今国会での白屋地すべり対策工事に関する質疑応答

白屋地すべり追加対策では、国会では次の様な話題になっています。
1、質問;04/03/05衆院国土交通委員会質問30号 「日本共産党」・・・以下は要旨
 1)国土交通省大滝ダムは、計画以来3210億円の巨費を投じ、更に今回270億円の追加投資と、平成21年までの工期延期をしようとしている。
 2)住民移転費用はやむを得ないとしても、地元各自治体の費用負担は耐え難いものになっている。
 3)これまで、政府は共産党の質問に対し、安全性については大丈夫という答弁を繰り返してきた。
 4)にもかかわらず、こういう事態になったのは、地すべりに対する判断(特に深い地すべりについて)が、誤っていたのではないか。地元住民が独自に依頼した専門家の調査では「地層は流れ盤であり、深い層での地すべりが危惧される」と指摘されていた。
 5)今度の工事で「地すべりは起こらないと言う保障はあるのか。財政負担ばかりのしかかり、使えないダムになるのではないか」という声がある。
2、答弁;04/04/02答弁30号 「内閣総理大臣 小泉純一郎」・・・・上記3)、4)関連答弁のみ全文を掲載します。
 「白屋地区の地すべり対策については、大滝ダムの建設に当たって、地すべり対策の専門家等により構成された「大滝ダム地すべり対策委員会」等における検討を含め、各種の調査及び検討を行い、対策が必要と判断した五箇所において、試験湛水の開始前に鋼管クイ工、アンカー工、抑え盛土工、集水井工等の地すべり対策を実施したところである。
 試験湛水前に行ったこれらの対策は、1)すべり面が崩積土層では10m程度、風化岩層では15m程度の深さにあることを想定したものである。一方、昨年に白屋地区において発生した地すべり(以下今回の地すべりと言う)は、緩んだ岩盤内の平均50m程度の深い層にすべり面が形成され滑動したものであるが、試験湛水前に行った調査に基づく検討においては、このような深い層では、局所的に弱部が存在するものの、その連続性は確認されず、滑動が発生するようなすべり面は存在しないと判断したものである。
 今回の地すべりの原因の解明と今後の対策方法等の検討を行うことを目的とした「大滝ダム白屋地区亀裂現象対策検討委員会」(以下「検討委員会」という)から昨年12月26日に報告されたとおり、2)今回の地すべりの発生箇所は、その周囲に過去に地すべりが発生したことを示す段差等の地形的特徴が認められないこと、及び湛水前にすべり面の存在が認められなかったことから、3)湛水により始めて地すべりが発生したものと認識しているが、こうした地すべりの発生を具体的に予見することは、現在の知見では非常に困難であると認識している。・・・・以下略、詳細はhp(白屋地区」参照・・・・
 

