日本沈没は本当か!?

横井技術士事務所
技術士(応用理学) 横井和夫


 平成23年東北太平洋沖地震が発生して、世間に流行ったのが「日本沈没」説。筆者はそれに反対する意見を述べているつまりこのようなプレート沈み込み地震こそが、日本列島を成長させ、ひいては日本の領土拡大に寄与してきたのだ、と。しかし地震直後、東北沿岸各地で現れたのは地盤沈降現象。果たして筆者の考えは間違っていたのか?と不安になっていたが、最近やっと筆者の考えを支持するデータが現れてきました。


 

 上の図は最近、国土地理院が出したもので、地震後5〜6年の1年間の累積変動量を示したもの。この図から特徴的な傾向が見えてくる。
1、東北地方脊梁を中心に、太平洋側では隆起傾向がみられる。特に大きいのは三陸地方南部である。
2、日本海側では沈降傾向がある。特に大きいのは、新潟南部である。
 つまり、東北日本弧は脊梁を中心に、シーソーのように運動しているのである。太平洋側の隆起は、これまで予測した通りだったので別に驚かないが、日本海側の沈降傾向は、これまで疑問だった日本海地盤形成過程の説明に大きなヒントを与えてくれる。
 過去10万年ぐらい前の太平洋側と日本海側の沖積地盤には、大きく次のような違いがある。
1)太平洋側地盤は過去の気候変動の影響を受け、(1)ウルム氷期以前の地層→(2)ウルム/ボレアル期までの地層→(3)アトランチック海進以降の地層が概ねそろっている。つまり地殻変動を含めた環境変化を忠実に保存している。
2)それに比べ日本海側では、新しいアトランチック海進以降は同じだが、その下位は有機質の泥土と河川成の粗粒土の単調な繰り返しで、どこでどう環境が変化したのかが分からない。これは日本海側の地盤が継続的に沈降していったということに他ならない。
 この違いがどこから来たのは筆者の長年の疑問だったのだが、今回の東北ー太平洋沖地震は、その疑問を解決する重要な回答を与えてくれた。

3.11の後、暫くして本屋を覗くと、やけに目に付いたのが小松左京の「日本沈没」。30数年前の作品である。筆者もその頃、ある日東京に出張して、帰りの新幹線の中で上下巻を一気に読み通した記憶がある。今は亡き恩師市川浩一郎先生も、この小説には大変興味を持っていたようで、「あれは数千万年で起こる話しを一気に縮めたようなもんだなあ」と、我々落第卒業生の話にも快く応じてくれたのである。又、懐かしい本を、という感慨はあるが、一方30数年という時間は永い。その間プレートテクトニクス理論も成熟化し、今では全く様変わり。あの地震で、多くの人は、このまま日本列島は沈没するのではないか、と思ったかもしれない。それは小説「日本沈没」が脳に刷り込まれていたからです。
 しかし、今まともな研究者で「日本沈没」を信じている人は、まずいないでしょう。現在のプレート理論では全く逆で、数100〜1000年に一回の巨大地震で、むしろ日本列島は拡大成長を続けてきたのです。あの種の地震がなければ、関東地方南部(房総、三浦半島)や四国紀伊半島南部は、今だに海の底だったでしょう。
1、「日本沈没」のメカニズム
 小松左京「日本沈没」のメカニズムは、地球物理学者竹内均の理論に基づいている。彼は当時やっと(日本で)日の目を見だした・・・・我々にとっては常識だったが、反対する人も多かった・・・、プレートテトニクス理論に基づき、次の様に考えた。中新世(1500〜2500万年前)迄は、日本列島はユーラシア大陸の東縁にくっついた陸地だった。これがこの時期から大陸から離れ出す。そこに隙間が出来て、海が浸入する。これが日本海。この原因を作ったのが、太平洋側からのプレートの沈み込み。太平洋側からプレートが沈み込むと、それに引きずられて、大陸地殻が太平洋側に移動する。移動した大陸地殻はどうなるか?やっぱり海洋プレートと同じように沈み込まなくてはならない。例えば下図のようにである。これをドラッグモデルという。

