日大・宝塚問題と体育会系社会

技術士(応用理学) 横井和夫


 原作をテレビ局に勝手に改竄されてトラブルとなり、原作者の女性漫画家が自殺するという事件が発生した。何故こういうことが起こるのか。背景にはテレビ局と原作者との力関係、更に脚本家が原作者の意図を無視して独走してしまったことがある。この脚本家もテレビ局と契約しているから、原作者の意図より、テレビ局の意向を優先するはずだ。
 この事件は日本社会にあるなれ合い体質が今なお力を持っている、つまり「契約」というものが根付いていないことを意味する。こういう場合、「無理がとおれば道理が引っ込む」で、力の強いものの言い分がまかり通ることになる。宝塚過重労働事件も同じである。
 両者に共通するのは、事業者も請負者もそれそれの権利・義務に対する認識、それ以前に契約というもの対する認識が不足していることである。例えば、宝塚歌劇団は、劇団員にたいしては、都合の良いときは伝統だなんだと云って義務を押し付け、都合が悪くなると独立した個人事業主
だといって自分の責任は逃れる。こういう卑怯な振る舞いを許しているのが現代日本、中でも政治、芸能、スポーツ界である。
 アメリカではスター選手やハリウッドスターなど大物が個人で契約交渉にあたることはない。必ず代理人(弁護士)が間に入る。契約書は細部に渡り電話帳位の厚さになる。それ以下の船主・俳優は船主組合や俳優組合に所属するから、組合が共通契約を取り交わす。
 ところが日本では圧倒的に力の差がある事業者と個人が直接対峙して契約を交わす。ここに根本的な問題がある。今回の件でいえば、テレビ局に対して原作者は代理人を立てて交渉すべきだった。そうすれば脚本家の」勝手なストーリー改竄を防げた。弁護士には費用はかかる。掛かってもアメリカの弁護士に比べればずっと安い。又漫画家には漫画家協会というものがあるのだから、協会が何処か法律事務所と契約して事業者との交渉を任せれば、原作者の金銭的負担は少なくて済む。とにかく甲乙双方に権利意識、契約知識が乏しかったのが、只のトラブルを自殺という大事件に拡大したいちいんである・。
(24/02/03)

 またまたトヨタ系列会社でスキャンダル。ことは16年にトヨタの完全子会社となったダイハツでのデータ捏造。過酷な開発計画の下、現場が検査過程を一部省略したり結果を捏造したというもの。この事件かつての東洋ゴムでの免震ダンパー性能偽造事件とよく似ている。違うのは東洋ゴムの場合、免震ダンパーは主力商品ではなかったが、ダイハツは全車種が対象ということだから、ことは重大。
 ことが発覚後ダイハツは第三者委員会を設けて原因究明に乗り出したが、その内容は宝塚歌劇団事件とよく似ている。
1、両者とも系列子会社。宝塚歌劇団は阪急電鉄、ダイハツはトヨタの100%子会社。当然経営陣は親会社からの出向となる。大体こういう場合、出向者は丘陵だけ取ってなにもしないか、親会社に居た頃のやり方を、出向先に押し付けるかのどちらかだ。受け入れ会社としては迷惑以外の何物でもない。
 筆者がサラリーマン時代、役所の天下りはずいぶんいたが、筆者はこんなのは売り上げ確保の人質みたいなもんだと割り切っていた。
2、委員会報告では、問題の原因を、宝塚では過度の業務の集中があった、それを劇団側が見逃した。ダイハツでも過度に過密な開発スケジュールがあって、それが現場へのプレッシャーとなった、とする。しかし経営陣には責任はないと結論している。
3、又こういう状況を生んだ背景に、経営陣が現場の自主性を尊重したことがある、としている。”自主性”とは随分キレイ」な云い方だが、要するに経営者が現場の状況を把握せずほったらかしにしていたか、見て見ぬふりをしていたことに他ならない。つまり」無責任の極みである。つまり”経営者g無能”だったからということだ。
 さて今後の展開だが、どちらも今やパニック状態だろう。しかしここでっこれまでの旧弊を打破できれば十分再生は可能である。第一に宝塚にはこれまで培ってきた独自のコンテンツがある。また、ダイハツには軽自動車に関する基幹技術がある。