 以下、上記の知見に対する吟味を行います。
1、質問について
 幾つかの点で問題は感じられますが、概ねこんなところで、必ずしも非常識な質問ではありません。問題が感じられるのは次の2箇所です。
  1)移転対策費を当然としているが、金額は既に移転に応じた人知地区と整合性を採ること。
  2)住民が依頼した専門家とは、ひょっとすると私に非常に親しい人かもしれない。彼は外帯の専門家だが、地すべりの専門家ではない。又、流れ盤は、地すべり発生の有力な素因   ではあるが、それだけでは深いすべりが発生する根拠にはならない。基本的な地質構造の把握は重要であるが、それを踏まえた上で、第四紀地形変動に注目することが必要。
 つまり、流れ盤説だけでは、裁判に勝つのは難しい。裁判に勝とうと思うなら、相手の主張の、弱点・矛盾点を衝いて、ペースをこちらに持ち込むことがコツ。
2、答弁について
 この答弁のレベルは、筆者が一昨年まで行っていた、滋賀県某テールアルメ崩壊事故訴訟での、相手側主張と変わらない。いやしくも、総理大臣答弁が、滋賀県の田舎コンサルや、地すべりに素人の建材メーカーと同レベルでは困るのだ。無論、相手側反論は、筆者の鑑定書に懸かれば、鎧袖一触、イチコロで吹き飛んだのだが、裁判所に泣きついて、とうとう和解に持ち込まれてしまった。それは余談だが、せっかくの総理大臣答弁だから、納税者たるもの、少し真面目に検討してみましょう。
1)について
 国側は、当初すべり面を10〜15mという浅い位置を想定し、平均50mもの深さのすべり面は存在しないと判断した。誰が、何を想定しても、勝手と云えば勝手だが、いやしくも国家プロジェクトだから、想定においては、@科学的・客観的な根拠に基づくこと、A万人の納得を得られること、が必要不可欠な条件だろう。@については、国側は、地すべりは崩積土層或いは風化岩層の中にのみ発生し、岩盤緩み域には発生しない、という前提を立てている。ここで問題は、岩盤緩み域とは何ぞや、ということである。白屋でボーリングをやると、硬い岩盤コア(転石)と、バラバラになった部分(中には土砂を挟む事もある)とが、延々と数10m以上に渉って、繰り返し現れる。転石は数m以上になることもある。これらを一括して「岩盤緩み域」と呼んでいるのである。四国・紀伊半島の、いわゆる外帯では、このような転石層が数10mに渉って分布することは、決して珍しい事ではない。但し、これを地すべり崩積土と呼んでしまうと、地すべり対策工事費が、天文学的数字になるので、大滝ダムプロジェクトそのものが成立しなくなる。それで考え出された言葉が、「岩盤ゆるみ域」なのだろう。だから、当初想定自身が、政治的意図に基づいているので、科学性・客観性を有していない。
 Aについては、面白い話があるので紹介しておきましょう。筆者は、大滝ダム自体のプロジェクトに関わり合ったことはないが、今を去る30数年前、丁度白屋が裁判で揉めていた頃、「ある会社が、白屋で100mのボーリングをやって、『80mの深さにすべり面がある』、という意味の報告書を書いたところ、建設省がカンカンになって、その会社は指命停止になってしまった」という話を、部下から聞いたことがある。その報告書を書いた担当者の、その後の運命は知らないが、あの会社の事だから、直ぐにクビになったでしょう。それから数年後、白屋取り付け道路法面のボーリングをやった。現場は地山の、それもグリーンロックの斜面だから、ボーリングそのものは何の問題もなく終了。その時に、件の報告書を読まされることになったのである。「読まされる」と言っても、文章などは読まず、コア写真を見るだけだが、その結果、「深さ80mのすべり面」説の方がまともだ、という印象をもったのである。白屋問題の比較的初期の段階に、@深いすべり面の存在に気付いた人間がいたこと、A間接的ではあるが、それを支持する人間もいた、ことは事実なのである。国側は、意図的にこのような見解の存在を無視してきた。それだけでも、1)の答弁は正当性を有しない。
 なお、ここで問題になるのは、「岩盤ゆるみ域」という言葉の意味である。そもそも、岩盤の緩みとは、何らかの原因による、応力変化で岩盤が膨張する現象である。ところで、岩盤のような硬い物質は、応力が変化しても、実質部の体積変化は極く僅かで、大部分は岩盤内の割れ目の開口という現象になる。つまり、このような現象は、岩盤全体を引っ張るような力(引っ張り力或いは剪断力)が作用する処で発生する。そうでなければ、割れ目は開かない。通常は、凸状の尾根の直下とか、斜面から崖への移行部のような切り欠き状の処、或いは大規模な断層の側である。ところで、白屋地区は、先に述べたように、全体として凹状地形を示す。更に地下数10mという深さでは、応力状態は、ほぼ静水圧状態になり、引っ張り力が働く条件下にはない。白屋を通る断層を考える人もいるようだが、白屋地区だけで幅数100mはある。断層の存在は否定しないが、外帯という特徴を考えると、このような幅の破砕帯は考え難い。第一、地質学的に、その様な大規模な断層が存在する、という証拠は認められていない。更に、白屋地区周辺を踏査すると一目なのだが、白屋橋付近から下流、及び白屋沢から上流には、河岸に沿って硬質塊状の岩盤が露出している。岩盤露頭が無いのは、白屋地区だけ、周囲の岩盤は塊状で、白屋地区のみが、ボロボロなのである。いわば、お盆を埋めるように、緩み域が存在することになる。引っ張り力も働かず、大規模な断層の無いような処で、深さ数10mに及ぶ緩み域が、お盆のように発生する訳がない。つまり、白屋地区の地山は緩んだ岩盤ではなく、お盆に堆積した土砂だということだ。但し、この土砂は地すべり崩積土、というより、古い段丘堆積物・・・旧吉野川の河床堆積物か、或いは土石流堆積物・・・・が局所的に厚くなっている場所、と考えた方が、全体を説明しやすくなるだろう。第四紀での地形変動の検討が重要というのは、このためである。どうしても、岩盤緩み域に拘るなら、白屋のような地形・地質環境で、どういうメカニズムで、緩みが発生するか、を説明出来なくてはならない。これまでの委員会資料では、そのような説明は無かったように記憶している。
 
