チベットの政情不安

本日サンプロ「田原総一郎中国へ行く」で、中国側コメンテーターから面白い話しが出た。それはチベット問題で、中国側は13世紀以来チベットは中国固有の領土だと主張している点である。重要なのは13世紀という時代である。実はこの時代は、中国自身がモンゴルに支配された時代なのである。13世紀初めチベットに侵攻したモンゴルはチベットを支配したが、同時にラマ教を受容し、国を挙げてラマ教徒になってしまった。今でもモンゴルにラマ教寺院が多いのはその当時の名残である。その後、13世紀半ばモンゴルは中国を征服し、ここに中国・チベットの一体化が実現された。つまり、中国が主張する13世紀以後のチベット中国固有領土説の根拠は、モンゴルによる中国征服なのである。と言うことは、モンゴルが中国を征服しなければ、チベットが中国に服属したかどうか・・・つまりチベットが中国の固有領土といえるかどうか・・・判らないのである。但し、モンゴルの北帰後、中国の支配勢力は明、清と変化するが、チベットが敢えて積極的に独立に動いた形跡が世界史的に見えない。この点が中国がチベットに対する支配権を主張する根拠になっている。なお、チベット問題が出てから、このような話をした日本人コメンテーターを知らない。田原総一郎からも聞いたことがない。 まして、かつて「世界史なんて勉強してなんの役に立つの?」とほざいた餓鬼大阪府知事に至っては、チンプカンプンだろう。
(08/05/04)

 先週木曜(04/24)の毎日新聞朝刊に、聖火リレー問題での「国境無き記者団」メナール氏の見解が掲載されていましたが、読んでみて私にはさっぱり理解出来ませんでした。論点があっちこっちに飛んで、要約しようにも要約しようがない。「手術してから考える」というフランス人の特徴でしょうか?私の見解では、この「国境無き記者団」自体がある政治的意図を持った団体で、その表現や行動には十分注意して懸からなければならない。彼らの主張の基盤は「人権」である。人権とは一見普遍的価値観を持つ言葉に見えるが、ヨーロッパ人、特にキリスト教徒に懸かると別の意味になる。彼らの云う「人権」とはあくまでキリスト教徒の権利なのである。自分達に絶対正義があると信じ、それを他者に強要し、更にヨーロッパ以外の価値観を見下す傾向などは、いわば剣をペンに持ち替えたテンプル騎士団のようなものだ。チベット人はアジア人ではないかと思うだろうが、亡命チベット人は最早十分欧米化している。ヨーロッパ人がシンパシーを抱いても不思議ではない。そういえば、ミャンマーのアウンサンスーチー女史は亭主がイギリス人。それとも70年代の極左の片割れか?いやいやユダヤ団体かもしれない。彼らがパレスチナにどのような関与をしたのか?メナールがアメリカのイスラエル大使館前でハンストしたという話は聞いたことがない。政治権力と言うものは、常にこれらの民衆団体を自分の都合の良いように利用する。テンプル騎士団は200年の繁栄の後、突然異端ーアンチキリストの烙印を押され、スペインを除く全ヨーロッパでの殆ど全団員が逮捕処刑され、騎士団そのものの存在も抹殺された。
(08/04/27)