 筆者の業界でも昔は談合がばれたり、役員による自社未公開株株の不正売却などで指名停止を喰らってどうなるか、と思われた会社もあった。しかしその後責任者を追放し、体制を改め体質をスリムにした結果、再び業界業界大手に返り咲いた例もある。禍を転じて福をなすで、両者ともこの際思い切って膿を出して再起を諮るべきである。それをしなければこのままズルズルだ。
 しかし本当のところどうでしょう。宝塚の場合、本当の責任者は阪急阪神HD会長の角だが、彼は歌劇団は辞めたがHD会長はそのまま。ダイハツもあの記者会見ではそれほど危機感を感じていないようだ。両方とも、まずトップのクビを斬らなけりゃ話にならない。
(23/12/22)

 廃部が決まった筈の日大アメフト部。ところが昨日の会見では未だ継続審議という。廃部報道があって180人の継続嘆願書が出たり、一部から「他の学生には罪がない」とか、融和的な傾向が出てきた。それに押されて、という向きもあるかもしれないが、筆者はそうは取らない。
 元々廃部論に傾いていた林理事長派に対する抵抗勢力が残っていて、それの反発が強かっただけではないか?では抵抗勢力とはどういうものか?アメフトが廃部になればとばっちりが跳んできてやばいことになりそうな部だ。相撲部など、前理事長の出身母体だから結構脛に傷持つような気がする。
 廃部議論に学生の意見が反映されていない、と批判する評者がいる。一見民主的に見えるが、この場合、学生とはどういう部分を指すのかで随分話が違ってくる。学生が他のアメフト部員だったり、或いは体育会系学生だったりすると、その意見は当然存続論に傾く。
 重要なのは日大10万人の学生の大部分を占める非体育会系学生の意見である。この問題で一番迷惑をこうむっているのは、彼ら非体育会系学生ではないか?「悪質タックル事件に続いて又これだ、いい加減にしてくれ」、「アメフトなんかあってもなくてもどっちでもよい、いっそないほうがよい」というのが正直なところだろう。
 日大アメフト不祥事問題は、不祥事を起こした学生だけの問題ではなく、OBを通じて連綿と続く体質にある。DNAは残っているのだ。問題を起こしたのは一部の部員だけで、他の部員に責任はない、なんてあまっちょろいことを云っていると、いずれ将来又同様の不祥事を起こす。一旦廃部によってこの流れを断ち切り、再生を待つしかない。
(23/12/05)

 とうとう日大アメフト部が廃部に追い込まれました。この部は5年ほど前に悪質タックル事件を起こし、そのあおりで理事長が退任したりコーチが首になったりの前科がある。しかしその処分は一部の幹部や部員の退部に留まり、根本的なものではなかった。そして今回の大麻事件である。
 かつての悪質タックル事件でも、この部のブラック体質が話題になった。この時にもっと徹底的な改革・・・例えば部の運営に大学がもっと積極的に関与するとか・・・をやっておけば良かった。この時の処分が甘かったために、今回より大きな事件を引き起こし、廃部・・・人間でいえば死刑・・・という大変なことになってしまった。
 ここで思い出すのは戦前の5.15 j事件である。総理大臣を殺害するという大事件を起こしたにも拘わらず、判決は民間に厳しく軍人に甘いものだった。この甘い処分が5年後の2.26事件を引き起こし、軍部独裁ひいては太平洋戦争の敗戦に繋がり、日本を国家破綻させた。つまりここで再び甘い処分をすれば、日大本体そのものが崩壊するかもしれないのだ。
 それは宝塚問題も同じで、歌劇団理事者側が自身のメンツを重んじて内部調査だけでパワハラの実態を隠せば・・・つまり処分を甘くすれば・・・、みんなあの程度なら構わなのだなと思い込む。そして将来再び同様の事件が起こる。その時は歌劇団そのものの存亡の危機になるだろう。今のうちにやるべきとはやっておかないと、後で後悔しても遅い。
(23/12/01)

 宝塚歌劇団は22年に西宮労働基準監督署の立ち入り検査を受けている。立ち入り検査は、通常のいい加減な巡回検査と違って、かなり重大な事案で黙って見逃せない事案。処分はとりあえずは是正勧告。これに基づいた改善計画書を提出しなければならない。これでも是正が不十分と判断されれば、次は是正命令。これでも是正されなければ職場封鎖で出入り口に封印を貼られてしまう。