2)について
 余りにも素人臭い答弁である。答弁者の頭には、教科書に書いてある、地すべり地形しか入っていない。地すべりというものは、規模・年代で様々な形を取るものである。先ず、白屋地区は、台高山脈の一画、白屋岳の西にあり、北・東・南の三方を山地斜面に限られ、西を吉野川に開けた緩斜面で、全体として凹状地形を示す。実はこの斜面は、末端の標高360〜390m付近に見られる、吉野川河岸に接するやや平坦な部分と、その上に連なる斜面部に分かれる。前者は、周辺の地形状況を見ると、河岸段丘の跡と考えられる。これは、吉野川左岸に沿って、結構広範囲に分布する。白屋では段丘面の保存は悪いが、これは繰り返す地すべりによって、段丘面そのものが失われたのであろう。後者は白屋岳山腹の崩壊斜面である。白屋地区の歴史は古く、室町以前の遙か昔から農耕地として用いられており、仮に地すべりの初期に、階段状地形が生じたとしても、それが現在まで保存されていることなど、あり得ない。又、湛水前調査では、すべり面は存在していなかった、としているが、休止中で、なおかつ転石主体の地すべり層で、すべり面が目に見える訳がない。目に見えないと言って、存在しないことではない。つまり、2)の主張も成立しない。

3)について
 元もと、すべり面は存在しなかった。今回のすべり面は「湛水によって新たに生じたものだから、予見不可能であった」という主張である。責任を他に転嫁する官僚特有のレトリックである。先ず、地表に変動が現れ出したのは、03年連休前で、この時の貯水位は概ね305m付近。河床からの貯水高は約45mである。湛水前の白屋地区に、全く地下水が無かったとしても、たった4.5sf/p2の有効応力減少で、岩盤が剪断を起こした事になる。こんなことがあるだろうか。非常に大雑把であるが、一つの目安を付けるため、次のような計算をしてみました。今、平均深さ50mでの、微少土塊の応力状態を考える。土塊の密度をρ=2.5t/m3とする。
       最大主応力  σ1=ρ・h=2.5×50=125t/u
       最小主応力  σ3=σ1(1+2ks)/3
                    ks;静止土圧係数
                ks=0.5とすると
                σ3=(2/3)×125=83.3t/u
       有効応力   σ´=σーu
       従って、最大有効主応力    σ1´=125ー45=80t/u
            最小有効主応力    σ3´=83.3ー45=38.3t/u
       地山の破壊基準は、モール・クーロン基準を用いる。この時、局所安全係数は次式で与えられる。
                Fc=r/r0
                       r=(τ/cosφ)+sinφ(σ1´+σ3´)/2
                       r0=(σ1´ーσ3´)/2
 これは、局所的な応力変化で、土塊が塑性化するか否かの判定式である。通常はFc>1.0・・・・塑性化しない。Fc<1.0・・・・塑性化する、と判定する。土塊が塑性化するということは、剪断面が発生する、つまりすべり面が発生することを意味する。
       地山強度は菊池による、岩盤分類とCーφとの関係図を用いる。
       ところで、国側は、白屋の地山をあくまで岩盤と主張する。従って、地山の強度は岩盤最低値として、菊池式のCL最低値を用いる
                 C=40(t/u)、φ=30(゜)
                 τ=C+σtanφ=40(t/u)+σtan30(゜)
       r0=(80ー38.3)/2=20.85t/u
       r=(40/cos30)+sin(30)(125+83.3)/2=98.2t/u
       Fc=98.2/20.85=4.7>1.0
 となり、到底塑性化しない。つまりすべり面が発生しない、という結論になってしまう。何故、こういう事になるかというと、国側が、あくまで地山を岩盤と主張するからである。岩盤ではなく、土砂(つまり崩積土)と認めれば、C≒0と見なされるので、僅かな有効応力変化で、簡単に塑性化してしまう。以上は、土質力学の基本中の基本であって、首相答弁のように、「現在の知見では非常に困難である」と言うようなレベルのものではない。大学三年生でも出来る程度の問題である。
 なお、上記の検討は、塑性論に基づいており、最も安全側の答えを与える。FEMを使って弾塑性論で計算すると、局所安全係数は更に大きな値になるはずである。

(結論)
 白屋問題がここまで混乱した原因の一つに、白屋地すべりの検討の初期段階で、国側がこれを東北・北陸の第三紀地すべりと同様に扱ったのではないか、という気がする。すべり面の深さを浅く見積もった・・・逆に云えば数10mという深いすべり面など、あるわけはないという思いこみ・・・ことが、その証拠に挙げられる。確かに、大滝ダム計画初期では、地盤変動に関する構造地形学や、外帯の第四紀層に関する知識も不十分であり、且つ白屋のような地山に対する地質調査技術も未発達であったが、その後これらの分野での知見・技術の発達はめざましいものがあったので、従来の方針を改める機会は、幾らでもあったはずである。それが出来なかったのは、国側の担当者(官だけでなくて、業務を請け負ったコンサル担当者も含まれる)が地質、特に外帯のそれの経験・認識に乏しく、教科書に書いてあるセオリーを、単純にそのまま当てはめただけではなかったか、という疑問が付きまとうのである。要するに、単純地すべり屋の失敗、と言ってよいでしょう。
(以上 04/05/05)


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