どうも世界では中国対チベットとの関係では、チベット同情論が大勢を占めつつあるようである。これに、実際は人権など全く無視している日本右翼特に石原慎太郎や、フランスのサルコジなどがワルノリしておるのが嗤わせる。彼らから人権という言葉を聞くほど驚いたことはなかった。もし、チベットが北海道や南フランスにあったとすれば、彼らはどう対応したでしょう?ここで、中国/チベットの関係を一度おさらいしてみる必要があるでしょう・・・・なおうろ覚えなので詳細は間違っている部分があるかもしれないがそれはご容赦。
 中国/チベットの関係では、お互いが真っ向から対立する主張をしています。1)中国はチベットは過去から中国独自の領土だったと主張する。これに対し2)チベットは元々独立国家だと主張する。どちらが正しいか?どちらも間違いです。中国は僅かな資料で中国のチベットに対する支配権を主張するが、これは単なる牽強付会に過ぎない。一方、チベットはある時期から、独立国家であると主張出来る証拠を残す努力を怠った。これは19〜20世紀という帝国主義、主権国家主義の時では決定的な過ちだった。そしてもう一つ、チベットの独立に責任を持っていたイギリスと云う国の無責任が、その後の展開を左右してしまったのである。
 中世、チベットは吐蕃国という名で知られる強国で、唐代には中国の西1/4を占領する軍事大国だった。唐は吐蕃国王に公主(皇女)を降嫁させるほど気を使っていた。つまり、過去では中国はチベットを十分独立国として敬っていたのである。しかし、これは遙か過去の話である。近現代ではどうだったろうか?18世紀以降、中国は鎖国政策を採った。これにならってかどうか知らないが、チベットも永年鎖国政策をとり続けてきた。それは実に20世紀半ばまで続いた。20世紀初頭、日本人僧侶河口慧海は大乗教典の原典を得るべくチベット入国を志し、当初中国ルートから入国を企図したが、チベット当局からの拒否に会い、遂に南方のインドからヒマラヤを越えての密入国を決行した。この点から見ると、中国は20世紀になっても、チベットに対し何ら行政支配権を及ぼしていなかったことが判る。むしろ、鎖国中はインドとの結びつきが強かったと云える。国家が鎖国を行っていたとしても、密輸と称する民間レベルの交易は続くもの。日本でも江戸時代、幕府の禁制を犯しての密輸は行われていた。薩摩による琉球ルートは有名だが、その他確たる証拠はないが、加賀藩、出雲藩による日本海ルートも疑われる・・・この点は歴史には青史があれば、必ずその裏に稗史がある。歴史はしばしばアウトローによって作られるという真実を意味する・・・。河口慧海のチベット潜入ルートも、似たような密輸ルートだったのだろう。それはさておき、この時期、チベットの外交権を代行していたのはイギリスであった。それはチベットにとって中国よりインドの方が重要であった証拠でもある。つまり、少なくとも近現代に於いて、中国はチベットに対し何ら影響を及ぼしていなかったことは、日本人河口慧海のチベット潜入から証明出来るのである。
 では、チベットは中国から独立して当然ではないか、と思われるだろうが、そうは簡単に行かないのが現実政治。国際政治は理屈よりは現実を優先する。少なくとも帝国主義華やかりし19世紀〜20世紀前半ではそうだった。この時代、独立国であることを主張しようとすれば、その証拠を示さなければならなかった。証拠として認められるものは幾つかあるが、特に重要なものは自国の版図を示す地図である。日本はこれをギリギリでセーフした。1821年出版された伊能忠敬による大日本全図が諸外国に対し、日本国の独立と領土権を主張する重要根拠となったからである。それ以外にも幕府が所有していた鉱山の分布資料は重要だった。
 チベットはどうだったか?少なくとも主権の存在を主張出来る努力を、19〜20世紀を通じて払った形跡はない。イギリス(インド)の保護の下、鎖国政策による平和呆け状態を続けてきたのである。しかし、それも1947年のインド・パキスタン独立で終わってしまった。これを契機に、永年南アジアに軍事プレゼンスを示してきたイギリスが引き上げてしまった。この結果、ヒマラヤ山脈の北に大きな政治的空白が生じた。そしてこの空白を誰も埋め合わせようとしなかった。本来ならチベット自身が、イギリスなりインドを通じて国連加盟を申請すれば何とかなったかもしれない。しかし、チベットは相変わらず鎖国の殻に閉じこもって何もしなかった。それどころか、宗派間対立もあって、統一政府すら作れていなかったのである。これは、各国にチベットは好きにやってもらって結構ですよ、というサインと受け取られても仕方がない。日本は徳川幕府が日本を代表する統一政府と、諸外国に受け取られていたのがチベットとの違いである。
