」ことなのである。全ての論点は全てこれから発生する。国論は二分される理由は何か?それは憲法9条なんかではなく、次の2点にある。
   1)日本が戦争に負けたこと。
   2)いまだにそれに気がつかない人がいること。
1)日本が戦争に負けたこと。
 当たり前の話ですが、日本が前大戦の勝利国だったら、今のような問題は起こりません。それどころが、今頃は国連安保常任理事国として超大国の一つになっていたかもしれない。その代わり朝鮮や台湾の独立戦争に手を焼いたり、世界各地の紛争に平和維持軍と称して軍隊を派遣しなくてはなりません。
2)いまだにそれに気がつかない人がいること。
 戦後ドイツではこのような騒ぎは起こっていません。同じ敗戦国でありながら、日本とドイツとでこんなに変わるのは何故でしょう。惟うにそれは敗戦経験の差でしょう。第二次大戦で、ドイツは軍隊が壊滅し政府が崩壊しただけでなく、全土が戦場となり、首都は破壊され占領された。戦争に負けたと言うのが全国民に骨の髄まで染み渡った。無論例外もあって、それがネオナチだが、つい最近オーストリアの極右リーダーが自動車事故で死んだ。イスラエル秘密機関の仕業か?ヨーロッパでは大戦を賛美するのも命懸け。日本じゃ定年の前倒しだけだから、こんな平和で有り難い国はない。
 ところが、日本では敗戦を実感したグループと、実感しなかった(出来なかった)グループとがいる。敗戦を実感したグループの代表に海軍がある。海軍は艦艇を徹底的に破壊され、終戦時には全くと言って良いほど戦力を持っていなかった。特攻があったと云う人がいるかもしれないが、特攻はまともな戦力と云うべきではない(特攻そのものが敗戦必至の戦法だったのだから)。もう一つが都市住民である。日本本土で唯一戦場となったのは沖縄と云われるが、戦場となったのは沖縄だけではない。東京、名古屋、大阪、小倉、仙台等、都市特に工業地帯は空襲という戦場になった。神戸など艦砲射撃に合っているのだ。戦時疎開民を除く都市住民は、戦争と敗戦を実感したのである(石原慎太郎は都市住民の端くれだが、当時小樽に疎開していたから戦場体験は無い)。
 一方、敗戦を実感出来なかったグループの代表に陸軍が挙げられる。陸軍も太平洋や東南アジアでは敗戦を繰り返していたが、陸軍としてはこれは協同する海軍が壊滅してしまったからで、陸軍の責任ではない、主戦場はあくまで中国大陸、中国では負けていない、というスタンス。まあこれは必ずしも間違いではない。終戦直前のアメリカによる支援強化で日本軍が圧倒されるまでは、日本軍が中国軍に対し勝っていたのだから、前線の兵隊の実感はそうだったろう。ところがそこへいきなり「終戦の詔勅」。これまで勝っていたはずの中国軍による武装解除。前線の兵隊としては「そーんな馬鹿な」という気持ちだっただろう。つまり一般兵士としてはとても敗戦が実感出来ない状況だったのである。
 国内事情も同じで、都市は空襲を浴びているが、少し離れた地方はそれとは全く異なる別天地。まして、東北・北陸・九州といった地域は、戦争とはかけ離れた状況。そして、日本陸軍への兵士供給源はこういう地方だったのである。大本営発表で日本は勝っているとばかり思っていた。そこへいきなりの終戦の詔勅。日本は負けたのだ。果たして敗戦を実感出来るでしょうか?暫くすると国内地方ではGIがジープで乗り付けてくる。「ヘイジャップ」だ。村役場の連中はかつての仇敵にペコペコ平身低頭するばかり。敗戦の実感が無いまま、終戦の現実が進行していったのである。その延長線上に今の日本保守が存在する。
 そして、今の日本では全国民が共通した敗戦経験を踏まなかったために、敗戦を実感したグループとそうでないグループとの対立が生じ、それが防衛問題に関する国論の分裂の原因になっているのである。田母神はその対立の一部を誇張し、対立を煽っただけ。当にヒトラーのやり方とそっくりだ。しかしこれは極めて悪質であり、彼を空幕長という要職に付けた、或いは留任を容認した、アベシンゾー、石破の責任は免れない。
 田母神は出身は福島県郡山の出身と云われる。郡山も実は空襲に空襲にあったらしいが、東京大阪とは全く比べものにならない。郡山と言っても広い、空襲にあったのは街だけだ、ウチはカンケーネエーというのが実態なのである。彼のジッちゃんとかオジサンとか、親戚・近隣にはかつて大陸へ出征経験のあった人間が沢山いたはずである。彼は幼少の頃から彼らの武勇伝を聞いて育った。ところが長じて知ったのは日本の敗戦事実である。「こんな馬鹿な」と思って入学したのが防衛大(まあ大した学校ではないが、東北の田舎モンにはこれで十分)。その頃は高度成長期後期で日本国内には戦争を示すものなど何にも残っていない。アホの田母神はそれを真に受けて、日本が戦争に負けたなど理解出来なかった。それが今に尾をひいているのだ。田母神については、本人の資質もさることながら、彼を育てた地域環境と言うか、歴史風土にも興味を覚える。
(08/11/15)

 田母神が次の参院選出馬という憶測記事があります。筆者もそう思っていた。退職金6000万円の返還に応じないのはそのための準備でしょう。しかし、問題がこうこじれれば、一体全体何処の党からでるのでしょうか?自民党もこんな不規弾に公認を与えることは出来ない。それとも来年参院選までに自民党分裂と読み、アベ新党当たりから出馬するのでしょうか?無所属比例代表区という手はありますが、6000万円では選挙費用はまかなえない。自衛隊OB組織を頼る事になるでしょうが、空自というのは数が少ないからから大して期待できない。無論防衛省の支援などとんでもない。逆に彼は今頃、公安の監視下に置かれていると見た方が良い。
 あの論文配布は、事実上クーデター未遂に匹敵。防衛大臣の浜田の最大の失敗は、田母神を懲戒解雇にせずに定年退職にしたこと。これなら経歴書に赤点がつかない。懲戒なら審理中給料を払わなければならないと、せこい事云うが、これなど二流ヤクザの親父のせこさの受け継ぎ。給料など審理中は何処かに供託しておけばよい。審理終了後に没収すればよいのである。昭和初期の三月事件や十月事件の曖昧な事件処理に似たものを感じる。将来に禍根を残すだろう。一番の問題は、この曖昧決着で一部の馬鹿自衛官が、なにをやっても処罰を受けないと錯覚することである。この甘えが、5.15、2.26事件の基になった。
 なお、彼が会った二人のもと首相とは誰でしょう?一人は森喜郎だということは判っているが、もう一人は誰か?同じ森派(町村派)に決まっているでしょう。一番怪しいのはアベシンゾーです。さてこの二人の元首相がどういう反応を示すか?おそらくは全責任を田母神に押しつけて知らん顔。この政治家の無責任がかつての2.26事件を産んだことをお忘れなく。
(08/11/11)


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