この速度を極端にまで高めるとどうなるかを、文学的にシミュレートしたのが小説「日本沈没」なのである。

2 現代の見方
 1970年代プレートテクトニクスが確立されて以降、この方面の研究は著しく進展し、地質学を取り巻く環境は大きな変貌を遂げた。

2-1地震による地盤隆起
 海洋プレートが大陸プレートの下に潜り込む場をサブダクション帯という。サブダクション帯の特徴は、@緑色岩やチャート・石灰岩など、海洋起源の岩石の雑多な集合体からなること、A大洋側に砂岩・泥岩・チャート等陸棚〜大洋底堆積物を伴うことです。これは日本列島の内、西南日本に典型的に現れ、内帯では北から秋吉テレーン、舞鶴テレーン、超丹波テレーン、外帯では御荷鉾テレーン、秩父テレーン、四万十テレーンが挙げられる。これらは出来た場所・時代はそれぞれ異なるが、ジュラ紀以降1億数千万年の間に、ユーラシア大陸東縁に集積・衝突・付加を繰り返して、現在の日本列島の骨格を作ってきたのである。つまり日本列島はこの間、拡大・成長を続けてきた。
 では今のサブダクション帯ではどうなっているかを反射探査その他の資料から見てみよう。下図は熊野トラフを横断する地質断面である。図下部のVp>7.0q/s帯が、沈み込もうとする海洋プレートである。海洋底に溜まった堆積物の一部は、これに沿って沈み込もうとするが、大部分は大陸塊に阻まれて、大陸の縁辺に付着する。これが付加体で、図では図中央の地震性スラスト帯から、右のプロトスラスト帯までがこれに相当する。これらは今は海底下にあるが、いずれ隆起し陸地になる。左の四万十累帯も元はといえば、海底に堆積した付加体が隆起陸化したものである。 

 しかし、この隆起/陸化は穏やかな物ではない。下図はやはり熊野トラフで最近得られた、反射探査映像である。上図でいえば、地震性スラスト帯から多重階層デコルマン帯に掛けての領域である。両者の境界部に地震断層帯があり、その左(陸)側では平坦な海底台地、その右(海)側では大陸斜面になっている。海底が隆起成長する過程に地震が伴うことを意味している。


 では、地震による地盤隆起は実際にはどのようなものか?実例で検証してみる。東北太平洋沖地震が発生したとき、主に宮城県を中心に地盤沈下が観測された。これが「日本沈没」説の引き金になったと思われる。地震が発生すると地盤は沈下するか?実態は逆である。一般に逆断層が活動すると、その上盤が隆起し、その背面には正断層が生じて、地盤は沈下する。この様子を関東平野を例に採って眺めてみる。下図の左は現在の関東平野の衛星画像。右は地質図です。

 左図を見ると、房総半島から対岸の三浦半島に掛けて丘陵地が延び、その内陸部に関東平野が広がることが見て取れる。右の地質図では、丘陵地に相当する領域の内、両半島南端部に青や緑・橙色で塗色された帯状部分がある。これは主に中新統三浦層群からなる領域で、その内陸部の黄色い部分は第四紀成田層群。その内側の関東平野は最新(洪積総)ー完新統(沖積層)。その中の色分けは重力異常分布で、東京湾北東岸から北岸に掛けて、大きい負の重力異常があることが判る。これは堆積物が厚く堆積していることを意味する。そして、東京・埼玉県南部は日本有数の軟弱地盤地帯である。
 何故このような色分けが出来たのか?房総/三浦半島は元々陸地で、その内陸が浸食されてその中に堆積物が出来たのか?NOです。三浦層群も成田層群も海成層、つまり両半島とも、元はといえば海の底にあったのである。
 下図は元禄・大正関東地震に於ける、関東地方南部海岸の隆起量の分布である(松田時彦他「元禄関東地震(1703)の地学的研究」1974、関東地方の地震と地殻変動)。図-a、bでは半島南部で顕著な隆起が見られるが、内陸には見られない。むしろ内陸では沈降するのである。地震で地盤は一旦隆起するが、その後沈降する。しかしこれは元には戻らず、残留隆起が残る。初期隆起量から残留量を差し引いたものが実隆起量である。図-cは海岸部での実隆起量をプロットしたものである。これによると両地震で平均1.5mの実隆起が生じることになる。

図-a 元禄地震の隆起量(m) 図-b 大正関東地震の隆起量(m) 図-c 〇元禄地震の実隆起量(m)
    ×大正関東地震の実隆起量(m)

 こういう現象は四国や紀伊半島でも見られる。下図は1985年を起点にして、昭和南海地震(1946)前後の、四国南半部海岸での地殻変動量をプロットしたものである(「日本の地質 四国地方」)。同図で1945年とあるのは1947年の誤りと思われる。1932年までは地殻変動量は大きくは無いが、南海地震後の1947年では、足摺・室戸半島地域は大きく隆起し、内陸の高知・阿南地域では沈下している。高知・阿南地方は、地盤工学的には軟弱地盤地帯で、軟弱な沖積層が厚く堆積する。