 56年、中国はチベットに突如侵攻する。実にこれはタイミング良く、事前に十分練られた策と考えられる。何故なら、その三年前にスターリンは死に、東欧では民主化という不穏な動きが現れだした。ソ連共産党は内部の引き締めで精一杯、とてもチベットどころではない。アメリカも東欧情勢の緊張化に伴って、欧州正面への兵力配備で手一杯。せっかく朝鮮の戦争が終結したのに、今更チベットどころではない。インドも独立後の混乱の収拾とパキスタンへの対抗の方が重要でチベットどころではない。つまり、周辺でチベットに手を出せる国は中国しかなかった。この辺りは、満州事変前夜の極東情勢と非常によく似ている。石原完爾はこの情勢を読んで、満州制圧に乗り出したのである。一方でこんなに簡単にチベットを制圧出来たのには、他にも訳がある。チベットは仏教による神権国家だったが、チベット仏教も決して一枚岩ではない。実はチベットには、ダライラマを頂点とするゲルク派対パンチェンラマを頂点とする世俗派という、チベット仏教界内部の宗派間対立があった。数から云うと、世俗派が多数派だが、どちらかというと、ゲルク派が世俗派を見下す傾向がある。つまり、イラクにおけるスンニ派とシーア派の関係のようなものだ。中国はその対立を利用し、多数派である世俗派を抱き込み(或いは抑圧されていた世俗派が中国を利用し)、チベットの解放とその後のチベット統治政策を進めてきたとも云える。
 その後59年のラサ暴動(筆者が中学生の頃)、ダライラマのインド亡命があって現在に至る。つまりどっちもどっちなのである。少なくとも国際社会がチベット問題に口出し出来る権利はないだろう。中国のチベット侵攻時やラサ暴動時に何もしなかったのだから。では、どうすればよいか?テレビなどではよく「チベットに自由を」、とかチベットの独立を支持するアピールが報道される。何を云っても勝手だが、叫んでいる人はチベット人民に対してどれだけの責任感を持っているのか、はなはだ疑問である。独立はおろか、政治的自由も今の中国政府は断じて認めないだろう。そんなもの認めれば、それこそ国家の分裂であり、それは極東の不安定化に繋がる。アメリカもロシアもそれは望まないし、日本だってはいOKという訳にはいかない。それ以上に最大被害を被るのは、当のチベット人民である。仮に国際圧力によって中国がチベットから引き上げたとしよう。中国は当然鉄道・道路等社会インフラを破壊し、電力・ガス・食料の供給もストップするだろう。更には国境を閉鎖するかもしれない(独立国にはその権利がある)。その後に出現するのは、数100万の餓死者と難民。更にはダライラマ派対親中派との抗争、つまり内戦である。チベットの自由化、独立を主張する人の考え方は、イラク戦争前のブッシュやライス、ネオコンと全く変わらない。あのときも、彼らはフセインさえ倒せばイラクは民主化し、人々は自由になり、経済は発展し素晴らしい社会が実現すると主張した。実態はどうか?云うまでも無いことなのだ。
 この問題を解決するには、チベット人自身が世尊釈迦牟尼尊者、つまり仏教の原点に返るべきである。世尊は入寂に当たって、弟子達に「世の中は全て変化する。一つとして永遠なるものはない。修行者達よ、故に我が法を信ぜよ」と語った。仏法2500年の歴史に比べれば、共産主義などたかが150年、人民中国に至っては僅か60年だ。その間にもこの国は教条主義的左翼国家から改革開放路線、社会主義市場経済へとめまぐるしく変化している。10年後にはどうなっているか判らないのだ。釈尊が戒めた行為の一つに「執着、拘り」がある。一つのことに執着すると心の自由を失い、見えるものも見えなくなり、感じるものも感じなくなる。結果は永遠の六道輪廻である。中国人は「執着、拘り」の塊のような民族である。そしてそれは金と力で実現出来ると信じている。そういう民族にまともに立ち向かっても、結局は彼らと同じレベルに陥るだけである。ここは一旦彼らと距離を置いて、彼らが変化するのを待つか、逆にチベットに押し寄せてきた中国人を仏法により教化救済する位のことを考えた方がよい。しかし肝心のチベット人、特に亡命チベット人自身が西欧化してしまって、中身では中国人と全く変わらなくなってしまっているのである。
 果たして、世尊釈迦牟尼尊者がこの世におわせて、今のチベットの現状を見たとき、暴力に訴えることを認めるであろうか?聖火リレーの妨害や北京オリンピックボイコットを是認するであろうか?それどころか、あの妄執の塊である中国人こそ救ってやろうと決心するに違いない(しかしさすがのお釈迦さんでも、13億中国人には手を焼くのではあるまいか)。救われなければならないのは、チベット人ではなく現世の欲得・妄執にとらわれ、修羅餓鬼道をさまよう中国人そのものなのである。今こそ世界中の仏教徒がその「金剛智」を結集し、中国人の魂の救済に乗り出すべきときである。この点を踏まえた時、日本の善光寺の結論は、単に自分の境内で騒ぎを起こされたくない、なんでも無事に終わってくれればよい、という自己保身に根ざした俗物見解である。チベット仏教徒との連帯など後でくっつけた屁理屈で、まともに実践する気などないのは見え見え。チベット人のための法要は行ったが、パレスチナやイラクでの犠牲者への法要など行ったことはない。当に善光寺こそ偽善の塊である。こんなことを釈尊が見ていないとでも思っているのか?彷徨える衆生を見捨て、嘘を付けばどうなるか。善光寺の坊主はみんな地獄に堕ちるだろう。仏教徒として恥ずかしいとしか云いようがない。
 なお、この論評はチベット人民に対して向けられているのではない位、賢明なる読者諸君は云わなくても判りますねえ。果たして何処の国民に向けてでしょうか?
(08/04/23)