 この時は歌劇団は「適正に対応した」と発表している。但し「適正な対応」とはどういうものか、明らかでなない。それにも拘わらず今回自殺事件が発生した。自殺原因と考えられるのは過重労働とパワハラである。労基が担当するのは過重労働の部分。パワハラは法務局或いは警察の縄張りだ。
 今回再び立ち入り検査が行われたのは、22年の検査による指摘事項が、これまで是正されなかったと判断されたのである。さて、歌劇団のいう「適正な対応」とは何か?現実には何もしていなかったのだ。
 もう一つの理由のパワハラ。ここでは何故パワハラが発生するか、という点が重要だ。パワハラの素にあるのが閉鎖的な環境下での濃密な上下関係とされる。この上下関係は何も人間だけではなく、動物園のサルや熊の群れでも発生する。何の制約も規則もない環境では、固体は自由に動き回れるが、環境が閉ざされるとそれが制約となって、ある規則が産まれる。その規則を作る最も手っ取り早い基準が、年齢や力による上下関係なのである。氷河期のような過酷な環境で集団が生き残るためには、集団を強化する秩序が必要である。これはある意味集団秩序を維持するための、知恵の一つともいえる。しかしこれが行き過ぎると副作用が起こる。その典型がパワハラであり、実例が宝塚歌劇団であり、日大アメフト部である。。
 一方ある程度発展した企業や学校・官庁社会では、この上下関係が支配者・管理者にとって都合の良いこともある。何故なら一般社員間の揉め事などうっとおしい事柄の解決は、この私的上下関係に任せておけば良いからである。例えば昔の軍隊内務班・炭鉱・蟹工船などだ。そこでは自然発生的私的上下関係が出来、その中で私的制裁ーリンチが横行していたのである。無論軍隊や会社幹部は見て見ぬフリだ。
 しかし現代の企業でパワハラは殆ど致命傷になる。アメリカではしばしば天文学的賠償請求訴訟や不買運動の原因ともなる。更に職場内に私的上下関係が産まれると、職制とは異なる指揮命令系統が発生する。これは職場内統制にとって有害以外の何者でもない。先にに述べたように、閉鎖環境下で集団をほおっておくと、自然に上下関係が産まれる。これを防ぐには、職場の管理者、ひいては経営者の積極関与が必要なのである。
 宝塚歌劇団(音楽学校も含む)は、典型的な閉鎖環境下集団である。上で述べたように、このような社会では、ほおっておくと知らないうちに私的上下関係が産まれ、それがパワハラに発展するのは必然。それが何時の間にか伝統という「美名に画され、遂に今回のような悲劇・事故を産んだ。歌劇団や親会社の阪急電鉄は、パワハラ問題についてあまりにもナイーブ過ぎたというべきだろう。
(23/11/28)

 やっぱり出てきた宝塚擁護発言。昨日宝塚歌劇団初の女性演出家というのがSNSに投稿したもの。この演出家曰く「マスコミ報道は捏造されたもので、これでは宝塚の実態は隠されてしまう」、「週刊誌はありもしないパワハラや何かを造りだし、テレビはそれをそのまま伝えているだけ」等々、ほぼ陰謀論に近い内容。この人は演出家だから、いうまでもなく歌劇団・・・加害者・・・側の人間。そういう人が何を云おうと、世間の賛同を得るのは難しい。
 パワハラがあったかどうかははともかく、宝塚歌劇団が世間から批判を浴びる理由のひとつに、歌劇団側が実態をなかなか表に出さず、事件を曖昧にしたまま終結を急いでいると見られていることがある。そのシンボルとして挙げられるのが「隠蔽体質」である。
 これまでの宝塚歌劇団側の対応を見ていると、江戸時代の大阪商家の体質をそのまま引きずっているように感じられた。江戸時代、江戸と大阪とでは民事係争の解決が随分違っていた。江戸では町奉行所は刑事行政から民事訴訟迄全てをあつかっていたが、大阪では民事不介入で奉行所は刑事事件と思想問題・・・隠れキリシタンの摘発・・・のみを扱っていた。民事上の揉め事は町内の町役人に任せていた。従業員が何10人もいる大店では、店内の揉め事は表に出さず、身内で済ますのが常だった。
 その理由は、大阪商人の原型である近江商人が、何よりも信用を重んじたからである。もし店の不祥事が表に出れば店そのものの信用に拘わる。世間から不信の目で見られれば大阪で商売はやっていけない。だから内輪の揉め事は内輪で済ます習慣が生まれた。無論こういう風習は明治以降次第に消えていったが、慣習として何時までも残っているケースもある。