 ではこのような現象はどういう風にして起こるのだろうか?下図はプレートの沈み込み帯付近での、地殻変動を数値シミュレーションした例である(山科健一郎他 「太平洋プレートの沈み込みと島弧変動の力学的側面」アジアの変動帯 藤田和夫教授退官記念論文集)。この図は論文に図の説明がないので甚だ判りにくいのだが、大体次のようなものと思えばよい。
 一番下の図が、プレート沈み込み域周辺での変位のベクトル図(図のa-bが断層)。中間の図は、変位モードで、UZが鉛直方向、Uyが水平方向変位を示す。一番上の図は距離に伴うUZ、Uyの変化量分布を示す。

 ベクトル図では、断層先端部までは、下盤のサブダクションに引きずられるように、上盤のベクトルも斜め下方に向かうが、その先は再び上方に向かう。変位モード図でUZを見ると、断層先端までは沈下し、その先では逆に隆起に転じ、更にもとの状態に収束する。断層上に出来た沈下部が、所謂トラフと呼ばれる沈降帯で、相模トラフ・駿河トラフなどに相当する。3.11直後、東北太平洋岸で生じた地盤沈下もこれに該当する。その先に接続する隆起部が、房総・三浦・室戸・足摺半島等の隆起帯に相当する。隆起部の先で、再び隆起量が低下する部分があるが、これが関東平野や、高知平野などの沈降盆地に相当する。
 このような地殻変動を生ずる原動力は、プレートサブダクション帯で、数100〜1000年毎に繰り返されるM8〜9クラスの巨大地震を置いて、他に考えられない。もしこのような地震がなければ、日本の太平洋岸の大部分(例えば関東平野や房総半島、紀伊半島南部、四国・南九州)は未だに海の底だったはずだ。もし関東平野が海の底のままだったら、現在の日本の繁栄はあり得ない。逆に言えば、このような地震の結果が、日本列島の領域拡大と経済繁栄ももたらしてきたのである。

2-2島嶼から列島・小大陸へ
 日本列島の周囲には、千島弧・伊豆マリアナ弧・琉球弧という島嶼列がある。現在は小さな島が点々と連なっているだけだが、これらの島嶼列はいずれもプレートサブダクション帯上に位置する。千島・伊豆マリアナ弧は太平洋プレートが、北米プレート・フィリピン海プレートの下に沈み込む場、琉球弧はフィリピン海プレートがユーラシアプレートに沈み込む場にある。これら島嶼列の形成も、2-1で述べた断層に伴う地殻変動モデルで説明出来る。しかし重要なことは、これらがいずれも活発な火山活動を伴うことである。島弧海洋系の火山活動は、玄武岩ー安山岩ー流紋岩の順に進化する。玄武岩質活動は、マグマがまだ海洋地殻のままということ、これが安山岩質になると、大陸地殻の要素が入ってきて、まもなく大陸化するというサイン。完全に大陸化すると流紋岩質になる。先年、伊豆諸島で起こった三宅島噴火は、玄武岩質の活動で、ここでは未だ海洋地殻のママということだ。しかし、千島弧、琉球弧では安山岩質の活動になっている。つまりこういう地域では、大陸化の準備が整いつつあるということなのだ。そして何かきっかけがあれば、一斉に大陸化する。そして、日本列島の周囲には、小大陸が幾つも出現するのである。但し、その過程では、巨大地震や巨大火山活動は覚悟しなくてはならない。

2-3大陸塊の衝突・付加
 今、ハワイ北東の太平洋海底にヘス及びジャキイという二つの大陸性の地塊(海膨)があり、これがプレートに乗って西進し、1800万年後には日本列島に衝突・付加するという説がある。面積はこの二つだけで日本列島の数倍はある。


 無論、衝突だからその衝撃は只では済まない。数万年以上に渉って、M9以上の地震や火山の大噴火が継続するだろう。日本列島の形もかなり変わるかもしれない。しかし、日本列島は沈没するどころか、一つの小大陸に変貌する。

 この程度で驚いてはならない。現代のプリュームテクトニクスの予言によれば、2億5千万年後には、オーストラリア大陸が北上して、日本列島を挟んでユーラシア大陸と衝突・合体する。その時、日本列島は今のヒマラヤを凌駕する大山脈に成長するだろう。


S.Maruyama   「Plume Tectonics」the Journal of the Geological Sosciety of Japan Vol 100 NO 1 1994


3まとめ
 以上述べたように、現状も将来も日本列島が沈没する可能性は全くない。それどころか、列島は今後も成長・拡大を続けるのである。但し、その拡大過程は順調なものではない。子供の成長痛と同じで、突然激痛に襲われることがある。それが今回のような巨大地震であり、火山の巨大噴火である。何事も巨果を得ようとすれば、犠牲も大きいのである。


戻る      一覧へ      TOPへ