 善光寺が聖火リレーを拒否。只の事なかれ主義。釈尊もあきれておるぞ。チベット仏教徒が弾圧されているのを、同じ仏教徒として見ておれぬと言っておるが、善光寺はチベット密教とは似ても似つかぬ只の雑密。チベット密教は後期密教。同一視されてはあちらが迷惑するだろう。
 これにアホのシンタローが善光寺は英断だ、プロテストだ、とわるのり。仏教のなんたるかを知らぬ俗物は黙っておれ。
(08/04/19)


 五輪聖火リレーの長野通過で警察が厳戒態勢を敷くらしい。この平和(呆け)ニッポンで誰が聖火リレーを妨害するのでしょうか?まず第一に右翼でしょう。彼らは中国での五輪開催そのものに反対するだろうから、当然聖火リレー妨害に出ても不思議ではない。この時彼らはチベット独立賛成・チベット人民連帯を叫ぶのでしょうか?一度聞いてみたい気もする。次に左翼でしょう。既に一部の市民団体は抗議活動の準備を始めているらしい。なんと、平成20年の長野では日本右翼と左翼の共闘が実現するかもしれないのです。右翼の街宣がスピーカーでがなり立てている前で、左翼が仲良くアジ演説するなど、何となく微笑ましくもあり莫迦らしくもあるブラックユーモアの世界です。そして彼らに共通するものは、無責任なワルノリです。これはヨーロッパの支援運動家達にも共通して云えます。彼らなど南極の反捕鯨活動家と同レベル。そもそも、彼らは今度のチベット騒動がなければ、チベット人のことなど全く無関心だったはずだ。日本やヨーロッパ、アメリカの一般市民で、チベットの位置を正確に示すことが出来た者がどれぐらいいたでしょうか?しかし、中国側の対応も過剰の感がある。いい年した大人が本気でやり合うなど、まるで子供の喧嘩だよ。
(08/04/12)

 「小さな親切大きなお世話」という言葉がある。確か60年代に、当時の美濃部東京都知事が始めた「小さな親切運動」に対する皮肉である。どうも昨今の欧米によるチベット支援表現を見るとどうもそういう感がする。聖火リレーの邪魔をしたり、オリンピック開会式の首脳出席取りやめをほのめかしたり。なんだか南氷洋でのノータリン白人による反捕鯨活動の様になってきた。そんなことをしてもなんの解決にもならない。中国政府の面子を汚すだけでチベット人の権利拡大には何ら貢献しない。第一、ダライラマ自身が反オリンピック行動を批判している。ダライラマの意志に反してまで過激行動を採ることがチベット人の利益に叶うことか?当事者の意志を無視して、こうすればみんな喜ぶはずだ、と自分の意志を押しつける。その結果、当事者に大変な迷惑が懸かる。これが「小さな親切大きなお世話」である。ブッシュのイラク戦争の原因もこれなのである。
 今中国政府が一番おそれているのは、チベットの独立問題なんかではなく、この騒動をきっかけに国内にナショナリズムが高まることである。外国特に西欧による中国非難は、中国人に対しかつての西欧帝国主義による植民地支配を思い起こさせるだろう。これに比べれば日本帝国主義など大したことはない。今回の騒動で、中国人の中にナショナリズムー反西欧主義ーがよみがえり、それを政府がコントロール出来なくなった時、どんなことが起こるか、サルコジやメリケルのような歴史に無知なアホには到底想像も出来ないだろう。このときは日本も対岸の火事ではいられなくなる。
 中国政府は事態を冷静に分析し、落としどころを探っているだろう。そのとき外国として必要なことは、ファナチックに対中非難を繰り返すのではなく、中国の面子を立てた上での事態収拾に向けた提案である。今回の騒動の遠因は、沿岸地域と内陸部との経済格差の拡大である。この問題解決の為に中国指導部の採った方策は、アメリカ型市場主義経済の辺境への拡大だった。ところが経済インフラそのものが未成熟な辺境に、苛烈な市場主義経済を持ち込んだことがそもそも失敗の原因である。現在の中国経済指導者の大部分はハーバードやエール留学者だが、ここに問題があるのだろう。今の世界経済を混乱に陥れている元凶の一つがこれらアメリカ東部の大学である。要するに彼らは無能なのだ。中国でこれまでの市場主義経済をこのまま続けていれば、経済格差は更に拡大しそれこそ中国の分裂を招きかねない。これは日本及び東アジア全体にとって、必ずしも好ましいとは云えない。
 中国として今後取り組まなくてはならないことは
 1)辺境への経済拡大は一旦ペースダウンし、内需拡大を計ること。
 2)これにより内陸から辺境への富の移動を促し、経済格差を是正すること。
 3)辺境への漢族の移住(資本も含め)を規制すること。

