フルシチョフは改革派だったか?

これは06/06/06付け毎日新聞朝刊「記者の目」掲載署名記事に対する、筆者の見解である。意見をお寄せ下さいという意味で欄外にメールアドレスが記載されてあった。そこで意見を纏めて、メールで送り、是非反論して下さいと要望したのだが、何時まで経っても反論も何もない。新聞社というのは実に傲慢無礼な連中の集まりなのである。それとも、反論したくても出来ないほど頭が悪いのか?ほっといても仕方が無いので、全文を公開する事にします。



 6月6日、毎日新聞朝刊「記者の目…出よ中国のフルシチョフ」の読後感。ズバリ云って執筆者(毎日新聞論説室 金子英敏氏)の云わんとするところが、さっぱり判らない。戦後の国際政治史や思想史の理解に不足があるのではないか。執筆者の論点を纏めると、次のようになろう。
1、 旧ソ連では、1950年代、フルシチョフという人物が現れ、独裁者であるスターリン批判を行い、自由化を促進した。
2、 その後、ブレジネフ政権による揺り戻しはあったが、フルシチョフ改革の延長線上として、ゴルバチョフ政権が産まれ一党独裁体制は崩壊した。
3、 一方、中国はフルシチョフ自由化に反対して、毛沢東の指導による反右派闘争を始めた。その結果が文化大革命である。
4、 現在の中国指導部は、文化大革命並びに毛沢東の誤りを総括していない。フルシチョフ、ゴルバチョフ、の到来が待たれる。
この論説の問題は次の3点に要約されよう。
論点1、スターリンと毛沢東を、単なる独裁者として同一視している。
論点2、何故フルシチョフはスターリン批判を行ったか?フルシチョフ改革の実態はどのようなものだったか?
論点3、文化大革命と、現在の中国の評価。
 結論を云っておきます。
1、 フルシチョフは大した人間ではなく、とても改革者とは云えない。所詮は地方共産主義者の成り上がり。
2、 中国は、とっくの昔にフルシチョフのレベルを超えている。今は自分の巨体をどうして良いか判らない状態だろう。
3、 文革を総括するまでもなく、中国の民主化は進む。但し、毛沢東を否定することはない。更に、その結果が世界の安定や、日本の国益に一致する保障はない。

論点1、
 スターリンが帝政ロシアのスパイだったことは、既に周知の事実である。革命前は主に地下活動でテロに従事していた。共産主義の理論に関する論文もない(少なくとも私は聞いたことがない)。ロシア革命の指導者はレーニンである。レーニン死後、内部人民委員部を掌握して、政敵を逮捕・処刑し実権を握った。彼は、権力の簒奪者であり、革命並びに国家指導者となるべき正当性を持っていない。従って、スターリンを批判したところで、レーニンの威信や革命の大義を傷つける訳ではない。それどころか、自分を革命の正当後継者として位置付けられる。
 一方毛沢東は、文句なしの革命指導者であり、新国家の創業者である。いやそうではない、蒋介石だっている、という人がいるだろう。しかし、蒋は新国家の指導者になり得ない。何故なら、問題は国民党の腐敗である。これについては、国民党軍事顧問だった、アメリカのウェデマイヤー中将の本国宛報告書がある。仮に、日本敗北後、蒋介石が政権を執ったところで、数年で共産党に追われるのは顕か。
 今の中国政権も革命の延長線上にあるのだから、その原点である毛沢東を否定することは出来ない。うっかりそんなことをすると、自分を否定してしまうからだ。だから、現中国指導者の一番頭が痛い問題は、毛沢東の権威を維持した上で、如何に文化大革命を否定的に総括するか、である。今のところ、上手い言い訳理論が見つかっていない。だから、見つかるまで、しらばっくれておこうと言うのが本音だろう。だからといって、これを日本人が批判する事は出来ない。何故なら、前大戦の戦争責任を、一部のA級戦犯に押しつけたまま有耶無耶で誤魔化しているからだ。毛沢東への個人崇拝を批判する人は、同じレベルで靖国神社に参拝する総理大臣を支持出来ないはずなのだ。

論点2、
 フルシチョフがスターリン批判を行ったのは次の四つの理由が考えられる。
1) フルシチョフはウクライナ人だった。
ウクライナは革命後スターリンによって散々非道い目に遭っている。だから独ソ戦当初は、ウクライナはドイツ軍を歓迎したぐらいだ。この結果、戦後更にスターリンの報復にあっている。
2) スターリン死(1953)後、クレムリンでクーデターが起こって、フルシチョフ以下のいわゆるトロイカ体制が出来た。しかし、これが続いたのも2年くらいで、1955年にはマレンコフが辞任して、ソ連共産党にはフルシチョフ独裁体制が確立する。しかし、党内外にはスターリン支持者も多く残っている。これを残して置いたのでは、権力が持続出来ない。自己の権力体制を確立するためには、どうしてもスターリン批判は避けて通ることは出来ない。
3) 言論を活性化する事によって、旧スターリン主義者、反フルシチョフ主義者、反共・反党主義者をあぶり出して、弾圧を加える。
4) 西側、特にアメリカに対し甘い幻想を投げかけ、その間に軍備を増強する。
ところが、このスターリン批判を共産主義批判、民主主義の復活と錯覚した慌て者が、国の内外にいたのである。その代表がハンガリーである。フルシチョフはこのお人好しの慌て者にきっちりお仕置きをしてやった。無論、ソ連国内にも、そういう慌て者がいたはずだが、彼等の運命は判らない。
フルシチョフの演じた自由化は、飽くまで西側に対する見せかけであって、国内では相変わらずフルシチョフ独裁が続き、最後にはフルシチョフ個人崇拝にまで行き着きかけたのである。そうなる前に、彼が失脚しただけの話し。
果たして、フルシチョフ時代、ソ連国内外で何か改革らしいものが行われたでしょうか?
何も思いつかないのである。彼が失脚したのは、彼自身の性格がルーズだったため、党・政府の規律が緩み、腐敗が進行したことと、ベトナム対策についてアメリカに妥協しすぎたためではないかと思われる。フルシチョフ失脚直後に、アメリカはベトナムに本格介入を始める。事前に何らかの取り決めがあった疑いが残る。