 歌劇団ー音楽学校の悪しき慣習としてやり玉にあげられているものに外部漏れの禁止というものがある。要するに内部で生じた具合の悪いことは一切外部へ漏らしてはならない、という慣習である。これが「宝塚」の隠蔽体質を産む原因とされる。
 しかしこの慣習、考えてみれば江戸時代のナニワの大店で行われていた慣習そのものである。何故そんな慣習が今まで残っていたのか?それは創業者の小林一三自身が、事業をナニワの丁稚奉公から始めためだろう。彼と一緒に事業に拘わった番頭連中も似たようなもので、旧いナニワの伝統・慣習から抜け出せなかったのである。
 阪急という事業の中心は、大阪府北部から兵庫県南東部、所謂阪神間という処である。このエリアをぐるっと阪急電鉄が取り囲み、その中でデパートから住宅まで自己完結した世界を作っている。つまり競争がないのだ。これが「宝塚」と世間との意識の乖離を産み、挙句の果てが記者会見でパワハラを指摘されると「証拠を出せ」などという居直り発言をしたズレた人間を産む原因になっている。そして何よりも信用を重んじた大阪商人の伝統を受け継ぐ筈の「宝塚」が、今世間から不信の目で見られるのは皮肉である。
(23/11/22)

 万博で海外パビリオンの契約が遅れているのは、建設費高騰や業者不足もあるが、契約に関する意思疎通が出来ず、それで契約が出来なくなった要素もあるのではないか?契約について日本や東アジアの民族は曖昧で済ますことが多いが、欧米や中東特にイスラム教やユダヤ教、キリスト教でもプロテスタント系などモーゼの律法を重視する民族や国家では大変厳格である。契約に違反すれば、それこそ血や肉で贖わなくてはならない。
 筆者が居た建設関連業は、無論全て契約で動く。実施方法は国・学会・関連業界で決められた諸基準のほか、特記仕様で指示される。ところがこの特記仕様というのが曲者で、必ず末尾に「その他監督員の指示する一切の事項」という項目がくっついている。これでは契約の範囲が無限に広がってしまうことになりかねない。これを最も上手く利用しているのが神戸市である。世の中には、筆者の様に神戸市の仕事は二度としない、と思ってるのが少なからずいるはずだ。
 そこで今回の宝塚劇団員自殺事件で明らかになったのが、歌劇団と芸団員との契約内容である。まず劇団員は労働者か否かである。劇団員は音楽学校を卒業し、劇団に配属されると、5年間は歌劇団所属、以後は個人事業主(フリーランス)扱いとなる。歌劇団配属中は、明らかに労働者と見なされるから、労働基準法の保護下に置かれる。問題は後者となってからである。
 フリーランス(乙)は独立した事業者と見なされるから、契約に当たっては事業(宝塚の場合公演)毎に、委託者(歌劇団=甲)とは甲乙対等の契約をを結ばなくてはならない。しかし我が国では、甲乙が永年連帯して事業を行っておれば、一々結ばなくてもよいという慣習がある。
 そのせいか、文書になった契約書というものは作成もされず、存在もしない。その代わり「規則」というものがある。その内容は劇団員としての心構えや、他との対応の仕方、容姿作法細部に渉っている。果たしてこれがフリーランスに当てはまるか、ということだが、例えばゼネコンの現場でも、その現場ごとに細かい規則があって、下請けでもそれに従わなくてはならないから、容認は出来る。これは業務遂行での必須条件とされるから、事実上契約の一種と考えられる。
 しかし宝塚歌劇団の場合、その中に「一切異議を申し立ててはならない」という一文がある。これは問題である。通常契約にあたっては、甲乙対等の立場で内容を吟味し、乙は納得できない部分について、」鉱に異議を申し立てる。甲はそれに回答する義務がある。こえは海外業務では特に厳格で、発注者・受注者ともに弁護士を経て、膣紋内容・」回答は全て文書で行い、弁護士に供託される。もし事業の過程で何かトラブルが発生したとき、乙がそれを事前に指摘しておかなければ、全面的に」乙の責任になることがある。それではたまったもんじゃないから、受注者は契約時に徹底的に内容を精査しクレームを付ける。