 それとこの問題での外国メデイアの取り上げ方に付いては、日本では欧米系に偏っているが、他のアジア・アフリカ系メデイアがどう取り扱っているか?興味がありますねえ。
(08/04/09)

 チベット問題はとうとうオリンピック問題に波及し、油断ならない情勢になってきています。チベット問題への報道を見ていると、国によって大きく次のように対応が異なっている傾向が見えます。
   1)欧米・・・・・人権を前面に出し、中国非難に傾く。
   2)アジア、ロシア・・・・中国非難を抑え、人権問題は無視する。
 これだけ見ると、いかにも欧米は人権問題に積極的で、アジア・ロシアは遅れているように見える。しかしこれは一面的な見方である。重要な点は人権と国家の統一を秤に掛けたとき、欧米では人権に傾き、アジア・ロシアは統一に傾く差が現れていると言うことである。この差はどこから出てきたかと云うと、現在の国家体制を産んだ原動力が革命か、(異民族からの)独立かの違いである。前者に属するものが欧米特にヨーロッパであり、後者に属するものがアジアなのである。専制体制下で国民革命・階級革命を経験したヨーロッパでは、どうしても人権に目がいく。ヨーロッパでも独立運動が盛んではなかったか?という疑問があるだろうが、ヨーロッパ人が近代以降経験した独立は皆同じヨーロッパ人からの独立である。また、第一次大戦後の民族自決政策、最近の東欧崩壊でヨーロッパ中東部も、殆ど単一民族国家になってしまった。こういう国では民族統一は終わったことだから、政治スローガンにならないし、大衆の興味を引かない。むしろかつてのナチや共産党による人権抑圧の方がより記憶に残るのである。民族的トラウマのようなものだ。今回のチベット騒動はそれを刺激したのである。
 一方、アジアがヨーロッパと決定的に違うのは、植民地化と云う、より深いトラウマが民族の根底に刻まれていることである。植民地からの独立、これこそがアジア(だけでなくアフリカや中南米)諸国の依って立つ所以なのだ。しかもこれら諸国は、殆どが内に異民族問題か部族対立を抱えている。もしこれらの国内問題に火がつけば、国家はバラバラに分裂し、再び白人の植民地になりかねないという恐怖が心底にある。国家の独立、民族統一の維持が最優先であって、それに比べれば、人権は後回しにしても仕方がない、というのが彼らの本音だろう。ではアメリカ、ロシア、日本はどうだろう。
 アメリカは確かにイギリスから独立した。しかし独立したのはイギリス人と同じアングロサクソンで、彼ら自身がアメリカという植民地を支配していたのである。従って、アメリカが経験したのは体制内革命であって、アジア型の反植民地民族独立革命ではない。だからヨーロッパと同じ対応になる。アメリカ先住民が白人を追い出して、スー・シャイアン・アパッチ連邦でも作ればアメリカもアジア型になる。ロシアの民族的トラウマは中世の200年に及ぶモンゴルの支配である。その後、ポーランド人、フランス人、ドイツ人による侵略を経験している。しかも国内に複雑な少数民族問題を抱えている。中国と同類である。従って、対応は欧米と異なり、親中的になるだろう。そして一番判らないのが日本である。
 このかつて異民族支配も真の意味での革命も経験していない国民は、今度の事態をみても、手をこまねいて只見ているばかり。それも仕方がない。何せ、占領軍を進駐軍と言い換えたり、占領軍の司令官をぱちぱち手を叩いて歓迎したり、全く敗戦とか占領とかの意味を分かっていない。多分、この言葉の意味を一番よく分かっていたのは、昭和天皇だけだっただろう。だから未だに政府として何の発言も出来ないのである。まあ、出来もしないのに、うっかり余計なことは云わない方が賢明だろうが。
(08/04/08)