論点3、
 文化大革命の評価は、中国国内でも定まっていない。只間違いないのは、あの騒動を肯定的に評価する人は中国国内でも殆どいない、という事実である。しかし、あの騒ぎは単に毛沢東個人の思いつき、と云えるかと言う点は疑問である。筆者は文化大革命の遠因は、朝鮮戦争にある、と考えている。2年目からこの戦争は、中国と米韓・国連軍との戦争に形を変えてしまった。モスクワは戦争処理については北京に押しつけ、知らん顔を決め込んだ。スターリンが死んで、休戦となった。しかし、その2年後、フルシチョフはいきなり、雪解け・平和共存を言い出した。この戦争で、中国が払った犠牲は100万人とも200万人とも云われる。中国は共産主義の大義・社会主義国の連帯を守るために参戦したのだ。その結果が、資本主義との共存というなら、馬鹿にするなというのが当たり前。中ソ対立、中国と言うより毛沢東の左傾化は、このときから始まる。
 さて、毛沢東は、その後百花斉放運動というのを始める。共産党に対する意見・批判を、何でもおっしゃって下さいと言うわけだ。これを真に受けて、本当に共産党批判をした慌て者がいた。彼らの運命は誰もしらない。要するに、百花斉放の美名を利用して、反毛・反党分子をあぶり出して弾圧しようという陰謀…尤も、毛沢東は「これは白昼堂々とやったのだから、陰謀ではなく明謀だ」と嘯いた、という説もある…だったのだ。数100万人が犠牲になったという説もあるが、実数は不明。無論、もっと頭の良い人は騙されずに、共産党支持意見を述べる。これが中国4000年の知恵。
 この後大躍進の失敗、毛沢東批判を受けて、毛は一旦下野するが、上海を拠点に反右派闘争を始め、遂に文化大革命に至るのである。ここで文革の詳細を記述する気はないが、文革の終わり頃は、毛は完全に呆けていた。毛の呆け進行に比例して、文革は消滅したのである。その後、政変で政権を掌握した橙小平が、いわばフルシチョフの役割を果たしたと言えよう。しかし、橙も共産党独裁を否定してはいない。
 現代中国が、文革を引きずっていると考える人はまずいないだろう。自民党保守派とか、例えば文春「諸君」のような保守派ジャーナリズム…こういう馬鹿は無視して置いた方が世の中のため…は別だが。現代中国が毛沢東を否定出来ないのは、今の日本人が明治天皇を否定出来ないのと同じである。だから、これ自身は殆ど意味の無い議論である。
 さて、今後の中国だが、現在の中国政府・共産党指導部は、いわゆる文革世代である。この世代は、20代から文革・下放という苛烈な人生を経験している。日本の同世代政治家とは段違いに複雑な人生を歩んできているのだ。そして、彼等の次の世代は、間違い無く第二次天安門世代である。彼等こそが、現在の中国に於ける反日活動の中核なのだから。彼等が政権を握った時、領土、資源、歴史問題等について、対日姿勢は今よりシビアになっても軟らかくなることはないだろう*。彼等の発想を今後の日本人がまともに受け止められるかどうか、今後の大きな課題になるだろう。金子氏も含め、今の日本人の大部分は、今の中国を相変わらずの共産党一党独裁国家と思っているようだが、実は内部では殆どそのシステムは崩壊していると考えられる。何故なら、地方政府の腐敗が、次々と明らかになっているからである。腐敗は民主主義の副産物であり、証である。次の、或いは次の次の共産党主席選出では、公選制が採用されるかもしれない。しかし、これが良い結果を産むとは限らない。極端なナショナリストやポピュリストが、国家指導者に選出され、政治が混乱するかもしれない。又、公選のやり方によっては、国家が分裂するかもしれない。その余波は当然、世界にも日本にも大きな影響を与えるだろう。だから、ここしばらくは、中国自身のコントロールに任せざるを得ないのである。だから、責任あるジャーナリストは個人崇拝がどうとか、非民主的だとか、些末なことで中国を評価してはならない。(以上)

*戦後のアジア史を見ていると、独裁国家の独裁度と反日姿勢が反比例する、という傾向が見られる。これの火を付けているのがアメリカで、肝心の日本外務省が何にも気がつかなかったりして。

(06/06/24)


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