 ところがy宝塚歌劇団の場合、乙(劇団員)は一切の異議申し立てを禁止されている。これは一種の奴隷契約といえるもので、我が国では憲法でも民法でも労働法でも禁止されている。とんでもない片務契約で、法的に許されるものではない。この場合、契約期間中に何らかのトラブルが発生したとき、その責任は全面的に甲が追うことになる。果たして歌劇団はそのリスクをか投げたことがあったのだろうか?おそらく意識すらしていなかっただろう。
 歌劇団は問題・・・但し劇団員が負った過重労働に対してだけ・・・年公演を9回から8回に減らすといっているが、問題の本質はそんなところにあるのではない。問題は本来事業主である宝塚歌劇団が主体的にやらなければならない生徒の許育・管理を一劇団員に丸投げし、責任を放棄していたことにある。それを助長していたのが例の「規則集」であり、永年の伝統・慣習である。
 更に」劇団側の説明の端々に見られる「守ってやれなかった」のような言葉は、如何にも上から目線で、劇団員を子ども扱いし、一人前の人間として扱ってこなかった証拠でもある。ここに見えるのは、歌劇団の著しい人権意識の欠如である。それが今回の事件で面に出てしまった。憧れの宝塚がこれでは、音楽学校受験を考えていた少女達もためらってしまう。受験生が減っていけば、宝塚の将来はとんでもないことになる。宝塚歌劇団はそういうリスクに全く気付いていないようだ。公演回数を減らすなどという表面上の取り繕いではなく、「規則集」の廃止、様々な伝統と称する因習の廃止・見直しを含めた抜本的改革が必要なのである。
 それは親会社の阪急電鉄の体質にも拘わるのではないか?永年阪急ブランドに甘えて殿様商売を続けてきた。これでは阪急など、只の関西の中小企業呼ばわりされても仕方がない。そいえば、関電にもそういうところがある。
(23/11/17)

 ジャニーズ問題も未だ解決しないのに、突如起こった宝塚歌劇団員自殺事件。当初このニュースを効いたとき、イジメかと思ったが、自殺者側の主張ではそれに加え、過重労働による精神的肉体的疲労があった。後者の場合、限度を超えると鬱状態になり、自殺衝動に奔る可能性が高い。ジャニーズ問題とこの事件の背後に共通するものは、組織内の強い上下関係と連帯意識、それから生じる権威主義である。これは何処の国でもそうだが、軍隊に特有の現象である。又、日大アメフト部に代表されるような、大学や企業内の体育会系体質にも繋がる。
 奇しくも宝塚音楽学校は、よく旧海軍兵学校に例えられる。旧海軍兵学校の生徒管理の特徴は、上位下達と連帯責任制である。各学年にはクラスヘッドという生徒が選ばれ、学校は彼を通じて生徒管理を行う。もし生徒の中に不祥事があったり、成績が上がらなければ、彼がクラスを代表して責任を問われる。いわば叱られ役だ。但し選ばれるのは成績トップの生徒だから、卒業後はエリートとして出世階段を上っていく。例を挙げると、山本五十六の時のクラスヘッドは堀貞吉。彼が海軍に残っていれば、山本、井上、米内と組んで陸軍の暴走を抑えられたかもしれない、と云われる。
 自殺した団員は組員を取りまとめる役についていたというから、成績はトップクラスだったはずだ。だから責任感も強かったのだろう。他に下級生のまとめ役が8人ほどいたが、次々と退団、残ったのは彼女を含め三人だけ。その間、歌劇団はまとめ役を補充せず、全ての雑務をこの三人におしつけた。当然発生するのは過重労働。更に他の残り2人も退団したので、彼女一人が取り残された。それに加え上級生からのイジメもあった。強い責任感と外からの圧迫、これによるストレスにより鬱状態となる。この鬱が自殺衝動を呼ぶのである。
 このケースで感じたのは、如何に歌劇団経営陣に無知・無責任がはびこっていたかである。無責任差の典型は、生徒まとめ役が減っているにもかかわらず補充も考えず、雑務を全て当該生徒に押し付け過重労働を招いたこと。
 そもそも歌劇団に入ってくる女性の目的は、芸能人として完成することである。そのチャンスを与えるのが歌劇団である。そうであれば、歌劇団は劇団員が芸能に専念できる環境を整える義務がある。つまり様々な雑務から彼女達を解放し、芸能に専念させることである。ところが歌劇団はその義務を放棄して、劇団員に雑務を丸投げ押し付けしてきた。その無責任性が、すべての原因である。実はこの事業者側の無責任押し付け体質は、大学や学校等の教育現場を覆っている。結果として大学や学校教員は雑務に追いかけられ、研究や教育に専念出来ない。これが今の日本の科学技術力低下の原因になっている。