 三国志演義冒頭に曰く「天下合すること久しければ必ず分かれ、分かれること久しければ必ず合する」と。今、チベットの政情が不安定で、おそらく胡錦濤政権は事態収拾に大わらわでしょう。原因は中国政府がチベットの中国化を性急に押し進め、漢族資本家(社会主義国家で資本家というのもおかしな話だが、中国は元々憲法上民族資本家が存在する。又、前回の憲法改正で資本家の共産党員を認めた。つまり、資本家が共産党の権威をバックに自由に経済活動が出来るようになっている)が・・・・あたかもかつて日本人が中国や満州に大挙進出したように・・・・チベットに進出し、チベットの経済を実質的に支配独占したことに対する反動である。映像を見ると、かつてのロスアンゼルス暴動を思い出しました。これも商売熱心な韓国人の進出により職を奪われた黒人貧困層が、不満を韓国社会にぶつけたものです。少数民族を抱えた複合国家を、ある原理で統一しようとすれば、それが社会主義であれ資本主義であれ、民族間対立を産み混乱を発生することは歴史上いくらでも見ることが出来ます。旧ソ連は社会主義原理で多数民族を統合化しようとしたが、周辺諸民族(特にトルコ系)の強い反発を招き内戦となり、統一までに莫大な犠牲を払った。それでも社会主義政権が倒れれば、かつて統一されていた非ロシア地域がバラバラに解体されてしまった。あのアメリカでさえ西部の開発を民間に委ねると、資本家が先住民の土地に進出してたちまち反発を招き、第7騎兵隊の全滅のような犠牲を払う羽目に陥ったのである。それに比べると中国の少数民族対策は未だましな方だった。少なくとも全土解放後半世紀以上経っても、目立った地域争乱は無かったからである。それがここに来て何故このような騒ぎに騒ぎに成ったかというと、現政権が押し進める、野放図な改革開放、市場原理主義、成長第一路線が、周辺諸民族の伝統文化を破壊し、地域間格差を増大し、民族差別(漢族による少数民族への蔑視)が顕在化したからである。イラクのアメリカ軍がイスラムの伝統習慣を無視したために、4000人からの死者を出しているのも同じメカニズムである。従って、周辺諸民族の不満を解消するためには、中国政府は・・・・自分の政権を長続きさせたければ・・・・周辺地域への漢族の進出を規制すべきである。これを怠って力で押さえ込もうとすると、最終的には旧ソ連の様な最後を迎えるだろう。
 さて、報道によるとチベット人の抗議デモは甘粛省にまで及んでいると云われる。旧ソ連時代末期・・・と言うより前のアフガン戦争の頃・・・より、中国西域地方ではイスラム原理主義運動や民族独立運動が盛んになり、不安定が進んでいる。中国政府は彼らをテロリストと呼び、弾圧の対象としている。これが中国がアメリカの云う対テロ戦争に対し、敢えて反対せず曖昧な態度をとらせた理由である。今回のチベット争乱がチベットにとどまらず、西域地方から辺境地域に拡大すれば、中国は国家分裂という、建国以来最大の危機を迎えることになる。果たして中国政府はこの危機を乗り越えられるだろうか?歴史の教える処によると、中国は再び分裂し内戦状態になる可能性が高い。そうなると面白いですねえ。筆者自身、中国はいずれ分裂するだろうと思っていたから、何が起こっても別に驚きませんが。現代版三国志時代を迎えるか?お楽しみ。

 チベット争乱に対し、胡錦濤政権は外国勢力の干渉があれば中国は人民戦争で戦う、と表明。胡錦濤自身、人民戦争とはどういうものか判っているのだろうか?第一、今の政権内部に人民戦争の経験者などいない。政権内エリートはハーバートやエールに学んだ、生粋の自由主義資本主義者ばかりである。彼らは何事も金の価値に換算する。とても人民戦争になじまない。又、国民の大部分は既に資本主義の美味しいところを知ってしまった。今更過酷な人民戦争を戦える能力も気力も粘りも無いだろう。むしろ周辺諸民族の方が人民戦争になじむだろう。なお、人民戦争の元締めである人民解放軍自身、軍備の近代化によって著しく西側の軍隊に近づいている。かつて帝国主義軍隊に対し非対称戦争を挑んだ解放軍が、今度は挑まれる番になる。歴史とはしばしばこういう皮肉を産む。
(08/03/16)


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