 押し付けたのは一人で時はないはずだ。歌劇団側にもいろんなパートがあって、それらのリーダー・・・例えば演出家や脚本家、舞台監督など・・・が互いに連携せず、バラバラに仕事を彼女一人に押し付けたのだろう。無責任の極みである。そして過重な労働の強制がしばしば自殺事件の原因になっていることは、これまでの労働災害事件で明らかになっている。そういう点にも注意を払わず、漠然と事態を放置しておいたことは、刑事訴追の対象にもなりかねない。無知としか言いようがない。
 宝塚名物フイナーレでの大階段。労働衛生法では、高さ2m以上では安全ベルトの装着なしでの作業は禁止される。但し例外として芸術性や伝統を重んじる場合は、定期的な安全教育とかクッション等の安全対策を行っていれば認められる。やっているでしょうか?大階段で誰かが足を踏み外し、将棋倒しとなったら大変なことだ。宝塚歌劇団はそんなこと少しでも考えたことがあるでしょうか?まずないでしょうねえ。
(23/11/13)

 理事長が副学長に退任を迫るというドタバタ劇の日大。原因はアメフト部部員の薬物事件の調査に関し、副学長に不手際があった、と理事長が認定したためらしい。この件に関し、東国原という元芸人が、副学長だけでなく理事全員が責任を取るべきだ、と発言。一見もっともらしいが、これでは全く問題の解決にならない。
 東国原の発言は、旧陸海軍から現在の宝塚音楽学校まで連綿と続く、「連帯責任」の思想である。ある組織があって、その中の誰かが問題を起こした、それは組織全体の責任だとして全員が処罰を受ける。これが連帯責任である。
 こんな馬鹿な話はない。これでは問題に無関係の者まで責任を問われるから、彼には不満と組織に対する不信感しか残らない。逆に問題を起こした本人は、連帯分だけ責任が軽減されるから、やれやれで反省することもない。結局問題の根は残り、問題の再生と拡大再生産を招く。
 筆者がかつて勤務していたある会社では、当に「連帯責任」制だった。筆者が率いていた部門は常に黒字を叩きだしていた。黒字を出すのは黙って出来るものではない。細かい出費にも目を配り、業務に計画性を持たせ、常に創意工夫を絶やさない。そういう目に見えない努力の結果である。
 ところが常に赤字を出す部門がある。そいう部門は業務に主体性を持たず、要求されたことを只漫然とこなすのみで創意工夫のかけらもない。赤字を出しても「しゃーない」で終わりだ。万博予算が膨れ上がっても、反省の色すら見せない「大阪維新の会」松井、吉村、橋下らも同じだ。そして全社で決算すると、結局は赤字。経営側の云い方は「みんなで出した赤字だから、みんなで負担を」だ。要するに傷の舐めあいなのである。
 しかし間違いないのは、赤字を出した犯人は必ずいる、ということだ。その犯人をとっ捕まえて追放しなければ、赤字体質は何時まで経っても無くならない。現在、日大の信用を毀損している犯人がアメフト部であるのは顕か。この部に根本的メスを入れない限り、日大の信頼回復はままならない。
 日大アメフト部問題もそれで、東国原のような甘いことを言っているから、何時まで経っても不祥事が無くならないのである。物事は「信賞必罰」、何よりもけじめが必要である。日大アメフト部は再建を認めない永久廃部。アメフト部問題には、なにかOBを通じた過去からのしがらみが感じられる。それを断つためにもこれぐらいの強い措置が必要である。これぐらいやれば、他に不祥事の種を抱えている部も、少しはシャキッとするだろう。
 このようなOB-先輩ー後輩と続く体育会系縦系社会が「連帯責任」制を産み、それが現在社会では集団イジメ、パワハラ、セクハラを産む源泉ともなっている。更にこれは上に甘く下に厳しい体育会型保守社会を「作り、日本の産業力・経済力を削ぐ結果にもなっている。日本体育界の頂点に位するのが森喜朗だ。これだけ見ても今の日本体育界が持つ問題が分かる。
 なお、「連帯責任」の悪例に例えた会社は、筆者が辞めてから10年位で倒産してしまった。問題解決を先送りし、けじめを付けなかった天罰である。
(23/10/20)